09.善人、賢妻に恵まれる
国父領アヴァロン、副帝都グラストン。
領主の館のリビングで、アンジェとエリザの二人が昼下がりのティータイムを嗜んでいた。
太平の世を象徴するような黄金色の日差しが壁一面の窓ガラスから差し込まれて、美女と美少女の周りを彩っていた。
「もうすぐね、二人の結婚式」
「はい、ドキドキわくわくの毎日です。尊敬するアレク様といよいよ結婚が出来るって思うと……毎日夜も眠れません」
「尊敬なの?」
「はい! 憧れです、世界一素敵な男の人だって思います」
「はいはい、熱い熱い。そこまで剛速球でのろけられたら用意してるからかいが全部使えなくなっちゃうじゃない」
「もう、お姉様ったら」
くつろぎ、雑談に興じる二人の姿は、実の姉妹以上に仲がよいように見える。
皇帝エリザベート一世の義妹というのは、本来であれば爵位を持つ貴族とほとんど同じ立ち位置であるのに、この二人に限って言えば主従というよりも本当に姉妹っぽい。
「でも、本当に楽しみです。皆さんどういう人なのかもわくわくです」
「皆さんって?」
「はい! この先アレク様のお嫁さんになる皆さんです」
「もうそんな事を考えてるの?」
考えるのがおかしいという発想は決してエリザからは出てこない。
アレクとアンジェらと、またメイド達ともフレンドリーにしていながらも、彼女は皇帝――生粋の高貴な生まれだ。
貴族の長子が、よほどの変人でも無い限り正室側室妾と、「妻」に相当する相手を何人も抱えるのがあたりまえだから。
良い・悪いという話では無い、それが貴族の世界ということだ。
「はい! アレク様のお嫁さんになる人はきっとみんな素敵な人達ばかりだと思います! みんなと仲良くなりたいです」
「ふふ、まるでアツージ姫ね」
「どなたですか?」
「歴史上の人物よ。たぐいまれな賢妻でね、武将であった夫をもり立てて家を上手く治めたという人。どの史料をみても妻同士はまったく諍いがなかったみたいよ」
「仲良しなのは良いことです!」
「アンジェリカ姫も将来はそう史料に書かれるのかもね。妻達を上手くまとめ上げた稀代の賢妻、と」
「そ、そうですか?」
「だってみんなと仲良くしたいのでしょう」
「はい」
「彼の側室になりそうな子、庶民の出も何人かいるでしょう」
「えっと……はい」
エリザもアンジェもアレクと付き合いが長く、彼女達の目からそれらしき少女が何人かいることが分かっている。
そして、二人はそうはならないが、庶民がほとんど一夫一妻である事も知っている。
「その子達と上手く仲良く出来たら自然とそう書かれるわよ。そもそも、アレクのすごさは史料なんかには100%書き切れないしね」
「えっと……?」
アンジェはどういう事なの? と小首を傾げてエリザを見つめる。
「つまり、史料という文字に落としたら、アレクはそこそこの傑物にしかならないってこと。すごすぎると嘘くさいのよ、歴史っていうのは」
「そうなんですね」
エリザはにこりと微笑んだ。
そこを素直に納得し、受け入れることが出来るのがアンジェの得がたい美徳だと彼女は思っている。
「だからアレクにこのアヴァロンに入れって命令したのよ。ここに来れば、どう控えめに書かれても長い間荒廃したアヴァロンを建て直した、という実績はのこる」
「なるほど!」
「話がずれたわ。まあそういう『そこそこの傑物』の影に賢妻があった。後世はその話をすんなり受け入れるし、アンジェの名前もいつまでも残るわね」
「は、恥ずかしいです……」
アンジェは朱に染まる頬に手をあてて文字通り恥らった。
話が一段落したところで、アンジェが違う話を切り出した。
「あの……お姉様は?」
エリザは聡い。
元から生まれ持った性質と、皇帝として君臨し続けた「日々の訓練」の結果で、彼女は聡く、言葉の行間を読む能力に長けている。
若干の申し訳なさから言葉足らずになったアンジェの言葉も正確に理解した。
「余は難しい。彼を幸するのは本意では無い」
皇帝としてだとどうしてもそうなる、とため息をつくエリザ。
アレクとの出会いが十年も遅ければ、「皇帝」が完全に彼女の中に染みついていれば抵抗感は無かっただろう。
しかし彼女は少女の時期にアレクと出会い、度重なるお忍びで、皇帝では無く女の心と気持ちを保ってきた。
その気持ちが皇帝としてアレクを幸するという形を拒んでいる。
「いつもメイドになってるのに?」
「メイドはオーケーなのよ。明らかにおかしい行為は、何かの調査とか、そういう言い逃れが出来る。実際そういうことをしているしね」
「あっ、そうですね」
「彼の――妻になるということはそうはいかない。厳密に言えばなれないことは無いけど、子はなせない。そこまで行ったらいいわけがつかないのよ」
エリザの語気に微かな苦いものが混じっていた。
その一方で、
「お姉様、世の中には似てる人が三人いるっていうんです」
アンジェは笑顔のままだった。
「どういう事?」
「皇帝陛下はすごくアレク様を気に入ってます」
「……ええ」
「ある日自分とうり二つの女の子を見つけた。これだ! って思った陛下はその子を義理の妹にして、アレク様に下賜した」
というストーリーがある――の部分を笑顔のまま呑み込むアンジェ。
それを聞いてエリザは唖然とした。言わんとする事を理解できたからこそだ。
「なるほど、盛大に儀式をして、私とその子を同時に公の前に姿を見せる。それでその後は大手振って」
「はい!」
「……どうしてそこまでしてくれるの? さっと出たって事は、ずっと考えていたのよね」
「だって、アレク様のお嫁さんになるのは世界一幸せな事だから」
即答するアンジェ、迷いは一切無い。
「だから、お姉様も」
「……お人好し」
「えー、ひどいですお姉様」
「アレクが移ったのね」
「えー……えへへ」
恥じらうアンジェ、すごく嬉しそうだ。
そんなアンジェを見て、エリザもわらった。
さっきまでの憂いはもう跡形もない。
「それは私がやっとく、アレクには内緒ね」
「はい!」
アレクの知らないところで、幸せの道が作られていた。