01.善人、皇帝メイドが当たり前になる
「おはようございます、アレク様」
朝日の中目覚めると、頭上にアンジェの怜悧な美貌が見えた。
先に起きたらしいアンジェは、既に身支度を調えて、背後に数人のメイドを従えている。
私は上体を起こし、軽く目を擦りながら、
「おはようアンジェ、昨日よりも綺麗になったよ」
「――っ! あ、ありがとうございます」
アンジェは恥ずかしそうでいて、嬉しそうな顔をした。
一方で彼女が従えているメイド達は、全員が羨ましそうな顔をした。
13歳になった春、アンジェとの関係が少し変わった。
この歳だと、女の子は男の子よりも少しだけ早く大人になっていく。
アンジェも例外ではなく、ちょっと前までは私に起こされて「おはよーごじゃますあれくしゃま」と言っていたのが、最近は私よりも先に起き出すようになった。
そうして今のようにメイドを従えて私の朝の身支度を手伝うアンジェは、日に日に綺麗になっていった。
「いつも気遣ってくれてありがとうございます、アレク様」
「ううん、思った事を言っただけだよ。ここ最近のアンジェは一晩経つだけで見違えるようだよ。僕と違って、成長が日に日に見える」
「アレク様はずっとおすごいですから」
「ありがとう」
アンジェにほめられる中、メイド達に手伝ってもらって、朝の身支度をする。
コンコン。
「だれ?」
私ではなく、アンジェがノックに反応した。
成長してきたアンジェに、私はいくつかの事を完全に任せることにした。
主に家の中のことだ。
私の正室にって決めてるアンジェ、家の中は全部彼女に任せることで、「格」を上げたり「箔」をつけたりしている。
この家の女主人はアンジェだよ(正しくはどうあっても母上だけどそれはそれとして)、と無言でアピールしているのだ。
そんなアンジェが聞いた後に、ドアがゆっくり開かれる。
「お姉様!」
入って来たのはエリザだった。
お忍びの皇帝、アンジェよりも遥かに大人びて、たまにゾクッとするくらいすごい色気を出すようになったエリザだ。
「いつ来たんですかお姉様」
大喜びするアンジェ。
女主人として少しずつ「らしく」なっていったアンジェも、エリザの前では可愛らしい妹に戻る。
そのギャップにほっこりする私。まだまだ保護者目線だ。
「ついさっき。お土産も持ってきたから後で渡すね」
「ありがとうございますお姉様!」
「それと――」
エリザは私の方を向いて、にやり、といたずらっぽい笑みを浮かべ。
「また何日かよろしくね、ご主人様」
「うん」
こっちには苦笑いで応えた。
だいぶ慣れてきたが、それでもメイドになるエリザにはちょっと苦笑いが出てしまう。
いつか慣れるといいな。
☆
「エリザはどうだい、アメリア」
書斎で執務をしていると、アメリアがおかわりの紅茶をもってきた。
それで喉を潤いつつ、アメリアに聞く。
この春から、アメリアも少しだけ変わった。
屋敷のメイド長になったのだ。
こっちは父上の意思表示だ。
屋敷のメイドは、はっきりと二タイプに分かれている。
古くからいる父上のメイドと、私と年齢が近い私のメイドだ。
アメリアをメイド長にする事で、徐々に家督を私に渡すという意味合いがある。
父上のメイド達も、屋敷の事からほとんど手を引いて、父上と母上の身の周りの世話だけをする様になった。
そのかわりが私のメイド達だ。
もともと母上が止めていなければ私が生まれた日に家督を渡す勢いだった父上だ、むしろ遅かったと言える。
そんなメイド長のアメリアは、メイドの時のエリザの上司でもある。
「メイドとして文句のつけようがありません」
「へえ」
それはちょっと驚きだ。
「仕事も完璧ですし、ひとたびメイド服をまとえば完全にメイドとして振る舞います」
「へえ」
「相手が皇帝陛下と考えれば、こちらも失礼にあたる言動があります、メイドの間の事は一切不問にしてくださってます」
「すごく割り切ってるんだね」
「実際にご覧になりますか?」
「そうしようかな。ああでも仕事の邪魔をしちゃ悪いね……」
私は賢者の剣にそっと触れた。
付き合いの長いアメリアは何もいわずにじっと待った。
賢者の剣から使えそうな魔法を聞き出した私は、指を執務机の上でなぞって、魔法陣を描く。
完成した魔法陣は光を放ち、そこから手のひらサイズの、ぬいぐるみの様なものが出てきた。
「可愛い……」
体は目玉だけど、その目玉に手足がついている。
それがとことこと、たまにちょっとふらつきながら歩いている。
「す、すみません」
「いいよ。可愛いもんね」
「ごほん……それはどのようなものですか?」
「こんな感じだね」
今度は指を空中でなぞって、長方形の枠を描いた。
それも淡い光を放った後、映像を映し出した。
「なるほど、そういうことなのですね」
空中に浮かぶ映像と目玉の小人を交互に見比べて、頷くアメリア。
一目ではっきりと分かる、空中のスクリーンに映し出してるのは目玉が見ている光景だ。
