26.虚妄
虫除けくん――と私が呼ぶことに決めた如月恭助という名前の小柄な男の子は、人狼館にいなかったくせに事件の真相が分かったなどと、とんでもない啖呵を切ってきた。
「ああ、現場にいなくたって、真相なんて案外分かっちゃうものさ。なにしろ俺の手元には、なんでも屋が書いたこのご丁寧な手記があるからね。そいつに目を通せば、真相なんかおのずと浮かび上がってくる。すべての事実に矛盾しない論理的説明なんて、俺が考えているシナリオ以外にはまずあり得ないからね」
虫除けくんはさらりといいのけた。自分のちょっとした思い付きに相当な自信があるみたいだ。
「ところが、そこで問題となるのが、手記に書かれた登場人物の証言に嘘と本音が入り混じっていることなんだよね」
「いいじゃないですか、人狼が判明して事件は終結したのだし……」
私は窓から見える外の通りに目をくれた。裏通りとはいえ、絶え間なしに大人や子供、様々な年齢層の通行人が行き過ぎていく。
「そもそもあなたは人狼がどなただったのか、ご存じなのですか?」
「ああ、知っているよ――。
もっとも、なんでも屋、いや、堂林氏の手記には、人狼の名前までは記されていなかったけどね」
虫除けくんは、人狼が誰なのかをみずから見つけ出したことを、ことさらに強調した。
「冷静に考えてみて、人狼になり得る人物はたったの一人しかいない。だけど、それが真実だとすれば、あらたなる問題が生じるんだ。あんたにはもうお分かりのことだろう。少なくとも、なんでも屋よりは遥かに聡明な頭脳を有するあんたのことだからね」
そういって、虫除けくんはキラリと目を輝かせた。
「そうさ。あんた自身が嘘を吐いているんだよ――」
「私が……、どんな嘘を?」
「四次元時空を自在に徘徊できる人狼――。そう、ここで重要となるのは時間という四番目の座標軸だ」
如月恭助の声が高まって、議論がいよいよ核心に入ってきた。時間といえば、かつてアインシュタインが、縦・横・高さの三次元座標に加えて、あらたに時間という第四の座標を導入して仮想光媒質の謎を解明した、というのは有名な話だ。
「人狼閣下はタイムマシンをご愛用している、とでもいいたいのか」
「まあ、そんなところかな。
そもそもさあ、いったいなんで人狼は藤ヶ谷を裸にしたのだろうね……」
なにげなく恭助が呈示した質問に、俺は全く返すことができなかった。
「人狼は、四つの殺人において一貫して被害者を裸にしている。動機はなんにせよ、藤ヶ谷の場合もその意思を貫いたということだ」
「だけど、相沢と久保川は風呂上りを襲われたみたいだし、高木はセックス後を襲われている。つまり、この三つの事件に関していえば、もともと被害者を殺すのに裸にしたい意志があったわけではなく、たまたま被害者が裸である時間帯に犯行に及んだだけだったかもしれない」
「そいつはお前の勝手な推測だ。人狼には被害者を裸にしたがる明確な動機が、きっとあったんだよ」
「だったら、その動機は?」
「それは……」
「人狼が裸を好む、ということも、こちらの勝手な憶測に過ぎない。とくに、これが藤ヶ谷の殺害時となると、状況が全く異なってくる。というのも、藤ヶ谷は霊安室で殺されたんだよね」
「たしかに、風呂あがりでない藤ヶ谷が、最初から裸でいるはずがないよな」
「そういうこと。じゃあさ、服を着ている藤ヶ谷を裸にしようと思ったとして、いったいどうやって服を脱がすのさ。やつの腕力は誰よりも強いんだぜ。力ずくで服を脱がせたのかい」
「そいつは無理だな。とすれば、いったん殺害した後で服を脱がせたと考えるしか、合理的な説明はできないな」
「ところが、藤ヶ谷は裸のまま電気椅子にしばりつけられて殺されている。だから、電気椅子に座らせる以前のまだ生きているうちに、やつは裸にされたことになる」
いわれてみれば、合理的な説明ができない問題である……。
「ねっ、不可思議な点がどんどん浮かび上がってくるだろう。
奇妙なことといえば、他にもあるぜ。なんでも屋のメモの中に、藤ヶ谷の遺体には『感電による皮膚のやけどが背中などの一部で見られただけで、頭部はもちろん身体じゅうのいたるところで、打撲による目立った外傷はなに一つ発見できなかった』、とあったよね。そもそもこいつをおかしいとは思わなかったのかい」
「なにがいいたいんだ?」
「だってさ、電気椅子で処刑されたのなら、やけどをする場所は電極が取り付いたところになるはずだ。そして、人狼館の電気椅子は、電極が頭部と足首にだけ取り付けられる。だから、その付近の皮膚が焦げることはあっても、背中の皮膚が焦げることはあり得ないのさ」
たしかにその通りだ。どうして今まで気付かなかったのだろう。
「じゃあ、ここで質問だ。どうして藤ヶ谷の遺体の背中の皮膚が焦げていたのかな」
「そうか……、スタンガンだ!」
俺は西野がベランダで見つけたスタンガンを思い出した。
「その通り。種を明かせば、人狼は藤ヶ谷を電気椅子にしばりつける以前に、スタンガンで前もって動けなくしたんだよ」
「なるほど。だから強靭なガタイの藤ヶ谷でも、抵抗をされずに、椅子にしばりつけることができたわけだ」
「おいおい、そこで感心をしてもらっても困るんだけど」
恭助はうれしそうに続けた。「スタンガンで藤ヶ谷を眠らせることに成功した人狼は、そのあと、どうして藤ヶ谷を裸にしたんだろう?」
「だから被害者を裸にするのは人狼のポリシーで、人狼はそれに従って……」
俺はもごもごと返答したが、まったく恭助が指摘するとおりである。根本的な問題が解決していない。
「じゃあ、質問を変えよう。藤ヶ谷の背中に付いた皮膚の焦げ跡だけど、服を着ている状態からスタンガンを押し付けられたくらいで残るような代物だったのかな」
俺は藤ヶ谷の背中を見た場面を思い出した。いや、違う。恭助のいう通り、衣服の上からスタンガンを押し当てられたのなら、あそこまではっきりと大きな焦げ跡はできやしない。
「すると、スタンガンを人狼から押し当てられた時に、すでに藤ヶ谷は……」
「そういうこと。スタンガンを突きつけられた時に、やっこさんはすでに裸だったのさ!」