切離
湿り気を帯びた声。
吐息のような囁き。
腹の底に響くような発動機の作動音は、低く大きく他の全てを飲み込んでいく。
けれど、お互いはお互いにだけ届いた。
それが確かに伝わった。
ただの物陰は二人だけの密室になり、昂る気持ちをぶつけ合い、求めあう。
発動機の刻む律動は、やがて二人を導いた。
思考が鈍り、想いが膨らむ。
それぞれがそれぞれの求めるモノに夢中になると、間もなく弾けた。
発動機は刻み続ける。
それは二人だけのものだった。
「先、行くから。」
唯智花の声には鋭さがあった。
応じるように跳ねた伸一は、そそくさと上体を起こして向き直る。
どう見てもまだ惚けている。
「あ…うん。」
返す応えは鈍かった。
「私、ここの人じゃないし。」
唯智花は既に身支度を終えていた。
なにかを振り切るように立ち上がると、視線すら寄越さず通路を降り始めた。
「唯智花!」
名を呼ばれ立ち止まる。
それは期待。
「…また、後でな!」
それは失望。
結局、ついぞ振り返ることなく、伸一の呼びかけに応える事も無かった。
伸一は決して朴念仁ではない。
掛けたい言葉はいくらもあった。
けれど、それ以上の迷いがあった。
実習を終えて部屋に戻る途中、警報が鳴った。
その時、たまたま唯智花が居た。
何故いるのか等どうでも良かった。
私的な時間も空間も限られた中で、会いたいという想いが募っていたから。
だから、手を伸ばした。
精神的にも肉体的にも負荷の高い状況が続いていた。
ふたりとも鬱屈していた。
歯止めはどこかに置き忘れてきた。
それはどちらのせいでもない。
けれど、どちらも間違った。
言い訳がしたいのではない。
けれど謝るのは違うと思った。
だから、言葉が出なかった。
ただ、一つだけ後悔している。
それは、ここが思い出の場所になってしまった事。
そこだけは、取り返さなければいけないと、そう決心した。
その時だった。
「へ!?」
揺れてる!?
んな馬鹿な…つーかこれ、普通じゃねぇ!
「唯智花!」
着のみ着のままで駆け出す伸一。
その眼前で、隔壁が下りる。
この向こうに唯智花が居る。
その焦りが手元を狂わせる。
開けよ…くそっ。
「おい!唯智花!唯智花!?」
もはや精密な操作など出来ないと悟った伸一は、がむしゃらに壁を叩き始めた。
けれど、1気圧を優に耐える鉄壁が、人の力でどうなるはずもない。
「唯智花!おい!唯智花!」
鈍い衝撃音と伸一の叫びだけが木霊する。
伸一。
声が聴こえた気がした
舷窓を覗き込む。
そこには求めていた顔があった。
何事か叫んでいる。
伸一も叫ぶ。
そして。
唯智花は遠ざかって行った。
短い衝撃達と耳を劈く轟音と共に。
暗い底へ向かって。
「いちかぁぁあ!」
発動機は刻み続ける。
まるで何事も無かったかのように。