小説の散文的感想?② 「猿の惑星」
皆様
いつの時間でも良いように
おはよう\(^-^*)
こんにちは\(*^-^*)/
こんばんは(*^-^)/
タイトルからして映画だと思ってしまわれた方が多いと思いますが、こちらは原作小説です。
つい最近までリブートされたシリーズが映画として公開されていましたね。
「猿の惑星:創世記」から始まり「猿の惑星:聖戦記」で終わる見ごたえ十分なリブートシリーズ。
誰かを愛すること、守ること、仲間や家族との固い絆が、ハリウッド映画では珍しいほど感情的に描かれ、猿たちが人間の心の清らかな部分を人間よりも尊く表現し、人間がその残虐な動物的な部分を悪の権化となり、これでもかというほど人であることとは何なのか、美しい魂とは何なのかと考えさせられる素晴らしいシリーズでした。
今回ご紹介するのは、映画史に刻まれた衝撃のラスト。その原点
ピエール・ブール著
「猿の惑星」
この小説との出会いは、やはり多感な時期でありました思春期です。
とっても映画を見ていましたが、新作映画ばかりに気を取られ、名作、傑作と言われる作品たちに目をくれていなかった時期です。
後々に見ますが、無声映画、またはサイレント映画のチャップリンの「独裁者」や「ライムライト」の他、「吸血鬼ノスフェラトゥ」などなどの白黒映画など興味が湧きませんでした。
ですので、黒沢明監督の作品など一作品も見たことがない「ひよっこ映画おバカちゃん」でした(笑)
この時はまだ「ブレードランナー」「エクソシスト」にも出会っていないので、本当にあまちゃんでしたね(^_^;)
しかし、今回は原作小説との出会いの話ですが、まずは原作を大幅に脚色した映画との出逢いが
「映画」というのは新しいも古いもなく色褪せない
っという心情へと変わるきっかけとなるのでした。父が映画や洋楽が好きだったのは以前にも書いたのですが、今回も父がきっかけでした。
普段映画をレンタルして借りてくるのは家族でも私くらいだったのですが、父が何を思ったのか一本だけ映画を借りてきたのでした。
それが「猿の惑星」でした。その借りてきた理由が可愛いのですが、ティム・バートンの「PLANET OF THE APES 猿の惑星」に愕然としたからでした。
新作映画として公開され、予告を見て私たち家族を連れて映画館にまで行った映画なのに、劇中音楽がマイケル・キートン版の「バットマン」
後にサム・ライミ監督の初期の『スパイダーマン』三部作などの音楽家ダニー・エルフマンで、父は興奮と感動を与える素晴らしい音楽で、映画館で見てそれだけが良かった。正解だったと文句を言っていました。
まぁこの作品を見た方は解ると思いますが、内容がまぁまぁ……でしたので、父はお冠でした。そして私にこう言ったのでした。
「昔の猿の惑星の方が面白かったよな?」
「私見たことないよ」
「……」
「それ古い映画でしょ? それにさぁ、結末が有名すぎてめちゃくちゃネタバレしてるし、見てもしょうがないじゃん」
「……」
そんなことがありまして、無理矢理に私はチャールトン・ヘストン主演「猿の惑星」を観賞することになりました。
有名すぎる結末に至るまでの過程が素晴らしすぎて、ネタバレしているのにも拘らず、ラストシーンに迫った瞬間に涙が溜まり、そしてついにあの有名なラストになった瞬間、衝撃のあまり涙を流してしまったのでした。
それほどの映画です。何より原作のエッセンスが娯楽へと変換された象徴的なラスト。かくして胸を震わせるほどの物語。
映画はそうですが、原作は映画とは大きく異なるのです。父は涙した私を見て、すぐに、どうしてか原作小説を買ってきてくれたのでした。
一緒にウィリアム・ピーター・ブラッティの「エクソシスト」の原作小説を添えて。
父からすれば、子供時代に読んで衝撃を受けた映画原作とのことでした。私は「エクソシスト」をまだ見ていなかったので、まずはつい先日に見た「猿の惑星」から拝読することにしたのでした。
ここで簡単なあらすじです。
宇宙ヨットで遊覧を楽しんでいたカップルが、一通の通信文が入った容器を拾った。そこに書かれていたのは、太陽系の調査を終えた人間が、恒星間飛行で未知の宇宙空間へと旅立った三人の宇宙飛行士たちが不時着した「猿の惑星」での記録だった。
では、私のをかしを徒然なるままに――
小説を読み終えて最初に思ったのはティム・バートン監督版のリ・イマジネーションと称した映画「PLANET OF THE APES 猿の惑星」は原作にほぼほぼ忠実だったんだなぁでした。
何より読んでいて面白かったのは、種族によってできることとできないことがはっきりと、いや、露骨に強調されてコメディのようになっている所でした。
社会風刺、というような小説をあまり読んだことないのですが、皮肉がとても鋭く、鋭利な刃物だと思ったら、実はオモチャでした。
そんな印象を読んで思いました。読んでいて、主人公に陶酔してしまうことが多いのですが、この時はまだ読んでいなかった、以前散文的感想を書いた「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」と同じような印象を受けました。
「アンドロイドは――」の主人公デッカードは共感というよりは憧れや悲壮感に惹かれたのですが、この主人公、知性の塊のような方でして、何故か当時の先生を思い浮かべながら読んでいました。
知性を持つことは魂の根幹であり、脅威である。猿の方が優れた知性を持ち、人間が動物として認識された逆転の世界で、人間の住む地球からやって来た主人公たちがどうなっていくのか、といういかにも映画になりそうなネタでしたが、実際に原作ではドラマチックな出来事や娯楽めいたアクションはほとんどありません。
動物で知性の欠片もないという固定概念しかなかった猿たちに捕虜にされる屈辱めいた驚きと彼らが受ける仕打ちは、痛々しく、考えてしまうのは、立場がまさに逆、人間の元に知性のある猿が来たらどうなるのか。その時、私達はどうするのでしょうね。
そして、この作品が最も面白く輝く瞬間は、やはりラストです。数年前に話題になり映画化もされました「イニシエーション・ラブ」の小説の宣伝文句は「最後の二行、あなたは必ず読み返す」で起こる「大どんでん返し」が「恋愛小説」から一変して「恐るべき物語」へと変わる作品でした。
実は「猿の惑星」の映画の衝撃のラストはここから着想を得たと思わせる衝撃の文章が、原作小説の最後の最後に待ち受けているのです。
最初はお話が映画と違うと多感なお年頃な私は思っていましたよ。しかし、それが最後の文章を読んだ時に思わず目を見開きました。
固定概念、そして、物語を表面上でしか読み解いていなかったと悔しい思いをしたのを今でも鮮明に覚えています。
こうして私は、初めての映画原作小説を読み終えて、いざ次に待ち構えている「エクソシスト」へと手を伸ばすのですが、ここで迷いが生じます。映画を見てからにするのか、読んでから映画を見るのか。
究極の選択を迫られた私がどちらを選んだのか、それは次回の散文的感想「エクソシスト」をお待ちください。
ではではまた次回です(*・∀・*)ノ
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