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人狼ゲーム殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
8/31

8.殺人

 目を覚まして大きく両腕を伸ばしてから、ベッドを降りた。壁時計をチラ見して時刻を確認する。やはり八時はとっくに過ぎている。どうやら、また寝過ごしてしまったようだ。さあ、どうしよう。これからシャワーを浴びて髪をセットし直すのは面倒だ。もっとも、この屋敷にいる男どもなんてパッとしない連中ばかりだから、このまま食事に行ったところで、なにも問題はないのだが。

 少し寝汗をかいたネグリジェをガバッと脱ぎ捨てて、わたしは大鏡の前に立った。鏡に映し出された素っ裸の自分を眺めて、無駄な贅肉が増えていないかをチェックする。とにもかくにも、ここの料理は美味し過ぎだから厄介だ。ついつい食べてしまう。こんな状態では、一週間もすれば体重が五キロ増えてしまってもちっともおかしくはない。丸山文佳は、昨日の晩餐では、一ノ瀬さんに頼んで、こっそり一皿の分量を減らしてもらったみたいだ。わたしもそうした方がいいとは思っているけど、なにしろあの絶品料理だ。もったいなくて、それができないでいる。鏡の姿から判断するに、もう二日くらいは持ちそうだ。今日も至高の料理を堪能してみるかと、わたしは早くも誘惑に妥協をしていた。

 今日の洋服はこのピンクのワンピースにしよう。昨日、西野が着ていた黒のワンピースはなかなかかっこよかった。まあ、彼女だからこそえていたのかもしれないけど。

 もっとも、わたしはズボンが大嫌いだ。その選択肢だけは絶対にあり得ない。見苦しくでかくなったヒップの形状をもろに人目にさらすなんて、恐ろしくて想像ができない。必然的にわたしの場合、基本はフリフリスカートという結論になる。この点に関しては、丸山や西野がうらやましい。彼女たちなら、ぴちぴちのデニムを履いて男どもを誘惑するなんてことも、いともたやすい芸当であろう。好き嫌いはあろうが、小さなお尻はときには魅惑の武器にもなる。わたしの場合は、仕方ないから、上半身で勝負をすることになる。このワンピースの胸元に切り込まれたV字の切れ込みは、街中だとちょっとはばかられるけど、ここは閉鎖された屋敷の中だから、これくらいなら、まあありかなって感じがする。でも、男どもにはちょっと刺激が強過ぎるだろうな。とはいえ、今回同居する女性は、二人そろってとびきりの美人と来てるから、このくらいじゃないと彼女たちに対抗できそうもない。

 部屋を出る時に、昨日鉢植えの中から手に入れた鍵がさっそく重宝した。こいつは本当にありがたい。鍵を開けたままで部屋を留守にすれば、わたしが身に着けていたブラジャーなんか、瞬く間に紛失してしまうだろう。とくに隣の部屋が藤ヶ谷というのも、心配を助長させる要因である。

 さあ、これで安心なはずだけど、でも、ちょっと待てよ。部屋の中が安全でも、衣類回収箱ランドリーバスケットは安全だろうか。さっきわたしは、昨日着ていた下着類を、全部放り込んでしまったけど。

 わたしは廊下側へまわって、わたしの部屋の衣類回収箱の取り出し口を調べてみた。取り出し口は、開けようとしても開けられなかった。よく見ると、鍵で開け閉めができる構造になっている。鍵はたぶん一ノ瀬夫妻が管理しているのだろう。じゃあ、安心だ。

 わたしは、今朝は階段から食堂へ降りていくことにした。少しでも運動をするほうが、食事もより美味しく食べられるし、カロリーのささやかな消費につながると思ったからだ。廊下の窓から明るい日光が差し込んでくる。ああ、嵐がようやく去ったのか、とわたしは思った。