「うん、これで見てきてもらおう。行っておいで」
目玉はぺこりと頭を下げた。
腰はないけど、ちっちゃい子供が勢いよく腰を曲げる様な頭の下げ方だ。
そうした後、とたたたと駆け出した。
執務机の端っこまで行き、端っこにぶら下がってから机の足に飛びつき、短い手足でずるずると床に降りていった。
「やっぱり可愛いです……」
「仕草がいじらしいよね」
ドアはアメリアが開けてやった。するとアメリアにももう一度ぺこり。
そうしてから任務に飛び出した。
戻ってきたアメリアとしばらくスクリーンを眺める。
景色はどんどん進み、やがて食堂にやってきた。
そこに何人かのメイドがいて、中にはエリザの姿もいる。
メイド達は銀の食器を磨きながら、世間話をしていた。
『エリザちゃん、こっちはこんな感じでいい?』
『うん、ばっちし。あっでも最後は素手で触っちゃダメ、それだとご主人様達が使うときに黒くなっちゃうよ』
『そっか、ごめんね』
「普通にちゃんとしているね、アドバイスまでしてるし」
「仕事の飲み込みはすごく早いです。正直皇帝にしておくのがもったいない位です」
「それはなんだか言葉がおかしいね」
指摘して、アメリアと笑い合った。
アメリアはこういう話では冗談だと分かる。
これがもし父上たちが同じ台詞を言ったら、本気で「私のメイド>帝国皇帝」と疑わざるを得なくなる。
『ねえミリア、この前言ってたあれはどうなったの?』
『もちろん断ったよ。あたしはずっとアレク様のところでメイドをするって決めてるもん』
『もったいないなあ、プロポーズしてきたの、すっごい金持ちの商人なんでしょう。しかもまだまだ若いし』
『じゃあコレットは受けたの?』
『ううん受けない』
もったいないと指摘したコレットというメイドが、自分ならと言う返しにあっさりと首を振った。
『アレク様のメイド以上の幸せがあるわけないじゃない』
『でしょー』
「との、事です」
「嬉しいね、ちょっと恥ずかしかったりも」
「メイド達の偽らざる本音です」
それはまあそうとして。
うん、どうやらエリザは上手くやってるみたい、何よりだ。
『ちょっと、あなたが新入りのメイドね』
「うん?」
別の女の声が割り込んできた。ちょっとした剣幕だ。
目玉が移動してくれたのか、スクリーンはちょっと引いて、仕事をしてたエリザ達と、入って来た女の人が両方収まる光景に変わった。
入って来たのもメイドだった。
『あなたは?』
『あたくしの事をしらないの? オーイン公爵の長女、チョーセンよ』
高飛車そうな女性だった。
アメリアの方を見ると、彼女は頷き。
「先日オーイン公爵家から来ました公爵令嬢です。性格は……ご覧の通りです」
少し難しい顔をしたアメリア。
それだけで色々と察した。
スクリーンを再び見る、私は吹き出しそうになった。
公爵令嬢を笠にきて威張るチョーセン、その相手が実は皇帝だというのが、ここ数年見た中で一番の喜劇だ。
相手がエリザじゃなかったら悲劇に早変わりしてただろうな。
『そのチョーセンさんが、私に何か用』
『あなた、私のグループに入りなさい』
『グループ?』
『ええ。こんな所でもなければ、普通はあなたの様な子とは関わる事すらない身分なのよ。それを加えてあげるのだから、運命の巡り合わせに感謝しなさい』
「えっと、つまり……」
「派閥を作ろうとしている様ですね」
「こういう事ってよくあるの?」
「公爵様のご息女にはたまに。来たての頃はやはり家柄をそのまま持ち込んで来られる方が多いです。男爵様のご息女がたは逆に最初から素直です」
「なるほどね」
私は苦笑いした、スクリーンの中でもエリザが苦笑いやら呆れやらの顔をしている。
『悪いけど、興味ない』
『何ですって』
チョーセンは眉をビクッとつり上げた。
『運命の巡り合わせを感謝するのはそっち。せっかくアレク様のメイドになれたんだから、お山の大将とかやめてアレク様に奉仕する事だけ考えなさい』
『お山の大将ですって?』
キィィィ! とムキになるチョーセン。
せっかくの綺麗な顔が台無しだ。
「どうなさいますか」
「うーん、何もしなくていいんじゃないかな」
私はそういって、スクリーンを消した。
「あの程度の権力争いなんて、エリザからしたら子供の遊びでしかないよ」
皇帝が住む、王宮の中の権謀術数に比べれば、ねえ……。
何もしなくても、エリザが自分でどうにかするだろう。
例え自分をメイドに規定しても、皇帝の権威を封印したとしても。
あの程度の事、どうということは無い。
「かしこまりました。それよりもすごいですね」
「なにが?」
「エリザ様の『アレク様』はすごく自然でした。そう思っていないと出ません」
「あぁ……」
「エリザ様にそこまでさせるアレク様は本当にすごいです」
そうかな、女の人は演技が上手い、とかそういうことじゃないのかな。
「いいえ、違いますよ」
まるで私の心を読んだアメリアが、きっぱりとそれを否定してきたのだった。