04.善人、倍率を一万にしてしまう
私はイーサンと二人で、魔法学校の中を歩いた。
名誉校長だけじゃなくて、本格的に授業を受け持つとなると、何があるのか、何処にあるのか、それを把握しておく必要があると思ったからだ。
それをイーサンに言って、一通り案内してもらった。
さすがは皇室最後の砦として作られただけの事はある。
食料庫とか武器庫とか、建物そのものの作りとか。
まさしく砦、いや要塞級と言っていい。
よく攻城には三倍の兵力が必要だと言われるが、ここなら十倍の兵力差でも凌げそうだ。
逆に、ここが反乱軍とかに抑えられたら大変な事になる。
エリザが私を送り込んだ理由が今更ながら更によくわかった。
そんな感想をおくびにも出さず、私は表面上の感想を口にした。
「すごいね、ここ。ここだけで一つの街みたいだ」
「いざという時陛下に使っていただくためですから、これくらいは。もちろんそんな事は起こりえませんが」
二人っきりになったから、イーサンはここが砦だという事をあっさり認めた上で、私の感想に返事をした。
「こんなちゃんとしてる所で、僕は何を教えたらいいんだろ」
「殿下の思うがままに」
「うーん」
それが一番困るんだけど。
私の苦手な魔法を教えろといわれた方がまだ気が楽だ。
どうするべきか、と考えながら歩いていると。
学校の敷地内に流れる川の畔に、一人の女の子がいた。
今の私より少し年上、10歳くらいの女の子だ。
黒い髪は艶やかで長く、小さい顔はまるでお人形の様に可愛らしい。
アンジェよりも年上だが、雰囲気は逆に少し幼い。
そんな女の子は川の畔で、一杯の水に向かって手をかざして、むむむ、と唸っていた。
力みすぎるあまりに顔が真っ赤になっている。
「変化がないね」
「ひゃん!」
私が背後から声を掛けると、女の子は比喩ではなく、本当に飛び上がるくらい驚いて、ズザザザ、と後ずさって私から離れた。
「だ、誰ですか――あっ、校長先生」
「こんにちは、シャオメイ・メイさん」
どうやら女の子はシャオメイという名前らしい。
「こんにちは、校長先生。あの、この子は……?」
「失礼ですよメイさん。こちらは本校の名誉校長にして、帝国の偉大な副帝殿下であらせられます」
「えええええ!? あ、あの副帝殿下様!?」
シャオメイは更に、ひっくりかえる位驚いた。
殿下に様は蛇足だけど、盛大にびっくりした10歳の女の子ならそんなものだろう。
「ごめんなさい! 私、お顔とか全然知らなくて」
「気にしないで。僕がそうなったのは最近だから。それよりも――」
ついさっきまでシャオメイが手をかざしていた、一杯の水を見た。
「魔力のチェックをしていたの?」
「……はい」
うん? どうしたんだろう。
魔力のチェックをしているのかって聞いたら、シャオメイはいきなり表情が暗くなった。
「まだダメなのですか、メイさん」
「はい……」
「どういう事なの?」
「メイさん、彼女はどうやら魔力を持たないようです」
「魔力が無い?」
「ええ、もう一年近くずっとこうしてテストをしていますが、水に変化が起きた事は一度もありません」
イーサンはシャオメイが使っていた水をコップごと持ち上げて、太陽にすかしてみたり、においを嗅いだり、指をいれて温度を確認した。
何かしら変化はないか、とあれこれ見ている。
「私は……やっぱりダメダメです。お父さんが一生懸命私をこの学校に入れてくれたのに……」
「諦めてはいけませんよメイさん。どんな人だって、最初から魔法を自由自在に操れる訳ではないのですから」
「でも……こんなにダメなのは見た事ないって、みんな言ってます」
シャオメイは自分の手をぎゅっと掴み、下唇をかんでうつむいてしまった。
たしかにそんな話は聞いたことがない。
魔力のチェック。
普通は一年近くもやってれば、それ自体が訓練になって、水に何かしら変化が出るものだ。
それすらないと言うのは、私の前世の記憶を合わせても聞いたことがない。
気になって、賢者の石に知識を求めた。
そんな事はあるのか、どういう事なのか、と。
賢者の石はすぐに知識となる答えを返してくれた。
私の頭の中に流れこんでくる知識、それを持って、目を凝らして、シャオメイを見る。
頭のてっぺんから足のつま先まで。
すると、指にそれを見つけた。
「……なるほど」
「え? 何かおっしゃいましたか殿下」
「見てて。シャオメイさん」
「よ、よよ呼び捨てで結構です殿下」
「じゃあシャオメイ。手を貸して」
「手……ですか?」
戸惑うシャオメイ、何をされるのかという不安を顔にのぞかせた。
彼女はイーサンを見て、イーサンは静かにしかしはっきりと頷いた。
大丈夫、と無言で励まされたシャオメイは手をおずおずと差し出した。
人形のような、小さくて白い、柔らかい手。
私はその手を取って、彼女の薬指に口づけした。