 食堂に行ってみると、岡林――、じゃなかった、堂林がひとりで肘掛け椅子に座っていて、テーブルには丸山文佳と西野摩耶が向かい合って食事の真っ最中だった。あれ、西野は食堂へ来れたんだ。昨日まで引きこもっていたのに、もう大丈夫なのかな。

「あら、りえちゃん、おはよう。こっちへいらっしゃいよ」丸山が手をあげて、誘ってきた。いつもの彼女らしい行動だ。それを見て、西野はわたしのほうを振り向くと、しとやかに頭を下げた。無表情だけど、彼女なりの好意を示しているのだろう。

「これで、あと来ていないのは、相沢だけになったな」

 堂林が、わたしたち三人の女の子の気を引き付けるように、椅子から立ち上がった。

「どうします、一ノ瀬さん。呼んできましょうか? 早く朝食は片付けたいでしょう」

「ああ、岡林さま、お願いしてもよろしいでしょうか」と、給仕に忙しい一ノ瀬氏が答えた。

「岡林じゃなくて、堂林ですけどね。じゃあ、行ってきますよ」そういって、堂林は部屋から出て行った。そのあとの一ノ瀬氏といったら、間違って申し訳ございません、をオウムのように繰り返す始末で、なだめるのにわたしたちはひと苦労だった。

 堂林が戻ってきたのはその十五分後であった。堂林は一ノ瀬氏に寄り添うと、耳元でなにかをささやいだ。途端に一ノ瀬氏の顔が硬直した。

「どうしたのよ?」と、そのやり取りを察した丸山が、堂林に声をかけた。

「うーん、ちょっとな。まあ、証人は多いほうがいいか」堂林はちょっと考え込んでいた。「食事中に申し訳ないが、いわせてもらうよ。相沢が殺された。来れる者だけでいいけど、これからいっしょに現場確認をしてもらいたい。なにしろ、警察が呼べるのかどうかさえも、よく分からない状況なのでね」

「残念ながら、この屋敷に電話などの連絡手段は、わたくしどもの把握する限り、ございません。それどころか、わたくしどもも、ここからどうすれば町に行けるのかうかがっておらぬ状態でして、すぐに警察をお呼びすることはできません」

「だからこそ、複数の証人が欲しいのさ。丸山さん、あんたは気がしっかりしていそうだから、ご同行願えないかなあ」

「いいわよ」と丸山が躊躇ちゅうちょすることなく答えた。「お二人はどうするかしら?」

 丸山の問いかけに、「わたしは行きます」と、西野が答えた。

「じゃあ、わたしも……」

 こんな状況では、一人で食堂にいるほうが、かえって気味が悪い。わたしも渋々同行することにした。


 相沢の部屋は、二階のエレベーター出口を右へ進むと、廊下を仕切る扉があって邪魔されるのだが、その扉の向こうにあった。これはちょうど一階の廊下が、食堂と厨房とを妨げる場所に扉が立ちふさがっていたのと全く同じ構造だ。その扉を開けると、再び廊下が伸びていて、相沢と久保川の二部屋へ通ずる扉があった。いい換えると、この二人だけが、ちょっとだけ待遇がいい部屋に割り振られたということだ。

「相沢の部屋はこっちだ」堂林は手前の扉を指差した。

「さっき、あなたが入った時には、この扉は開いていたのかしら?」丸山が訊ねた。

「えっ、どの扉だって?」堂林が聞き返す。

「ええと、なんていったらいいのかしら。廊下と廊下を仕切っているこの妙な扉のことよ」と、丸山が戸惑いながらも、先ほどの仕切り扉に手を掛けた。

「ガフの扉、と呼んでみたらどうですか。ヘブライ伝承によれば、神の館の魂が集まる部屋のことを『ガフの部屋』と呼ぶそうです。その扉、いちいち説明するのが面倒くさそうだから、こういう時には名前を付けちゃえばいいんです」と、西野が大真面目な顔で提案した。

