11.善人、確約された人
夕暮れ前、ソウルイーターワクチンを届けた領地から、カーライルの屋敷に戻ってきた。
飛行魔法でストン、と庭に着陸して、屋敷の方に向かって歩き出す。
ふと、少し離れた所からよく知っている声が聞こえてきた。
「そう、窓はそうやって拭くの。そうじゃないと汚れが残って、屋敷の中の明るさが損なわれるから。景観もね」
エリザの声だ。
気になって、方向転換して、声が聞こえてきた方に向かって行く。
すると、角を曲がった先に三人のメイドが窓拭き掃除しているのが見えた。
一人は声に聞こえたエリザ、もう二人はアグネスとリリィ。
エリザとアグネスの先輩二人が、新入りのリリィに仕事の指導をしているところのようだ。
「窓拭きは重要な仕事です」
アグネスは言った。
「はい」
「まだ分かってないですね。リリィ、屋敷の中に戻って、そこに立ってみなさい」
「はい……?」
今一つよく分からないって感じのリリィだが、それでも言われた通り屋敷の中に入った。
アグネスに指定された場所に立つと、外にいるエリザとアグネスは地面から土をつまんで、窓ガラスにくっつけた。
すると、差し込む太陽によって、ガラスにくっつけた土がリリィの顔に影を落とす。
「万が一そこにたっているのがご主人様だったら?」
「アレク様のお顔を汚すことになるのよ」
「は、はい!!」
実地で示されて、リリィはさっきまでと違って戦々恐々となった。
そんな事私は別に気にしないのだけど、メイド達からすれば大事のようだ。
慌てて庭の方に戻ってきたリリィ、先輩二人が残した土を綺麗に拭き取ろうとする。
「慌てなくていいのです」
「そう、仕事の途中ならアレク様が例え通ってもとがめません」
いや、そもそも私の顔に影がどうこうで怒りはしないけどね。
「終わる時に綺麗になっていればいいの。ダメなのは適当に手を抜いて終わらせること」
「だから遅くてもいいから、丁寧にやって」
「はい!」
答えたリリィは真剣で、真面目だった。
エリザとアグネスは互いに顔を見比べて、微笑み合った。
「これが終わったら一休みしましょう」
「そうね、一息入れましょう。お菓子を用意するわ」
そう言ってエリザは屋敷の中に戻る。
我が家のメイドは休めるときに休めという方針にしてある。
人間はそこまで強くない、気力だけでは乗り越えられない事はよくある。
メリハリをつけて、仕事は仕事、休む時は休む。
父上の代からぼんやりとそういう方針があったのを、私が更に明言したものだ。
それをメイド達が守ってる。
「新人も上手くやれてるみたいでなによりだ」
メイド達の時間を邪魔しないようにと、私はそっと、足音と気配を消して、その場から離れた。
☆
夜の書斎。
書類の処理をしていた私に、リリィが補佐についた。
補佐と言うよりは、実際に見て学ぶという所だ。
アレクサンダー同盟領が今でもじわじわ広がっている。
令嬢メイドを送り込んできた貴族が、実質同盟に加わったという事も増えてきた。
執務の範囲が広くなり、メイド達に雑務を任せる事も少なくないから、新人の彼女もいずれ戦力になる様に、実地で研修させている所だ。
そうして、書類の大半を処理したところで。
コンコン。
と、ドアがノックされた。
「誰?」
「私よ、アレク」
「エリザ? どうぞ」
ドアが開き、入って来たのは私服姿のエリザだった。
「どうしたの?」
「休暇おしまい、って挨拶に来たの。今から発って王宮に戻るわ」
「そうなんだ」
道理で私服で、呼び方が「アレク」な訳だ。
今の彼女は屋敷のメイドじゃなくて、お忍びの皇帝陛下に戻っているのだ。
「で、一つアレクに忠告しておきたい事があるの」
「皇帝陛下がわざわざそう言ってくるのか、恐ろしいね」
「え?」
真横から驚きの声が上がった。
