03.善人、宿敵を浄化する
ローカストの卵を書斎に持ち帰って、机の上に置いて、それとにらめっこしていた。
倒したと思ったら、思わぬ難題が降りかかってきた。
まさか割ってしまう訳にもいかないだろう。
さてどうしよう、と頭を悩ませていると。
コンコン、とドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
私が応じるとメイド長のアメリアが入って来た。
アメリアが来たことで、私はひとまず頭を切り替えることにした。
「お疲れアメリア。彼女はどうなった?」
チョーセンの事を聞いた。
ローカストの事のそもそもの元凶であるチョーセンの処分をメイド長のアメリアに任せていた。
彼女はそれを報告しに来たはずだから、こっちから促してあげた。
「わがままをこねてます」
「そうなんだ」
「ことあるごとに『わたくしを誰だと思ってますの』と発言してましたので、当面は話が通じないかと」
「どうにかなる?」
「しました」
アメリアがはっきりと言い放つ。
メイド長に命じてから、彼女も急速に成長していってる気がする。
今や、貫禄すら感じる。
「エリザ様の身分を明かす訳にもいかず、何よりも逆上する恐れがありましたので。同じく公爵令嬢であるエリザベス・ゴールデンエイジに執行役を命じました」
「ふむふむ」
「こちらは名を明かせて互いに名前は知っていたようです。家柄を持ち出しても双方公爵家でまったくの同格でございます」
「何人かをエリザベスのフォローにつけてね、万が一の時のために。表に出るのは彼女でいいから」
「承知いたしました。アレク様のご命令とあらば、みんな競うように手をあげる事でしょう」
「そうなの?」
断らないのは分かるけど、競うようにってのはちょっと意外。
「メイドは主に絶対服従、いえ、命令がある事を至上の喜びと感じます。主がアレク様とあればなおのことです」
「そっか」
頷く私、話の内容は分かった、追加の指示もだした。
チョーセンの一件は、これで報告は終わりだ。
その報告をすませたアメリアの表情が、わずかに影をさしているのが気になった。
「どうしたのアメリア?」
「……複雑です」
「何が?」
「これで良かったのか、というのと、このままでも大丈夫、という気持ちが複雑に絡み合ってます」
「どういう事?」
「アレク様にメイド長を任されていながら、メイドの一人も管理出来ないのがふがいないです」
「そっか。気にしないで。ああいう人もたまにいるよ」
「ありがとうございます」
私の言葉で、少しだけ表情が明るくなったアメリア。
「このままでも大丈夫というのは?」
アメリアは威張ったような、どこかさげすんだような表情をした。
「あの程度のわがまま娘一人、しでかせる事などたかが知れてます。アレク様ならばびくともしません」
アメリアは机の上に置かれている、ローカストの卵をちらっと見ながら言った。
「なるほど」
今度はこっちが複雑な心境になった。
そこまでの信用なら、応えねばと身が引き締まる。
「じゃあ、後は任せたよ。必要な時は意地を張らないですぐに僕に言ってね」
「ありがとうございます!」
アメリアは嬉しそうに、一礼して書斎を出て行った。
一人になって、再びローカストの卵と向き合う。
アメリアに期待されたからってわけじゃないが、これも上手くなんとかしないと、と改めて思う様になった。
「あっ」
声が洩れた。
まるで、私の意気込みに触発されたかのように、卵が机の上でびくっ、びくっと揺れた。
震えるように揺れたあと、殻がビシッと割れはじめた。
やがて、卵が完全に割れて、中から――
「……子犬?」
下半分だけになった卵の殻の中に、子犬の様な生き物がいた。
よく見ればローカストの面影がある。
これが数百倍に大きくなればあのローカストになる、となんとなく想像がつく。
「それに、やっぱり瘴気が」
「――っ!」
私がつぶやいた瞬間、子犬――ミニローカストがビクッと体を震わせた。
「言葉が分かるの?」
――ぷるぷる。
ローカストは怯えたように首を振った。
私の――いや人間の言葉が分かるのはあきらかだ。
その姿は、とてもあのまがまがしい破壊の権化には見えない。
だから私も、やさしく語りかけた。
「大丈夫、ひどいことはしないよ」
