プロローグ
八時半ぴったり。
小林室長が席を立ち、デスクの前に立つのが目のはしに映った。
これから朝礼が始まる。
鈴部ユカはいったん仕事の手を休め、ほかの者と同じように自分もイスから腰をあげた。
――あらっ、散ってしまったんだわ。
職場に着いてからは、ずっとパソコンの画面とにらめっこをしていたので、このときになってはじめて桜の散っていることに気がついた。
広いガラス窓を通して見える、道路と堀をはさんだ向かいの城址公園。その城垣の上、陽当たりの良い場所に一本だけ桜の老木がある。それは先週まで花を残していたのだが、土日の雨で花びらをいっせいに散らしていた。
この老木、季節を勘違いしたことがある。
ユカが市役所に勤め始めた年の、ある小春日和の日のこと。わずかではあったが枝先に花を咲かせ、テレビニュースとして地元の話題をにぎわせたのだ。
――もう、早く終わらせてほしいんだけど。
ユカは心の内でぐちった。
小林の話は長いことで知られている。窓から射しこむ陽光に目を細めながら、長々と続くどうでもいいような話を聞かされてしまった。
朝礼が終わる。
自分の席でひとつ背伸びをしてから、ユカは再びパソコンの受信メールを目で追った。
これがユカの、毎朝の日課となっている。
これらのメールは、ユカが金曜日に退所してから今朝にかけて届いたもので、ほとんどが市民からの苦情や問い合わせに関するものだった。
今日は二ケタの十八件と普段より多い。土曜と日曜の二日分がよけいに届いているのだから、対応するメールがいつもより増えて当然である。
――間に合うかしら?
ついため息がもれる。
事務内規では十時までに各担当課へ転送することになっているのだが、それまでにすべてを転送できるのなら、こうしてため息のもれることもない。なかには意味不明のものや、どの部署が担当すべきかはっきりしないものがある。
朝礼前に簡単なものだけを選び、すでに五件ほど処理をすませていた。残りのメールに目を通し、ユカはさっそく担当課に転送を始めたのだった。
転送している間にも、新たに届いたメールが画面に表示されていた。これらの処理は十時を過ぎてもかまわないのだが、やはりできるだけすみやかに転送することになる。
一方、朝から電話も鳴り続いていた。
今日は月曜日なので、市民からの問い合わせがとくに多い。
本庁舎二階にある市民情報管理室。
ここがユカの今の職場である。それまでは一階の市民課に三年間いて、この情報管理室には去年の四月の人事異動で配属された。
情報管理室は総務部の系列配下にあって、市民相談係、情報管理係、情報処理係の三つの係からなるのだが、そのうちの情報処理係に籍を置いている。
係は係長を入れてもわずか四名で、業務は電話やネットで寄せられる案件の仕分けをしている。ゴミのことなら清掃業務に関する部署へ、税金のことなら各税務に関する部署へと、それぞれ業務を管轄する担当課に転送するのである。
ユカはおもにメールの処理を担当していた。