腹の虫
自分は母親から、養子をとって神社を継ぐことを当然のように思われている。母親の思い――家系の呪縛を断ち切れそうにない。
正直、そのことは心底、自由の身となっている小寺がうらやましかった。
ユカは聞いてみた。
「ねえ、小寺君。あなた、お寺を継がなくてよかったの?」
「ああ、たまたまな。話は変わるけど、オレのアダナ覚えてる?」
「ううん。で、なんて?」
「ボウズ。お寺の息子だったし、ずっと丸坊主だったから」
「イヤだったでしょ」
「ああ、すごくな。そんなこともあって、子供のころから坊主が大嫌いでね。それで高校のとき、坊主になりたくないって、オヤジに」
「理解あるんだね、お父さん」
「そうじゃなくな。たまたま姉貴が、オヤジの弟子と結婚してくれたから」
「じゃあ、お姉さん夫婦が継ぐんだ」
「いずれな」
「あたし、ひとりっ子だから」
ユカはつい愚痴をこぼした。
「神社を継ぐの?」
「たぶんね。母はあたしが継ぐって、勝手に決めちゃってるの」
このことは大きなハンディとして、ユカの今後の人生にのしかかっている。結婚相手は神主の資格を取得して、いずれ神社を継がなくてはならない。
会う前の不安と期待。
このうち不安は、小寺と話すうちに少しずつ薄らいできた。かたや悲しいことに、期待の方はずっとしぼんだままである。
スパゲティとカレーが運ばれてきた。
「食べながら話していい? じつはオレ、捜査があって昼も食べてないんだ」
スプーンを手にした小寺が、どうぞと、ユカにも食べるよう促す。
「うん」
ユカはしおらしく返事をして、スパゲティを前にさっそくフォークを手にした。
――なあ、ユカさん。アンタもカツカレーにすべきだったんだよ。
腹の虫が文句をたれる。
隣の庭の芝生は青いというが、目の前のカツカレーがヤケにおいしそうに見える。なによりスパゲティにくらべボリュームがある。
「ということは……」
小寺が開きかけた口を閉じる。
「なあに?」
「神社を継いでない、ということは独身。そういうことなんだな」
「そう、それもピチピチのね」
ユカは暗に恋人募集をアピールしてから、それとなく同じことをたずねてみた。
「小寺君は?」
「オレもだよ。ずっとカノジョのいない、さみしい男を続けてる」
小寺が笑って答える。
カノジョの席が空いているので、そこへ座って欲しい。
ユカの耳には、そう聞こえた。
――これって、もしかして……。
つい心が小おどりする。
――どう、スパゲティも悪くないのよ。
ユカはスパゲティを口に入れ、乙女心を邪魔する腹の虫に言い返してやった。
――バカだなあ、ユカさん。それこそ虫がいいっていうもんだよ。
腹の虫が笑う。
カノジョがいないからといって、ユカになってくれとは、小寺は言ってないのだ。
――そう、早とちりなのよね。でも、もしかしたら……そのときはなんて……。
ユカは勝手に自問自答をしながら、恋人の存在について聞かれることを待っていた。さりげなくスパゲティを口に運びながら……。
小寺は言葉を忘れたかのように、モクモクとカツカレーを口に運んでいる。
結局。
コトは、なりゆきどおりには進まなかった。
ユカの期待を裏切り、小寺は口を開かなかったのである。
無言の食事が終わった。
小寺がコップの水を飲み干し、ようやく口を開く。
「さっきから考えてたんだけど」
「アップルのこと?」
「ああ」
刑事としての性分が身についているのだろう。小寺の中のモードは、すでに事件のことに切り替わっていたのだ。
――ほら、やっぱり早とちりだったんだよ。
腹の虫が声高らかに勝利を宣言する。
――わかったわよ。
ユカはあっさり敗北を認め、うわついた気持ちを頭から振り払った。
「捜査、進んでないんでしょ」
「そのとおりなんだけど、どうしてそれが?」
「わざわざ小寺君が、あたしなんかの話を聞きたがるぐらいだから」
「そう、ワラにもすがる思いでね」
「あたしって、ワラなんだ」
ユカはわざとすねてみせた。
「ごめん。そんなつもりじゃ……」
「いいのよ、ワラで。そのかわりデザートをおごること。それで許してあげる」
「いいとも」
小寺があわててメニューを開く。
「じゃあ、これにするわ」
ユカはチョコレートケーキを選んだ。
これで腹の虫もおさまるとしたものだ。
「チョコレートケーキをひとつ」
小寺はマスターに告げ、それから神妙な顔でユカに向き直った。
「昔の同級生として話したい。鈴部さん、昨日そう言っただろ。オレ、そのことが気になって。警察の者としては話しにくいことなの?」
「そうなの、でも話さなきゃって」
「もちろんアップルのことなんだろ」
「うん」
「じゃあ、まだ話してないことなんだな?」
「信じてもらえないだろうと思って。それに頭を疑われるだろうし」
「そんなに変な話?」
「ええ、霊とか出てくるオカルトみたいなこと。そんな話、警察の人って信じないでしょ」
「さすがにオカルトはな。でも、オレは信じるよ。鈴部さんの話ならね」
「ほんとに?」
「ほんとだ、約束するよ」
小寺がユカの目を見つめる。




