10.善人、アフターケアも完璧
あばら屋の中、俺とエリザ、そしてマリとその姉であるリリー。
四人が入ると、途端に狭く感じる様になるあばら屋の中にいた。
リリーは未だに啜り泣いている。
「泣き止まないな」
「今までがよっぽどつらかったんだよ」
「そうか」
私が言うと、エリザはすんなりと納得した。
しばらくの間、啜り泣くリリーとあやすマリを見守った。
やがて。
「すみません……」
「気にしないで。それよりももう落ち着いた?」
「はい。本当にありがとうございます……」
「うん。落ち着いて早速で悪いんだけど、説明しなきゃいけない事があるんだ」
「説明?」
「うん、実はね――」
説明を始めようとした途端、外からこぶし大の石が投げ込まれてきた。
充分に殺傷力のあるそれはあばら屋の壁を突き破って、私とエリザの間を通ってあばら屋の向こう側に転がっていった。
「何事っ!」
「大丈夫です」
片膝を立てて身構えるエリザに対して、リリーは落ち着いていた。
「すこし待っててください」
リリーは慣れた様子で、あばら屋の外に出た。
どういう事なんだろうか――と私が不思議に思うのと同じように、エリザも事態が気になって、立ち上がってリリーの後を追った。
私もその後を追いかけて外に出ると、リリーと、若いチンピラ風の男が向き合っているのが見えた。
チンピラの男は何故かポカーン、とした顔でリリーを見つめている。
「どうしたのリリー」
「いえ……彼がこうなるのは初めてで私にも何が何だか……」
どうやら顔見知りではあるが、リリーにも分からない反応だったようだ。
しばらく待っていると。
「綺麗だ」
「え?」
「あんたみたいな綺麗な人はここにいてはだめだ。知ってるか、ここには化け物が住んでるんだぜ」
化け物……?
「治る前の事でしょ」
隣でエリザが私の疑問を読み取って、推測してくれた。
そしてその推測が当っているらしく、マリが小声で説明してくれた。
「あの人、いつもうちにイタズラしてくるんです。お姉さんのことを化け物だっていって、石を投げたり家に落書きしたり」
「そんな事をしてたのか」
「だとしたら滑稽だな」
男言葉のエリザがそういいながら鼻で笑い飛ばした。
化け物と呼んでさげすんでいた相手が目の前にいると気づかずに……なるほど。
「俺が守ってやるから、一緒に来いよ」
「それなら大丈夫」
リリーはそう言って、全くの無表情になって。
「化け物はもういないから」
と、声色を変えた。
「そ、その声は!?」
驚くチンピラの男。今の声色で気づいたか。
「私を連れて行ってくれる? いいわよ。ただし夜中何かが垂れてきても責任は持てないわよ」
「ひいっ! ば、化け物め!」
男は悲鳴と捨て台詞を残して、脱兎の如く逃げ出した。
その姿を見てエリザは思いっきりさげすんだ目をして。
私も自分でわかるくらい眉をひそめたのだった。
☆
リリーがものすごくなれた手つきで岩にぶち抜かれた壁を補修したあと、再び向き合う私達。
男の一件で、壁を修理したという日常を挟んだ事で、リリーは見るからに落ち着いて、平静を取り戻していた。
「すみません、変なのを見せてしまって」
「気にしないで、君のせいじゃない」
「ありがとうございます……あの!」
リリーが決意の目をして、私を見つめて切り出した。
「恩返しをさせてください!!」
と、ものすごい勢いで言ってきた。
「恩返し?」
「はい!」
「気にしなくいいよ、当たり前の事をしただけなんだから」
「それでもさせてください! 何でもします!」
「本当に――」
「本当になんでもするのか?」
――気にしなくていい、と言いかけたのを、横からエリザが割って入ってきた。
「はい!」
「じゃあ死んで。というか殺されて」
「エリザ!?」
