29.真相
ツァラトゥストラはかく語りき――。そうだ。あの時、西野摩耶が告げし人狼の名は、たしかに久保川恒実であった。しかし、久保川が人狼であったことが間違いないにしろ、俺にはどうしても分からなかった。物理的に考えて、久保川に藤ヶ谷を殺害できたはずがないのだ。みずからはすでに五日目の午後に死んでいるのに、とって返して、その日の夜になって、この世に蘇って藤ヶ谷を殺したことになってしまう。いくらなんでも時間をさかのぼるなんて、生身の人間には到底不可能だ。
俺の顔からはあぶら汗が流れ落ちていく。いくら考えても答えなど見つかりはしない。
「まだ分からないかなあ。あのさあ、藤ヶ谷が殺されたのはね、五日目の夜じゃなかったんだよ」
如月恭助がポツリと口ずさんだ。
「五日目の夜じゃないだって?」
「そうだよ」
如月恭助が憐れむような視線で俺を見下している。最初から最後まで、常に変わらぬ視線で……。
「藤ヶ谷が殺されたのはねえ、その前日、四日目の夜だった!」
事務所の裏手にある公園から、子供たちのあどけないはしゃぎ声が聞こえてくる。大都会のベッドタウン所沢では、もはや当たり前となった平穏な日常の光景だ。
「そもそもどうしてお前は久保川医師をうたがったんだ」
「俺が最初に久保川を疑ったのは、人狼館の屋上にヘリポートがあったのに、久保川がいた場所が館の外にある東屋だったことさ。こいつは明らかにおかしい。主催者側は、わざわざ気絶している久保川をヘリポートから館の外へと運び出したことになってしまう。
さらには、久保川が運ばれたのが嵐の真っ最中だったというのも気になった。相当にひどい嵐だったようだから、ヘリで移動すること自体が危険だったんじゃなかろうか。だとすると、久保川が運ばれたのは実は嵐がやってくる前。そして、久保川は一足先に東屋へ移動をしていて、ゲームに入り込むタイミングをうかがっていたと考えるのが自然だよね」
殺された順番が、そもそも間違っていたのか……。藤ヶ谷が先に殺されていて、それから久保川が死んだ。分かってみれば、実に単純なことである。
人狼である久保川は、四日目夜の十時前に藤ヶ谷を霊安室の電気椅子に掛けて処刑をし、気絶していた西野をワインセラーへ運んだ。霊安室の扉の鍵は、持参していたマスターキーで閉めた。翌日になって、自室に鍵を掛けて、マスターキーを机の引き出しにしまい込んだまま、くつろいでいた久保川医師は、風呂上りに心臓発作を起こして、二重に閉ざされた密室の中で勝手に死んでしまった。
藤ヶ谷の森への謎の逃避行は、そもそもなかったことになる。五日目の朝には、藤ヶ谷はすでに殺されていたからだ。久保川がさりげなく藤ヶ谷を目撃したと偽手がかりとなる嘘を吐いたのを、俺たちが勝手に信じ込んでしまっただけだった。そして、そいつを結果的に後押ししてしまう西野の嘘。それも、やむを得ぬ事情から生じたものであったが、実にタイミングが良く、俺たちは藤ヶ谷が五日目まで生きているという根本的間違いに、疑問すら抱かなかったのである。
「四日目の十時前、藤ヶ谷が摩耶ちゃんを襲っているときに、人狼の久保川は霊安室に忍び込んでひそかにチャンスをうかがっていた。やがて、摩耶ちゃんが失神したことを確認した久保川は、藤ヶ谷の背後に忍び込んで背中にスタンガンを押し付けた。その時には、藤ヶ谷はレイプの真っ最中で裸になっていたから、背中にはスタンガンの焦げ跡が残ってしまった。体重が八十キロ近い藤ヶ谷を電気椅子にしばり付けるのには、相当手間がかかったろうけど、久保川はどうにかそれをやり遂げた。
久保川は、もしかすると、殺人以外の悪事をすることを当局から禁止されていたのかもしれないね。藤ヶ谷を処刑した久保川は、そのあとで意識を失って無防備になっている絶世の美女の摩耶ちゃんを、すんなり助けている。普段なら襲っちゃってもおかしくない状況だ。でも、さすがに刺激にこらえ切れなかったのかな。久保川は摩耶ちゃんの着けていた下着をこっそり持ち帰ってしまった。個人的にそれを楽しんだものの、他人から見つかってしまえば、自分が人狼であることを疑われてしまう。さすがに自室に保管するのははばかられる。そこで、となりの相沢の空き部屋にこっそり隠したわけだね。
摩耶ちゃんが相沢の部屋から自分の下着を見つけ出したのは、たまたまだろうけど、彼女は持ち前の鋭い洞察力で、相沢の部屋に下着を隠した人物が久保川であると確信したんだ。もちろん、自分が着用した下着をそのまま放置しておくなんて、プライドの高い彼女にはできなかったから、彼女はその下着を持ち去ったんだけど、そこをなんでも屋に見られてしまったというわけだね」
なるほど、そうだったのか……。しかし、まだ恭助の推理には致命的な欠陥が残っている!