「ひゃん! な、ななななにを――」
びっくりしすぎて私から飛びのいて、ものすごい勢いで後ずさるシャオメイ。
勢い余って、背後にある木に背中からぶつかった。
その、瞬間。
シャオメイの体から煙のような物が一気に吹きだした。
最初は沸騰した鍋の蓋を開けたときのようにぶわっと吹きだしたが、それが落ち着くと、煙は大量に彼女の身体を包み込んだ。
「こ、これは――?」
「彼女の本来の力だよ」
「本来の?」
「さっき僕が口づけをしたところ、あそこに淀みがあったんだ。右手の薬指、心臓に直結していると言われてる指は魔力線の基点でもある。その根元が彼女の場合何故かせき止められていたんだ」
「そうでしたか、いえしかし、我々もその可能性を検討しましたが、そう言った淀みはまったく見つけられませんでしたぞ」
「彼女の魔力を見て」
私はシャオメイをさした。
彼女は自分の体から出ている魔力を見てアワアワしている。
「コウモリの超音波をしってる? あれと同等以上の魔力じゃないと見えないんだ」
「なんと! ということは――」
「うん、彼女はこの魔法学校で、教師達も含めて一番魔力量がおおいみたいだね」
「そうでしたか……さすが副帝殿下。それを見抜けるとは感服いたしました」
「それよりもシャオメイ」
「は、はひ!」
「その状態でもう一度やってみて」
私はコップを渡した。
シャオメイがさっきまでずっとやっていた、魔力チェックのコップだ。
「でも……私なんかじゃ……」
「今のシャオメイならできる」
「でも……」
「僕が保証するから、僕を信じて?」
シャオメイはハッとしてから、おずおずと手を伸ばして、私の手からコップを受け取った。
そしてコップに手をかざして、魔力を込める。
「――え?」
「やっぱりね」
「こ、これはどういう事なんですか殿下」
驚くシャオメイ、私に説明を求めた。
彼女が持つコップから、水が完全に消えていた。
「シャオメイの本当の魔力が強すぎて、コップじゃ測りきれないんだ」
「――はっ!」
そこは魔法学校の校長。
予想してなかったことだからすぐに分からなかったが、言われるとその現象を理解できた。
私は更にシャオメイに。
「コップじゃ無理だから、そこの川で試してみて」
「は、はい……」
シャオメイはおずおずと川に近づき、手をかざす。
魔力を送り込んだ結果――川が凍った。
直前まで水面が太陽を反射してキラキラしていた川が、一瞬にしてカッチコチに凍った。
「うん、シャオメイは氷属性が得意みたいだね」
「……」
シャオメイはあんぐりと、信じられない、って顔で私と凍った川を交互に見た。
「良かったね、シャオメイ」
「――は、はい!」
シャオメイは大きく頷いて、まなじりにうれし涙を浮かべたのだった。
☆
「おう! やったな義弟よ!」
翌日、アンジェと一緒に朝起きて、身支度をしてリビングにやってくると、屋敷の主、ホーセンがつかつかとやってきて、私の肩を叩いた。
「ど、どうしたんですかホーセン様」
「昨日魔法学校で起きた事を聞いたぜ。A……いやSランクに相当する魔法使いの潜在能力を目覚めさせたそうじゃねえか」
「シャオメイの事? やっぱりSランク相当はあったんだ」
昨日の段階で何となくそう思っていた。
コップの水を一瞬で消し飛ばし、川を完全に凍らせた。
私がコップも池も消し飛ばした事があって、それよりも若干弱めだと考えたら、Sランクが妥当なんじゃないかと思った。
「さっそく噂になってるぜ、副帝様で名誉校長の指導力すげえ、ってな」
ホーセンは相変わらず若者っぽい言葉使いをするが、その分わかりやすかった。
「すごいですアレク様、さすがです!」
「陛下に頼まれたからね、下手な事をして陛下の顔に泥はぬれないよ」
「はい!」
「まあでも、それでちょっと困ったことも起きてるがな」
「困ったこと? ……なんでそれでホーセン様がニヤニヤするの?」
「あたりまえだろ。俺別に魔法学校関係ねえから、どんなに困ったことでも素直に義弟すげえ! って言ってりゃいいのよ」
「なんか悪い予感がするんですが……一体どういう事なんですか?」
聞くと、ホーセンは更にニヤニヤして。
「指導力の噂が早速広がって、来年度の入学希望者が殺到してるらしいぜ」
「あっ、そうなんだ」
「倍率は今朝の時点で一万超えた」
「……えええ!?」
倍率って、あの倍率?
試験とか合格の、あの倍率。
「どういうことなんですか、ホーセン様」
アンジェはよく分かってないので聞くと、ホーセンは更に解説した。
「希望者が多すぎて、いつもは希望すればはいれるのに、今朝から一万人に一人しか合格出来なくなったんだよ」
「わああ! すごい! すごいですアレク様!」
「すごいだろ? さすが義弟だ」
「はい! さすがアレク様です!」
ニヤニヤするホーセンと、目を輝かせるアンジェ。
二人は、メチャクチャ意気投合していた。