02.善人、温泉の湯気をとってしまう
揺れる馬車の中で、私は魔法を使った。
一瞬まばゆく輝いた魔法の光はすぐに収束して、私の手のひらの上で物質化した。
作りあげたそれを、アンジェに手渡す。
「これは――髪飾りですか? アレク様」
「うん、形はそう。お守りとして持って、つけておいて」
「お守りですか?」
「前に魔法を全て無効化する魔法を喰らったことがあってね、それのまねっこ。ピンチになった時地面とかに落とせば発動して、周りのあらゆる魔法をかき消すから。どんな魔法でも無効化するから」
「ありがとうございます、アレク様!」
アンジェは髪飾りを大事そうに両手で包み込む様に持つ。
つけるのももったいない、って感じで大事そうに持っている。
そうしてる姿が幸せそうでそれも可愛いから、しばらく好きな様にさせてあげた。
馬車が更に進む、御者はいない。
私の魔法で操縦している馬車は全自動で目的地に向かって進む。
自動馬車に揺られて、私とアンジェは二人で目的地に向かう。
☆
丸一日馬車に揺られてやってきたのは、ゼアホースという小さな町。
街中に入ったから馬車の速度を少し落としたところで、アンジェが小首を傾げた。
「あれ……」
「どうしたのアンジェ」
「なんか……変なにおいです」
「硫黄のにおいだね。温泉街にはつきもののにおいだよ」
「これがそうなんですか、初めてです。ところでアレク様」
「なんだい」
「そろそろ、どうしてここに来たのかを教えて下さい」
「そういえば言ってなかったね」
アンジェが従順についてきてくれるものだから、うっかり説明を忘れた。
「最近この街で色々変な事が起きてね、それをなんとかしてくれって泣きついてきたんだ」
「変な事……ですか?」
「うん、料理がいつの間にかなくなったり、干して乾かした洗濯物に温泉の水をかけられたり……色々」
「ちっちゃい子供のイタズラでしょうか」
「内容はね。でも不思議な事に犯人は見つからないんだ。妖精とか悪魔とか、この街の人はその辺を疑ってる」
「そっか、だからアレク様にお願いが」
「うん、それがついで」
「ついで、ですか?」
更に小首を傾げるアンジェ。
それも一瞬の事、すぐに表情を引き締めた。
アンジェの勘違いが手にとるように分かる。
『こんな些細なことにアレク様が出張るなんておかしい、そっか、カモフラージュでもっと大事な用事があるんだ』
そんな風に勘違いされているのが手にとるように分かった。
「私、頑張ります!」
拳を胸もとで握って意気込むアンジェ。
「うん、頑張ってね。アンジェが楽しんでくれないと意味がないから」
「はい! 頑張って楽しみます! ――楽しむ?」
「うん」
「どういう……事ですか?」
「だって旅行だから」
「え?」
「大事なアンジェと二人っきりの旅行。楽しんでくれないと一緒に来たかいがないよね」
「……あっ」
自分の勘違いと、私の真意を同時に気づいたアンジェ。
彼女は恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうにうつむいたのだった。
☆
「こちらが当旅館自慢の露天風呂になります」
アンジェを楽しませるための旅行がメインの目的だから、私たちは正体を隠して、ただの旅人としてゼアホースの普通の温泉宿に泊まった。
普通に宿の従業員に案内される私たちは、露天温泉の入り口から中をのぞく。
露天温泉には何人かの大人の女性が湯船に浸かってて、景色を眺めていた。
「わあ、綺麗なお風呂、それに綺麗な景色」
「うちの宿は最新の魔法温泉なので、安心して入っていただけますよ」
「魔法温泉? どういう物なのですか?」
「それは――あっ、あれをみてください」
「あれ?」
「わわ!」
驚くアンジェ。
従業員が指でさした先で、一人の女性が湯船から上がった。
一糸まとわぬ姿で丸見え――かと思えばそんな事はなかった。
女性の大事な所、胸を始めとする三箇所くらいが濃い湯気で隠されてる。
「あれって……なに?」
聞くと、従業員の女性はドヤ顔で答えた。
「魔法の湯気です! ああやってちゃんと隠れるから、うちの温泉ではタオルも水着もいらないんですよ。みんな安心して裸でお湯に浸かれます。気持ち良いですよ!」
「……なるほど」
魔法の湯気か。
もう一度湯船から上がってる女性を見た。
身を乗り出して景色を見るが、湯気はしっかりついていって大事な所をちゃんと隠した。
かなり高性能な湯気と見た。
「それってとれない物なの?」
「大丈夫です! 大地の精霊の加護だから、ちょっとやそっとの事ではとれません」
またまたドヤ顔で言われた。
なるほど、大地の精霊まで絡んでるのなら、信頼性は高いな。
私も豊穣の女神アスタロトを仲間にしてるから、感覚は分かる。
その証拠に、入ってる女性はこっち――男である私に気づいていながらも、ほとんど気にすることなく温泉に入ったり出たりしている。
湯冷ましに風呂の枠に腰掛ける女性の大事な所はきっちりと湯気で隠されてる。
うーん、見えない。
見えそうで見えない、高性能だなあ。
何となくアンジェの方を見た。
そういうつもりじゃなかったけど、アンジェにはそう感じたみたいだ。
彼女は恥じらって、顔を赤らめて手で自分の大事な所を隠した。
服を着ているのにもかかわらず、思わずそうしてしまった。
「あっ……」
隠す動作で手が従業員にぶつかった。
その拍子で、さっき渡した髪飾り、まだ大事に持っててつけてない髪飾りが手元からこぼれ、床に落ちた。
瞬間、光が広がる。
髪飾りが弾けて、封じ込めた魔法が発動。
「えっ――きゃあああ!?」
「どうして、どうして湯気がとれたの?」
「ちょっと見ないで!」
露天風呂の中がパニックになった。
かつて私も喰らったことのある、あらゆる魔法を無効化する魔法。
それが発動して、大地の精霊の加護さえも消し飛ばした。
風呂から上がっている女性達は一瞬で温泉の中にパシャンと飛び込んだが。
「……」
幸か不幸か。
中身が少年ではなくおっさんの私は、一瞬だけ見えた幸せなものをしっかり網膜に焼き付けたのだった。