 エレベーター横にあって廊下と廊下の間を連結するこの扉であるが、今後の展開で重要な役割を果たすことになる。本編ではこれ以降、この扉を『ガフの扉』と称することがあるので、読者は十分に注意をされたし。さらに、ガフの扉は、一階と二階の両方にあるから、ここで話題となっているのは、二階のガフの扉、ということになる。


挿絵(By みてみん)


「なるほど、ガフの扉ね……。

 ああ、そうだよ。俺が相沢の遺体を発見する時には、このガフの扉の鍵は掛かっていなかった。ついでにいうと、相沢の部屋の扉も鍵は掛かっていなかったよ」と、堂林が説明した。

「ふーん、廊下の扉じゃなくて、ええと、ガフの扉だったわね。堂林さんのお話だと、ガフの扉だけでなく、相沢の部屋にも鍵が掛かっていなかったということね。

 でも、ちょっと変よねえ。通常の神経の持ち主なら、こんな状況下では部屋に鍵を掛けるはずなのにね」と、丸山は納得がいかない様子であった。

「まあ、相沢といえば、なにかといい加減な一面もあったからなあ」

 そういって堂林は、相沢の部屋のドアノブをつかんで、扉を開けた。

「ちょっと、なにしてるのよ。指紋が調べられなくなっちゃうじゃないの」と丸山が叫んだ。

「ああ。どちらにしても、指紋は証拠にならんだろう。警察は来るかどうかは分からんし、なにより、このドアノブに誰かの指紋があったところで、いいわけなどいくらでもこさえられるからな」と、堂林はなに食わぬ顔で相手にしなかった。

「じゃあ、拝見いたします」と、堂林に続いて一ノ瀬氏が部屋の中へ入っていった。「おお、これは……」

 途端に発せられたのが、なんともいいようのない不気味な感嘆詞であった。

「これは女性の方々にお見せするのは、少々まずいのでは……」

「そうかな」

 扉の向こうで、なにやら二人のやり取りがあった。

「なにをごちゃごちゃいってるのよ」そういって、丸山が勢いよく部屋へ入った。でも、なにも反応が聞こえて来なかったから、わたしも続いて中へ入った。

 そこで見たものは、まさに常軌を逸した光景であった――。部屋の中央に大の字になって相沢翔の死体が転がっていた。なによりも問題なのは、その遺体が、生まれたばかりの姿そのままであったことだ。つまり、なにも身にまとっていない、素っ裸ということだ。少し離れたところにバスタオルが落ちていた。相対的な位置関係から自然に浮かぶ推測が、シャワー室からバスタオルを腰に巻いたまま出てきた相沢が、室内に潜んでいた犯人に襲われて、倒れた瞬間にバスタオルがはがれてしまった、というものだ。

「あらら、おちんちん丸出しじゃないの」と、とっさとはいえ不謹慎な発言をわたしはしてしまった。まずいと思って、慌ててほかの連中の顔をうかがったが、堂林は全然気付かぬ様子で得意げにふんぞり返っているし、一ノ瀬氏は申し訳なさそうに後ろから黙って遺体を見つめている。丸山はというと、意外にも、口元を手で押さえて、顔を伏せている。相当にこたえている様子だ。わたしは、丸山だったら死体を見たくらいではひるまないと思っていたので、結構意外だった。丸山がこの様子だと、まだ廊下で待機している嬰児ねんねえでは、ひとたまりもないかもしれない。

「あっ、まやちゃん、あんまり見て気分がいいもんじゃないから、そこで待っていた方がいいわよ」と、わたしが気を利かせて忠告をしてあげたつもりが、かえってこれが彼女を挑発してしまったようだった。

「大丈夫です。わたしにも現場の確認をさせてください」そういって、西野が部屋に入ってきた。でも、遺体を一目見た途端に、案の定、白い顔の血の気がさらに失せて、へなへなと崩れてしまった。ほら、いわんこっちゃない……。

