ネットの情報
木曜日、朝一番。
ユカが自分の席に着くのを見はからったように、目の前の電話が鳴った。
「おはよう、ユカ」
智子だった。
毎度、はつらつとした元気な声である。
「ねえ、小寺君は信じてくれた?」
昨日の結果を、智子はさっそく聞いてきた。
「みんな信じてくれた。今日にも、アップルに行ってくれるそうなの」
「よかったじゃない」
「メモのことも調べてくれるって。行方不明のオーナーのこともね」
「電話をしたのはね、そのオーナーのことでなの。ネットで宮山佳助って検索してみて」
「で、なんて?」
「それはお楽しみ。とにかく見てよ、びっくりするから。じゃあね、もう時間だから」
意味ありげな言葉を残し、智子はさっさと電話を切ってしまった。
――なによ、智子ったら!
ユカがつぶやいて受話器をもどしたとたん、始業開始を告げる庁内チャイムが鳴り始める。
小林室長が自分の席の前に立った。
「おはようございます。今日は市民との信頼関係について、少しばかり話したいと思います。それで、この本には全国のお城の城壁が……」
恒例の朝礼の始まりで、今朝は手にした本を頭の上にかざしてみせる。
――わあ、長くなりそう。
ユカは顔をしかめたくなった。
「で、城壁ですが」
小林室長が振り向いて背後に目をやる。
広いガラス窓を通し、城址公園の城垣の石積みが見渡せる。あの桜の老木は、この三日のうちに広げた枝を薄緑に変えつつあった。
「この本を読んで思ったことですが……」
小林室長が熱弁を続ける。
どうやら話の内容は、城垣の造り方が市民との信頼の構築と共通点が多いということらしい。
智子が言っていたネットのことが気になる。
ユカはうわの空で耳だけを傾けていた。
ふと気づくと……。
みなが着席をしていた。
いつかしら朝礼は終わっていたのだった。
ユカは席に腰をおろすと、すぐさまネットを開いて検索欄に宮山佳助と打ち込んだ。
画面に表があらわれ、タイトルには県美展受賞者一覧とあった。画面のトップには県美術協会と記されており、そこのホームページのようだ。
トップから目を通してみる。
一覧表は過去から年度順に表示されており、各賞ごとに県美展受賞者の氏名が掲載されていた。そしてその中ほどに、画廊のオーナー宮山佳助の名前も載っていた。
記事を読むに……。
宮山は十年ほど前に最優秀賞を受賞していた。
作品名は「りんごをむく女」で、モデルは作者の恋人とあった。
――絵も描いていたんだ。
画廊のオーナーとしてだけでなく、宮山佳助は絵の創作もしていたようだ。
――それでか。
智子の話では、あの肖像画は受付の壁に飾ってあったそうだ。手ばなす気がなかったのであろう。
――でも、それがどうしてアップルに?
思考がハタと止まる。
――マスターの恋人ならわかるんだけど?
残された絵と石井茂の関係がわからない。しかも滞納していた家賃を支払ったのは、宮山佳助の恋人ではなく妹である。
――まあ、絵のことが先ね。
今日にでも小寺から報告があるかもしれない。それを聞いてから考えることにすればいい。
迷った末……。
ネットのことは小寺に連絡しなかった。
今回の事件と関係がなければ、かえって手をわずらわせ、迷惑をかけることになると思ったのだ。
昼休み、智子から再び電話がある。
「ねえ、見た?」
「うん、おどろき」
「でしょ。絵のモデルが恋人だなんて、ステキなことだと思わない?」
智子の声がはしゃいでいる。
興味しんしんといったところらしい。
「その人、アップルと関係があるのかしら?」
「どうかしらね。でも、事件の裏には女ありって言うじゃない。オーナーとマスターの間で揺れ動く、怪しい女心。その女が犯人だったりして」
「テレビの推理ドラマみたい」
ユカは声を出して笑った。
「小寺君に教えてあげた?」
「迷ったんだけど、でもしなかった」
「なんでよ?」
「事件と関係ないと、かえって迷惑かけるから」
「まあ、テレビドラマじゃないからね。それで、彼からなにか報告あった?」
「ううん」
「なによ、まだないの。絵のこと、もうわかってるはずなのに」
「いちいち報告してこないわよ。忙しいだろうし、それに守秘義務があるんだし」
「守秘義務と報告義務、どっちが大事だと思ってるのかしら」
「守秘義務に決まってるじゃない」
「ううん、あたしたちへの報告義務よ。今日じゅうになかったら、けとばしてやるからね」
智子の口調は本気とも冗談ともつかない。
「それより、日曜のお昼あいてる?」
「ちょっと待ってね」
受話器からカサカサと音が聞こえる。手帳を取り出し、ページをめくっているようだ。
「ゴメン、デートが入ってる」
いかにも残念といった声がする。
「そうなの、小寺君と会う約束してたのに。智子も連れていくって」
「じゃあ、デートは断る」
「ねえ、いいの?」
ユカはわざとらしく聞いてやった。
「ぜんぜんかまわない。ひとつぐらいとばしても、目白押しだからね」
「じゃあ、日曜のお昼前、智子のうちまで車で迎えに行くね」
「お昼ごはん、もちろんおごりでしょうね」
智子がすかさず念を入れてくる。
「小寺君のね」
ユカは笑って受話器を置いた。
その夜、母親の美子から電話があった。
「ねえ、たまには帰ってきなさいよ。お母さん、話があるんだから」
いつもの押しつけがましい口調である。
「話って?」
「あなた、どうせヒマでしょ。とにかく早いうちに帰ってらっしゃい。そのとき話すから」
「明日は将棋同好会なので、土曜に行く」
「かならずよ」
美子は一方的にしゃべり、電話を切った。
将棋同好会は週一度、金曜日の仕事のひけたあとに会員が集まる。
ユカは紅一点で同好会のアイドル的存在。先輩のおじさんたちがなにかとかわいがってくれる。
それになにより……。
将棋をしていると、亡き祖父がそばにいるように思われたのだ。