ローカストはのけぞった。
それで卵の殻の中から転がり出して、机の上でぐるんと一回転した。
体勢を立て直すと、ローカストは。
「あ、ありがとう」
と、おずおずながらも言ってきた。
「どうしてお礼を言うの?」
「覚えてるから。あの僕を止めてくれてありがとう」
「ああ、記憶もそのまま持ち越しなんだね」
神格者の力を使う。
ローカストの魂を見る。
確かに、魂の色は一緒だ。
ああいうモンスターに生まれ変わらせる場合、複数回の転生で徐々に魂が浄化されていくものだが、ローカストの魂は変わらない。
まったく変わっていない。天界を通しての転生では無いようだ。
「うん、覚えてるーー全部」
「え?」
ローカストの「全部」という言葉に重みがあった。
責任が積み重なってきた、そんな重みが。
「僕は、このままだとまた人間さんに迷惑をかけてしまう……嫌われてしまう」
「大丈夫、そんな事はない」
「昔、みんなそう言ってくれた」
ローカストは泣きそうな顔で言った。
昔。
前のローカストがまだ小さかった頃、同じように手を差し伸べた人がいるんだろうか。
そして、それが過去形と言うことは――
「でも、僕が大きくなってしまうと、結局は」
「……」
「だから……ありがとう!」
ローカストはそう言って、机を跳び降り、ドアを体当たりで開けて、外に飛び出した。
「待って!」
私はそれを追いかけて、廊下に飛び出した。
短い四本の足で必死に逃げるローカスト、その先にメイドの集団がいた。
最近やってきた、令嬢メイドの面々だ。
「みんな! その子を止めて!」
「ご主人様!?」
「とめればいいのですね」
「捕らえます!」
私の声が届くと、不思議そうにしながらも、メイドが全員、ローカストを捕まえた。
逃げようとしたが、子犬程度の短い手足に同等の運動能力では逃れられず、ローカストは捕まえられてしまう。
しかし。
「きゃっ!」
「メイド服が溶けた!」
「ああっ、下着まで!」
ローカストの体が常時放っている瘴気。
メイド達が捕まえるために密着しているので、メイド服があっちこっち溶けて、あっという間にあられもない姿になった。
「離して、このままじゃみんな」
「離しませんよ」
「うん、ご主人様の命令ですし」
「は、恥ずかしいですけど」
「えっ……」
きょとんとなってしまうローカスト。
瘴気に服を、そして肌もじりじりと灼けているはずなのに、それでも離そうとしないメイド達に困惑した。
その間に私が追いついて。
「ありがとう、みんな」
そういって、メイド達からローカストを受け取った。
「嬉しい!」
「ご主人様のためならこれくらいのこと!」
「命さえも惜しくありません!」
それはそれでどうなのかと思いながら、私はそっと目をそらしつつ、魔法で彼女達のメイド服を直し、わずかなやけども癒やした。
そうして、ローカストを見る。
「どうして……」
「僕は、何があっても君を投げ出さない」
「えっ……」
「私達も!」
「ご主人様の命令ならなんでもします!」
「よく分かりませんけど任せて下さい!」
メイド達から心強い声援が届いた。
私達の言葉を聞いてきょとんとしたローカストは、やがてぼろっ、と涙がこぼれた。
「君は、心がやさしいんだね」
「ううん、そんな事」
「あるよ」
自分を否定する言葉を遮った。
それは、もう口にもさせない方がいいと思った。
「体はこうだけど、心はすごく綺麗だ。そんな風に僕たちの事を心配してくれるんだから」
「……」
「でも、名前が良くないね。せっかく卵から生まれ変わったんだだから、新しい名前をつけよう」
「あたらしい……名前?」
私は少し考えて、それから言った。
「ロータス。古い言葉で『蓮の花』を意味する言葉だよ」
「ロー……タス?」
「知ってる? 蓮の花って泥水の中でしか育たないんだ。綺麗な水だと、まっすぐ育たないで水の中にいつまでも沈んでしまう」
「泥水……」
「でもね、咲いた花は泥に決して染まらない位綺麗。まるで君の心のようだ」
「……」
「だから、君は今からロータスだよ」
名前をつける事に意味がある。
そして、神格者である私が、(ひっそりと)儀式とともにつけた名前はより効果をもつ。
次の瞬間、ロータスの体が光を放ち。
瘴気が、ピタッと止まったのだった。