 たまたま後ろにいた一ノ瀬氏がそばにかけよって、細い肩を両手でがっしりとつかんで身体を支えたから、彼女はどうにか倒れずに済んだ。それを見た堂林が、しまったという表情をあらわにしたのを、わたしは見逃さなかった。どさくさまぎれに、西野を抱きしめられる絶好のチャンスを逸してしまった、とでもいいたげな表情であった。

 西野はしばらくうずくまっていたが、やがてぐったりとした顔を無理やり持ち上げて、

「すみません。その、わたしこれまで、男の人のあそこを直接見たことがなかったものですから……」と、弁解をした。わたしはちょっとドキッとした。あまり安易に男どもの前でいうべき台詞せりふではないと思ったからだ。

「そうですか、若い娘さんにはちょっぴり刺激が強過ぎましたよね」と、とっさに堂林が気を利かせて慰めの言葉を返したが、にやけた口元からわたしにはすぐ分かった。そうか、この娘はまだ大人の男の陰部を見たことがなかったんだ。となると、処女ヴァージンでまず間違いなさそうだ、と低俗な想像をしながらほくそ笑んだのであろう。

「ちょっとごめんなさい。すぐに戻ってくるわ」といって、丸山が部屋から駆け出して行った。こちらも西野に負けずかなりの重症のようだ。もっとも、丸山の場合は主婦といっていたから、旦那のあそこを握ったり咥えたりすることも茶飯事のはずだ。相沢の裸体にショックを受けたとは、到底考えられない。やはり、遺体を見たことで、あそこまでおびえてしまったとするのが妥当に思われる。もっと気が強い人だと思ったけど、案外、わたしのほうが図太いのかもしれない。

「あなたは大丈夫なんですか」と、堂林が声をかけてきた。わたしを気遣ったというよりも、二人の女性が狼狽する姿を見て、興奮のあまり、つい声が出てしまったという感じだ。

「ええ、どうにかね」と、わたしはさらっと答えた。

 あらためて相沢の遺体に目をやった。若くてとてもきれいな肌をしている。わざわざ毛を剃っているのではと思わせるほど、皮膚がつるつるしていた。もっとも、陰部の周りだけは、それなりに生えそろってはいるけど、それでも普通よりかはかなり薄めだ。中学生や高校生くらいの男の子だとこんな感じなのだろうか、とわたしはふと想像した。でも、ウーパールーパー色をしたおちんちんは、かなり立派な大きさをしていて、皮もきれいに剥けていた。やはり、彼は二十歳はたちを過ぎた男の子だったということであろう。西野に刺激が強すぎたのも無理はない。

「よく見ておいてくれよ。後頭部に打撲による皮下出血の痕がある。おそらくこいつが死因だろうな。見事な一撃だ。さらに、風呂上りを襲われたようなのに、髪の毛も肌もすっかり乾いている。暖房が効いた部屋だけど、おそらく全部乾くのには三時間くらいかかるだろう。逆にいえば、殺されてから少なくても三時間が経過していることになる」

 そういって、堂林は落ちていたバスタオルを拾うと、遺体の陰部の上にそっとかぶせた。わたしとしてはもっと見ていたかったけど、もちろん文句をいうのはやめておいた。

「つまり、犯行は六時よりも前ってことね」

「まあな。昨日俺たちと別れたのが一時前だった。それからこいつは自室へ戻ってシャワーを浴びた。そのあとだから、おそらく犯行が行われたのは一時から二時の間だろうな」

「どうして、そのあとじゃないと断言できるの?」

「そんなの自明なことさ。だって、裸でいるんだぜ。それに、バスタオルがそばに落ちていた。風呂から上がった直後を襲われたのでなかったら、ほかにどう説明すればいいのさ」

「なるほどね」わたしは感心するふりをしておいた。

「一ノ瀬さん――、高木さんと俺がここに残りますから、とにかく、久保川医師を呼んできてください。それから、ほかの連中にも声をかけてください。あっ、西野さんはいったん外に連れ出してあげたほうがいいかもしれませんね」