「彼は今それが必要なの」
「――っ!」
驚く私、エリザの意図を理解した。
今日、あの娼館に言ったのは(神基準で)悪事を働く事。
娼館では出来なくて、その帰り道が今だ。
その事を私はすっかり忘却の彼方だったが、エリザは覚えていた。
「どう? 死んでくれるか?」
「はい」
「リリー!?」
さっき以上に驚愕した。
エリザの「死ね」にも驚いたが、それは「要求」という言ったもの勝ちだから驚きには上限がある。
その「死ね」を躊躇のかけらも無く受け入れたリリーの反応は、さっきの倍――いや十倍くらいびっくりした。
「どうして」
「私は今日まで地獄にいました。この顔のせいで」
「……」
「地獄でした」
同じ言葉を二回言った。
よほどだったんだな。
「それを助けてくれたあなたは、私にとっての神です。神がこの命が欲しいというのなら、私は喜んで差し出します」
「ってわけだ。その言葉に甘える?」
「さすがに怒るよ」
エリザをギロッと睨む。
男装の彼女は肩をすくめてふって笑った。
エリザを黙らせたあと、リリーの方を向く。
「話は分かった、でも君の命は――」
言いかけたその時、異変が起きた。
それまで普通にふるまっていたリリーが急に顔を押さえて、苦しみだした。
「お姉ちゃん!?」
マリが心配する。
苦しむリリー、前のめりに倒れてきた。
それを私が抱き留める。
「いけない! つきます」
「大丈夫」
彼女は私を押しのけようとしたが、私はガッチリ抱き留めて、逃げられないようにした。
さっきの男の邪魔が入ったせいで説明が出来なかった。それで彼女が絶望してヤケクソを起こす可能性もゼロじゃないから、そうならないためにしっかり抱き留めた。
彼女は顔を上げた。
「お姉ちゃん!?」
「……失敗?」
驚くマリ、訝しむエリザ。
リリーの顔が、私が直す前のような、溶けた顔に戻っていた。
その溶けた顔の一部が、ポタッ、と抱き留める私の腕に落ちてきた。
「はなしてください! つきます、ついてしまいます!」
「大丈夫」
同じ台詞を言った。今度はより優しくと心がけて、彼女を安心させるように言った。
それが功を奏したのか、彼女は逃げようとしなかった。
代わりに、絶望が表情に出た。
「やっぱり、ダメだったんですね……」
「ううん、違うよ」
「え?」
「落ち着いて話を聞いてくれる? 本当はさっき言おうとしたんだ。普通の時に先に説明した方がパニックにならなくてすむからね」
「どういう、事ですか?」
「このまま戻るのを待って、それで説明してもいいんだけどね」
「……」
私の物言いに何かを感じたのか、リリーの表情が更に一変、絶望から落ち着きに変わった。
「大丈夫?」
「はい」
「じゃあ説明するね」
もう大丈夫だろうと、彼女を離して、改めて説明する。
「キミのそれは病気と呪いの合いの子みたいなものなんだ。周期は不規則だけど、継続的に発作? みたいなのをおこして顔をあんな風にしてしまう」
「はい」
頷くリリー。
その事は自分が一番体感で理解しているのだろう。
「せっかくだから、当面は完治させないようにしたんだ」
「なんでさ、できるんだろう?」
エリザが不可解そうに聞いた。
「彼女の顔を見て。何か気づかない?」
「気づく?」
眉をひそめるエリザ、私に言われた通りリリーを見る。
しばらく、じっと見つめてから
「……さっきより更に綺麗になってる?」
「ご名答」
「え?」
これにはリリーも驚き、自分の顔をベタベタ触った。
「筋力――それと魔力のトレーニングの応用だね。筋トレのあと筋肉痛になって、治った後は筋肉が増えるでしょ」
「ただ治しただけじゃなかったんだ」
「治すのはいつでも出来るからね」
「やるな」
男言葉のエリザは、力強い賛辞をかけてきた。