「藤ヶ谷の死亡日を五日目だと俺が誤認したのには、もう一つ理由がある。死後硬直の状況だ。死後硬直は、死後十二時間後にほぼ全身に及び、死後三十時間から四十時間後に硬直は徐々に解け始めて、九十時間後にはほぼ解ける。いわゆる『緩解』という現象だ。
藤ヶ谷の遺体が発見されたのは六日目の午前十時半。もしも藤ヶ谷が四日目の午後十時前に殺されていたのなら、死後三十六時間以上が経過していたことになる。それだけの時間が経過すれば、遺体には死後硬直がほぐれる緩解が必ず起こっていたはずだ。俺は遺体をしっかり観察したけど、そのような兆候はなにも見られなかったぞ」
俺の最後の渾身の反撃にも、恭助は涼しい顔で即答した。
「藤ヶ谷のような筋肉質の人間には、緩解は通常よりもずっと遅れるものなのさ。それに、季節は冬でしかも暖房が効いていない霊安室の中は極寒の冷蔵庫状態だった。気温が低ければ、死後硬直や緩解の症状が現れるのが通常よりも遅れることだって事実なんだ。だから、三十六時間が経過していたのに、まだ緩解は現れなかったのだろうね」
まいった……。俺はまたもやこのクソ餓鬼に完膚なきまでに叩きのめされてしまった。
「ああ、そうだ。一ノ瀬夫人の遺体が森の奥で発見されたよ。後頭部を鈍器で殴られて殺されていたそうだ。可哀そうにね」
恭助が思い出したようにポツリとこぼした。
「そもそも久保川の動機はなんなんだ。やつは結果的に四人も殺害したことになるんだぞ」
「おそらく、人狼の役目を果たすことで多額の報酬が当局からもらえたのだろうね。町医者だからといって必ずしも儲けているとは限らない。多くの金が手に入れば、一度に動かす金額も大きくなって、結局借金を抱え込んでしまうことだってあり得る。しかも、その金額たるや、庶民からは想像もできないような金額なのだろう。まあ、久保川の資産状況は、調べ上げればすぐに分かることだけどね」
「そうだ、まだ分からないことがある。どうして久保川は、霊安室に大切な鎚矛を置き去ったんだ? おかげで、久保川の死体が発見された時に、やつの近辺に凶器がなかったから、結果的にやつは疑われずに済んだんだ」
「ふふふっ、そいつは神のみぞ知るというところかな。想像するに、藤ヶ谷を殺そうと鎚矛を手にした久保川は、状況を判断して、スタンガンの使用に変更をした。だから、メイスは脇に置いといて、スタンガンで藤ヶ谷を襲ったんだよ。そして、そのままそこに鎚矛をうっかり置き忘れてしまったのだろうね」
「分からないな。いくらなんでも、あんな大きなものを置き忘れるなんて」
俺はしつこく食い下がったが、恭助はこれにもしっかり答えを用意していた。
「無理もないさ。だって、鎚矛よりも大切なものをやっこさんは持ち去らなければならなかったのだからね」
殺人犯にとって、凶器よりも大切なものなんてあるのだろうか?
「摩耶ちゃんだよ――。
あれだけの美人をかつぎあげれば、男である以上誰だって、興奮してわれを見失っても仕方がないと思うよ」
そういって如月恭助は高らかに笑った。