「分かりました。じゃあ、西野さま、いっしょにほかのみなさまにお声を掛けてまいりましょう」一ノ瀬氏が西野に手をかけると、彼女は小さくうなずいた。二人はいっしょに部屋から出て行った。

「お医者さんなら、おとなりにいるんじゃないかしら」と、わたしは訊いてみた。

「さっき、食堂に戻る前に調べたよ。となりの部屋には鍵が掛けられていて、声を掛けても反応はなかった」

「ふーん、それで、あんたはどうやってこの部屋に入れたのよ」

「さっきもいったろう。鍵が開いていたんだよ。こっちの部屋は」

「つまり、相沢の部屋と、廊下の扉の鍵は開いていて、久保川医師の部屋には鍵が掛かっていたのね」

「そういうこと。久保川医師は、外出中だから、自室に鍵を掛けておいたのだろう。でも、ガフの扉はこちら側からしか鍵が掛けられないから、久保川医師は出る時に、ガフの扉の鍵は掛けなかったということだ」

「久保川医師は気が付かなかったのかしらね、おとなりで犯行が行われた物音を。案外、彼が犯人なんじゃないかしら?」

「さあな、そいつは本人に訊いてみなけりゃ分からないな。ただ、この屋敷の各部屋はそれなりに防音効果もしっかりしているから、小さな話し声だと聞こえなかった可能性も、十分にあり得るな」

「どうして、相沢は自室に鍵を掛けていなかったのかしら?」

「ふふふっ。そいつはまさに事件の核心を突いた鋭い質問だな。なぜだと思う?」

「ええと、彼が鍵を掛け忘れたから?」

「可能性としてはあるけど、ちょっとつまらない説明だな」

 つまらないもなにもないと思うけど……。わたしはムッとして別の解答を探した。

「じゃあ、鍵は掛けていたけど、そのあとで、真夜中の訪問者があって、鍵を開けて部屋へ招き入れた?」

「なるほど、そいつは面白い解釈だ。では、招かれた客はどんな人物だったのだろう?」

「えっ、そんなの誰かなんて、分かるはずないじゃないの?」

「そうでもないよ。深夜、疲れ切って寝るだけの時刻に、わざわざ部屋の鍵を開けて招き入れるほどの相手だ。相沢にとってどうでもよかった人物のはずがないだろう」

「そういわれると、そうよね。でも、そこまでして招き入れる人なんているかしら?」

「しかも、そのあと、その人物が部屋にいるにもかかわらず、相沢は堂々とシャワーを浴びている。それを示す根拠は、シャワールームの換気扇が、俺が来た時には回っていたことだ」

 こいつなかなか鋭い観察力を持っている。さすがは、私立探偵だ。

「でも、今は換気扇が回っていないようだけど」と、わたしは堂林をにらみ付けた。

「ああ、切ったからな。ついさっき、みんなをここへ呼ぶ前にね」

「それって、証拠の隠滅じゃないかしら?」

「そうかい。あまり気にしなかったな。どうせ、警察は来ないだろうし、俺が証言をすればそれで問題はないと思ったからね。それよりも、電気代がもったいなかったからな」堂林はあっさり答えた。

「警察が来ないですって?」

「ああ、百パーセント来ることはないな」と、堂林が不気味に笑った。「このゲームの性質上、この屋敷から歩いていけるエリアに民家はないはずだ。ここはクローズド・サークルなんだよ」

「クローズド・サークル?」

「そう。ここで起こった事件は、俺たち十人で解決をしなければならない。警察の助けはいっさい期待できないんだよ。生還するためには、冷静な頭脳と行動で物事に対処しなければならないのさ」


 しばらくすると、丸山が戻ってきて、すぐに藤ヶ谷と川本もやってきた。そのあとで、家政婦の一ノ瀬歩美子もおどおどしながら廊下の外までやって来たけど、中には絶対に入らないの一点張りだった。最後に一ノ瀬氏と、西野が戻ってきたが、久保川医師はいなかった。

