08.善人、豊穣の女神を救う
カイエラ村の畑を一通り整地――いや再開拓して、農作が出来る土地にした後、今度は水源をちゃんと確保するための作業に入る。
小さい魔力球でいくつか掘った中で、一番水が湧いてる場所に立った。
「これをどうするよボウズ」
「そうだね、ここに高い台を作って、そこから全部の畑に流れる用水路を作るよ」
「高台か」
「うん、その方が水を流すのに便利だと思う」
さて台はどうするか。
賢者の石にいい方法は――と聞こうとした、その時。
大地がいきなり揺れ出した。
「――え?」
「危ねえ! つかまれボウズ!」
ミラーは私の手を掴んだ。
どこからどう見ても老人なミラーだが、まるで足が地面に根を下ろした大樹の如く、地震の中びくりともしなかった。
一方、離れた所でそれぞれの畑でこれからの農作に思いをはせて、テンションを上げていた村人達は次々と転げ回った。
「揺れが長え……なんじゃこりゃ」
「あっ!」
「どうしたボウズ!」
「水の色が紫に……あれは……毒?」
「むぅ!」
ミラーの顔色が変わった。
私が魔力球で掘りあてた、あっちこっちから吹きだしてる湧き水が、一斉に毒々しい色合いに変わっていた。
ポコポコと水が沸騰したかのように泡を吹き、紫色になってドロドロしている。
誰が見てもまずは「毒?」って疑うような見た目だ。
「こいつぁ……まさかッ」
何か知ってるの――とミラーに聞こうとした瞬間。
大地が更に大きく揺れて、地中から鼓膜が破れそうな爆音を轟かせながら、黒い物体が飛び出してきた。
物体は空中に、三階くらいの高さに飛び上がって、その場でピタッと静止した。
女の姿だった。
黒いドレス――ボロボロのドレスをまとった女。
目が濁って、全身がプルプル震え、口から紫色のよだれを垂らしている。
滞空したまま、獣の様なうめき声を漏らしている。
まるで地獄の底から漏れ出してきた様な、おどろおどろしい呻き声だ。
「やっぱりヤツか!」
「ヤツ?」
「アスタロトってんだ、五十年前アイツに会った後わしはおかしくなった」
「ってことは……ミラーに呪いを掛けた張本人」
頷くミラー。
なるほど、言われてみれば彼女とミラー、いくつも共通点はある。
ミラーの毒手、それと今地面から吹きだしている毒の水。
そして何より、アスタロト本人の体から放っている瘴気。
念の為に、賢者の石に「アスタロト」の事を聞いた。
あらゆる知識を持っている賢者の石。
……なるほど。
「あれ以来姿見えなかったが……ボウズが掘り返した地中にいたってことかい」
「そうかもしれない」
「なんにしろだ。ここであったが百年目、目にものを見せてくれるわい」
「待って」
「なんじゃいボウズ」
「僕にやらせて」
「……そうだな」
アスタロトを見た瞬間から戦意が上昇していったミラーは、私が名乗りを上げた瞬間、上昇よりも格段に早いペースで下落して、顔から険が消えた。
「ボウズに任せた方がいいわな」
ミラーはそう言って、雰囲気が完全に観戦モードのそれになった。
私は一歩踏み出して、アスタロトに向かった。
滞空して、それまでただただ苦しんでいたアスタロト。
そのアスタロトが僕に気づいて、更に苦しみだした。
よだれをまき散らし、口を頬まで裂けるくらい開いて、息を吐いた。
毒水よりも更に毒々しい色合いの息。
多分――毒の原液。
それを私に向かって吐いてきた。
とっさに炎の魔力球を作って、飛んで来た毒液を蒸発させた。
一部消し損ねたのが地面に届き、土さえもその毒に溶かされた。
周りから悲鳴が上がる、村人達が逃げ惑う。
時間は掛けられない、一気に行く。
私は手を突き出した、指先に魔力を集中させる。
SSSランクの魔力、神に等しい魔力。
それを指先に集めて、小さな太陽の様な魔力球を作った。
毒液を完全に無効化されたアスタロトが、獣の様な悲鳴を上げて、私に向かって飛んできた。
「ボウズ!」
ミラーの叫び声を背にしつつ、アスタロトに向かって行く。
迎撃――そしてカウンター。
これまでで一番濃厚な毒息を追加の炎の魔力球で消しながら、カウンターで小さな太陽を打ち込む。
魔力球がアスタロトの体内に入る。
光が彼女を包む、苦しみでのたうちだす。
これまでの苦しみと違うタイプの苦しみ。
私が打ち込んだものの効果が出たからの苦しみ。
「おお、効いてるぞい」
百戦錬磨のミラーもそれを見抜いているようだ。
しばらくして光が落ち着いた頃になると、アスタロトは糸の切れた人形のように、膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。
ミラーがゆっくりと歩き、私に近づく。
「終わったか」
「うん」
「かかか、さすがボウズ。わしを五十年間苦しめた元凶をいとも簡単に始末するとはよ。感謝するぜい」
そう話したミラーの表情は晴れやかだった。
――が。
「ううん、始末してないよ」
「……は?」
どういう事だ、って顔をするミラー。
それに答えるよりも先に、アスタロトが立ち上がった。
地面に手をついて、ゆっくりと体を起こして、周りを見る。
「まだだったのか!」
本能か反射か、アスタロトの行動に反応して身構えるミラー。
「ううん、違うよ」
「へ?」
「どう? まだ苦しい?」
ミラーにじゃなく、アスタロトに聞いた。
彼女はきょろ、きょろと、何が起きたのか分からないって顔で周りを見ていた。
瞳には、知性の光が戻っていた。
「ここは……人間の世界? わたくし一体何を」
「喋った!? いや普通に喋った?」
驚愕するミラー。
私は、賢者の石に確認を取ったときに得た知識を語った。
「アスタロトは元々邪悪な存在ではなかったんだ。元々豊穣――豊作を司る神だったんだ」
説明してから、再びアスタロトに聞く。
「どう、まだ苦しい?」
「……いいえ。そう、あなたがわたくしを助けてくれたのね」
「悪くなった要素を取り除いただけだよ」
「感謝しますわ」
どうやらもう大丈夫のようだ。
かつての豊穣の女神だった彼女の復活は、きっとこの大地にとってプラスになるだろう。
私とアスタロトが向き合っている傍らで。
「はあ……すげえなボウズ。悪魔を倒したと思ったら女神に戻しちまいやがった。いつもいつもわしの予想の上をいくなあ」
と、ミラーが舌を巻いていたのだった。




