三つのリンゴ
ユカはうなずいてから、ハンドバッグからメモ帳を取り出した。
「これを先に見てくれる? 話すだけじゃ、ややこしいから」
メモ帳を開いて、小寺が読みやすいようにテーブルの上に置いた。
朝からユカが、何度も目を通したメモである。
○マスターの名前は石井茂。三十七歳の独身
○画廊の名前は林檎(英語でアップル)
○絵のタイトルとリンゴという部分が共通
○オーナーの名前は宮山佳助(三十七歳)
○家賃に数カ月の滞納あり(閉まる直前)
○オーナーは行方不明
○妹が滞納分の半分を支払う(三月のはじめ)
○妹の名前は宮山メグミ(三十代)
一、塗りつぶされているケース
A、マスターが消した。ダイイングメッセージ(可能性あり)
B、犯人が消した。捜査のかく乱(可能性は薄い)
二、絵に手が加えられていないケース
A、絵が差し替えられた(目的は不明)
B、絵に塗りつぶしたあとがない(霊が関係していて、その霊はふたとおり考えられる)
ア、死霊(モデルの女性。絵から出られない)
イ、生霊(宮山メグミ。マスターとの関係不明につき仮定)
小寺がメモ帳に目を落とす。
そこへ、マスターがケーキを運んできた。店員はいないらしく、一人で店を切り盛りしているようだ。
「ホットふたつね」
小寺が二本の指で示すと、マスターはうなずいてカウンターにもどった。
ユカがケーキを食べている間、小寺はメモを読むことに没頭していた。コーヒーが運ばれてきて、カップが置かれる音でやっと顔を上げ、砂糖入れの容器に手を伸ばす。
「入れる?」
「ううん、いい」
「鈴部さん、甘いのが好きなのかなって」
「好きだけど太るから」
ユカはしおらしく言った。
――それはないだろう。
腹の虫が異議を唱える。
食事の直後にケーキを食べおいて、そんな言い分はたしかに通らないとしたものだ。
「ここ、脂肪がいっぱいなの」
おなかをポンポンとたたいたユカに、ふと智子の顔が思い浮かんだ。
――おなかの脂肪といえば……。
腹の脂肪で思い出すとは、まことにもって親友に失礼である。ただこの話は、智子抜きでは語れないことも確かなのだ。
「このメモ、友達と二人で考えて書いたの」
「友達って?」
「親友の智子。市役所の同期で、今は産業振興課にいるの」
「そこって、たしかマリンの管理を」
「そうよ。産業振興課には、マリンにあるお店の資料があってね。それで智子が調べてくれたの」
ユカはメモの前半部分を指先でなぞってから言い添えた。
「ここらへん、なに書いてるかよくわかんなかったでしょ」
「ああ、ほとんどな。いちいち聞いていい?」
「うん、なんでも聞いて」
「じゃあ、この画廊ってなに?」
小寺が林檎の文字を指でつつく。
「アップルになる前、あそこって画廊だったの」
「で、林檎はアップルか」
「偶然にしては、できすぎだと思わない?」
「たしかにな。でも、よく調べてみないとね。それで、次の絵のタイトルって?」
「小寺君、覚えてない? アップルに飾ってあった女性の肖像画」
「いや。で、どこに飾ってあった?」
「レジのうしろの壁」
「そういえば大きな絵があったな。でも肖像画ってことまでは……」
「その絵のタイトル、リンゴを向く女っていうの。リンゴは片仮名だけど、やっぱりリンゴなの」
「わかったよ。漢字の林檎、片仮名のリンゴ、英語でアップル。みんな同じだな」
「でしょ」
「でも、どうしてそのことに? 鈴部さん、よく気がついたな」
「画廊のこと、智子が教えてくれてね」
「じゃあ、オーナーの名前なんかも?」
「うん。だから、そこのところは事実なの」
「すると、変な話というのはここんとこだな」
小寺がメモの後半部分をさす。
「そう、オカルトみたいでしょ」
ユカはカップを両手で包み、それから意を決したように言葉を継いだ。
「笑わないで聞いてくれる?」
「もちろんだよ」
「それには書いてないんだけど。あたしね、マスターを見つける直前、レジの方で声を聞いたの」
「声?」
「うん、女性の声」
「まさか、だれかレジに?」
「ううん、だれもいなかった。なのに、ここよって声がしたの。そのあと、ここから出してって。聞こえた声は、それだけだったんだけどね」
「ほんとなのか?」
「やっぱり信じられないでしょ」
「正直な。でも、ほんとに聞いたんだろ?」
「うん、たしかよ。智子はね、あたしに霊感があるから聞こえたんだって」
「鈴部さん、霊感があるの?」
「たぶん。智子に言わせるとね、霊があたしを媒体にして、交信してるんだって」
「オレの家って、お寺だろ。似たような話、聞いたことがあるよ。でも、びっくりしただろ」
「かなりね。あたし、頭のおかしな女に思われるんじゃないかって、ずっとそのことがあったから」
「そんなこと思わないって」
「よかった、小寺君に信じてもらえて」
ユカはとりあえずホッとして、ひとつ大きく息を吐いたのだった。