「久保川さまでございますが、お屋敷のどこにもお見えになりません。一通り探してはみたのですが……」と、一ノ瀬氏が申し訳なさそうに弁解した。

「じゃあ、わたしがアオイちゃんに訊いてあげる。久保川医師が今どこにいるかって?」

 わたしが提案すると、「ちょっともったいなくないか?」と堂林が小声でささやいた。

「いいのよ、どうせまた三日経てばちゃらになって、また質問できるようになるんだから。

 ねえ、アオイちゃん。あなたへの質問よ。久保川医師はいまどこにいるのかしら?」

 すると、天井から声が返ってきた。

「確認します、高木さま。それはアオイへのご質問ですか」

「ええ、そうよ」とわたしは返事した。

「久保川恒実さまですが、彼は今……、ほら、そこに。あなたのすぐそばにいますよ。

 そして高木さま。あなたの質問権が、たった今、消費されました」

 アオイが出した答えの意味が分からずにわたしが戸惑っていると、廊下の扉がさっと開いて、久保川医師がひょっこり姿を現わした。

「なんじゃい。みなさん、おそろいで……?」怪訝けげんそうな顔で久保川がつぶやいた。

「それより、どこへ行っていたんですか?」と、堂林が逆に訊き返した。

「どこへって、散歩じゃよ。しちゃ悪いか?」堂林の剣幕に久保川がたじろいだ。

「そうでは、ありませんが、実は事件が起こってしまいましてね。相沢くんが昨晩殺されました。さっそくですが、医師としてのあなたの見解がうかがいたい」堂林の説明に、久保川の顔がさーっと引き締まった。

 久保川医師は、遺体に触れながら丁寧に調べていたが、やがて、顔をあげた。

「死後硬直がはじまっておる。死後四時間は経過しとるな。だが、硬直が全身にまでは及んじゃいないから、十二時間は経っとらん。

 まあ、わしは生きとる患者が専門で、遺体の検死なぞしたことありゃせんがの」

「もう少し詳しくご説明願えませんか。そのう、死後硬直なんて、専門家でなければそうは勉強できないんでね」私立探偵が医師に説明をうながした。

「そうじゃなあ。人間ちゅうもんは、心臓が止まっちまっても、体内に残ったエネルギー源のATPが筋肉内で分解され続けるんじゃよ。それに伴って乳酸が増加して、筋肉の繊維たんぱく質の構造が変化するから、徐々に筋肉は硬くなっていく。

 さて、死後硬直の段階じゃが、死んでから数時間後には、まず首やあごから硬直が現れ始める。そいつが七、八時間経過すれば、四肢の硬直となり、十二時間ほどで、手足の指先まで、つまりは硬直が全身に及んでくるんじゃな」

「じゃあ、死後硬直が全身に及ぶ時間は、おおざっぱに見積もって、十二時間くらいでいいんですか?」

「個人差はあるが、まあだいたいそんなもんじゃの。一般に筋肉質な男は硬直が強く表れるし、逆に筋肉量が少ない老人、子供、女は硬直の度合いが弱い。夏場や暖房が効いた部屋では硬直が若干早く表れるし、冬場や冷房が効いた部屋では遅うなる。

 それにな、遺体の変化は硬直だけじゃないんじゃぞい。硬直し切った筋肉は、死後三十時間を経過したあたりから徐々に解け始め、九十時間も経てば死後硬直はすっかり消えちまう。これを緩解かんかいという。こいつは、食肉が熟成するのとおんなじ理屈で、硬直が完了後、今度は組織が徐々に腐っていき、やがては機能が崩壊しちまうんじゃよ」

「なるほど、死後三十時間以上を経過すると、緩解という現象が始まって、一転して、硬直した筋肉が徐々にやわらかくなってしまうのですか。それじゃあ、全身が死後硬直している状態であるならば、その遺体は死んでから十二時間以上三十時間以内の時間が経過していると推定できるわけですね」