雑務の手伝いをしている新人メイドのリリィだ。
彼女はものすごくびっくりした顔で私とエリザを交互に見比べて。
「こう、てい?」
「あれ? エリザ言ってないの? 仲良さげにしてたみたいだけど」
「言わないわよ。メイドの時はメイドなんだから。というか」
エリザがぶすっと、唇を尖らせた。
「私が普段から『皇帝陛下なのよ敬いなさいえっへん』っていう様な女に見える?」
「ごめんなさい、僕が悪かった」
エリザはそういう女じゃない。
例え皇帝でいる時であっても、必要以上に権威を振りかざしはしない女だ。
「そっか、じゃあリリィはこれがはじめてなんだ」
「ど、どういう事なんですか?」
「ここにいるのが皇帝、エリザベート一世陛下だよ」
「お忍びだけどね」
「えええええ!? こ、皇帝様だったんですか」
その敬称の付け方はちょっとどうかと思う……のは、私が貴族に染まり過ぎたからかも知れないな。
細々とした作法を知らない庶民にとって、「様」付けが最上級の敬称なのだ。
商人、神様、貴族様――皇帝様。
皇帝様というのは彼ら彼女らの最高の敬意の表れだ。
「ど、どうしよう。私色々失礼をしちゃったかも」
「リリィ」
「は、はい!」
リリィはビクン! として、背筋を伸ばしてまるで「気ヲツケ!」のポーズになった。
「私があの格好をしている時はメイド。アレク様のメイド。皇帝じゃない」
「そ、そうなんですか?」
「そうしたくなる気持ち、あなたが一番わかると思うけど?」
「はい!! すごくわかります!」
ものすごい勢いで肯定するリリィ。
押しかけてきて、給金無しでもいいからご奉公させてくれといったリリィだ。
通じ合う何かがあるんだろう。
ちなみにリリィにはもちろんのこと、エリザにも給金を支払っている。
メイドとして当たり前の額だ。
それをもらうエリザは実に嬉しそうにしたのが印象深い。
「だから、メイドの時の事は気にしないで。また来るけどその時も普通にして」
「はい――あっ、でも」
「でも?」
エリザは眉をひそめたが、一瞬だけのことだった。
「『今』はお忍びの皇帝様でご主人様の大事なお客さんです」
と、改めて背筋を伸ばした。
そんなリリィを見たエリザは眉を開き、クスッと笑った。
「いいね。切り替えようとするその思考。私は好きよ。いいメイドになりそう。そう思うよね」
「うん。安心して仕事を任せることが出来る人だよね」
私とエリザに立て続けにほめられて、リリィは嬉しそうにはにかんだ。
「掘り出し物ね。いや、あなたの周りにそういう女が自然と集まる。そういう運命なのね」
「そうかもしれない」
SSSランクの人生だからね。
「あなたは魂を見られるんだったっけ?」
「うん」
エリザにはその事を話してる。
皇帝エリザ、彼女は無駄に言いふらす事とは無縁だから、大抵の事は話してる。
「平民に産まれた彼女、さて魂はどうかしらね」
「……へえ」
神の力を使い、リリィの魂を見た。
びっくりすることに、農村の平民として産まれたのに、魂はBランクはある。
このランクだと普通はもっといいところに生まれるものだ。
準貴族なり、商人なり、そこそこの地主なり。
その辺りが本来Bランクの生まれ変わる先だが。
リリィは、農民の家に生まれたのにBランクの魂。
それはつまり、本人の能力や才覚、運などに生まれ変わるランクが作用していると言うことだ。
「そういうことなのよ。あなたの人生に華を添えるように、集まってくる人間もそういうのばかりなのよ」
「そうだと嬉しいね」
「だから、一つだけ忠告」
真顔に戻るエリザ。
私も思い出した。リリィのせいで途中でとまっていた話だ。
「オーインの娘、送り返した方がいいわよ」
「むっ……」
それはエリザの、かなり本気な忠告だった。