「そういうことじゃな。まあ、こいつも個人差が多少は出るがのう」


「おかしなことといえば、まだあります。この部屋に相沢の鍵がないんです。ほら、そこにある鉢の土の中もさっき調べました。でも、鍵は見つからなかった。わたしが調べた時には、鉢の土がすでに掘り返された痕跡が残っていたから、おそらく、相沢は昨晩、自室の鍵を手にしていたんだと推測されます。でも、その鍵が今は見つからない。こいつはちょっと重要な意味を持つかもしれませんね」

 堂林が、自分の呼び名を急に『わたし』と称したから、可笑しくなった。この人は、二人の時は『俺』と意気込んでいるけど、複数の人前で演説する時には『わたし』と、使い分けているんだ。

「おい、堂林。お前、事件現場を一人でかき回しやがって、勝手過ぎやしねえか? 警察が来たら、証拠隠滅罪が問われるぞ」と、案の定、川本が文句を唱えた。

「もしも、警察が来たのならその時は彼らに任せます。でも、そうでなければ甘いことはいっちゃいられない。我々は生き残らなければならない。そのために信じられるのは、自分自身の頭脳だけですからね」

「相沢の鍵が紛失していることは分かった。じゃあ、パピルスはどうなんだ。相沢の部屋にも、俺たち参加者の個人情報が記されたパピルスがあるはずだ。そいつも人狼が――、いや犯人が、持ち去ったというのか?」川本は大きな身体を前へ乗り出した。

「そうだよな。パピルスなら、ここにあるよ……」

 そういって、堂林は一枚の羊皮紙をふところの内ポケットから取り出した。


挿絵(By みてみん)


「実に興味深い内容じゃないか、『No.7』のパピルスは」と、堂林が悪魔的な笑みを浮かべた。

「Occupation――、つまり、個々の職業ということか?」川本がうなった。

「そういうこと。俺が『探偵』で、あんたが『数学者』。一番の西野さんは、『学生』さんとなっている」

「この番号は……」わたしが問いかけると、

「こいつは部屋番号だ。西野さんの部屋で見つかった『No.1』のパピルスにも、個人名の前に番号が振ってあったよね。あれと同じだ。俺は三番で、あんたは五番だよ」と、堂林が説明した。

「つまり、わたしは『ピアニスト』ということね」

「そうだ。そして、われらが丸山さんだ。たしか主婦っておっしゃっていたけど、ここに書かれている職業はちょっと違いますよね」

 堂林がにらみつけると、丸山は顔を伏せた。

「police officer。どうやら、丸山さんのご職業は、『警察官』ということみたいです」

 みんなの目が一斉に丸山に集中した。丸山が開き直ったように答えた。

「ふん、バレちゃしょうがないわね。そこに書かれている通り、あたしの本職は警官よ」

「婦警さんかよ。どおりで気が強いわけだ」と、川本がポソっとこぼした。

「たしか、あんたは昨日俺に、嘘をかたった事実はずっと消えない、とかなんとかいったけど、愉快じゃないか。あんたも、俺と同じ穴のムジナだったんだからな」と、堂林はうかれていた。

「いいわけはしないわ。あたしも、この異様な状況下で、むやみに自分が警察官だなんて、名乗りたくなかっただけよ」と、丸山が観念したように答えた。

「それから、もう一人、自己申告とパピルスの内容とがずれている人物がいます。それは相沢くん自身です。

 パピルスによれば、彼はエリート大学院生ではなく、単なる『契約社員』ですね。もしかしたら、大学を出ていないかもしれないし、プー太郎と変わらぬ生活を送っていたのかもしれません」

「どうして嘘を騙ったのかしら」と、わたしがつぶやくと、

「まあ、想像するに、見栄を張っていたと解釈するのが自然ですよね」と、堂林はバッサリ切り捨てた。

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