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人狼ゲーム殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
20/31

20.狐疑

 藤ヶ谷の死という想定外の出来事は、一時的に結束していた俺たちの薄っぺらな同盟意識という名の幻影を、木っ端みじんに打ち砕いてしまった。藤ヶ谷が人狼であればいいと思っていた淡い願望は、完膚なきまでに叩きのめされ、誰もが猜疑心にさいなまれ、互いの信頼がおけなくなってしまったのだ。

「冷静になって考えてみましょう」俺は小さな声で切り出した。

「藤ヶ谷の死因が、電気椅子による感電死であることは、まず間違いないでしょう」

「つまり、やつは処刑されたってことだ」川本が応答した。

「そして、電気椅子で殺されたとなると、犯行時刻は昨晩の九時から十時のあいだに確定します。というのも、電気椅子が使用可能となるのは、一日の中でそのわずか一時間に限られるからです」

「たしかに、そこまでは間違いないな」といって、川本がうなずいた。

「ただ今の時刻は午前十時二十分くらいですかね。ということは、藤ヶ谷が殺されてから十三時間前後が経過していることになりますが、そのことと、遺体の死後硬直が全身に及んでいる事実とは、なにも矛盾はありません」

 遺体の硬直の進み具合から、明らかに死後十二時間以上が経過しているのが、素人の俺にもはっきりと分かった。もっとも、これまでに四人もの遺体を見せつけられているから、死後硬直に関する俺の見識も、それなりに深くなっているというわけである。

 ここまでは疑いの余地がない自明な結論であるが、この事件の難解なのはここから先である。

「それでは、いよいよ事件の核心に移りましょう。

 まず、わたしたちが踏み込んだ瞬間は、霊安室には、藤ヶ谷以外には誰もいませんでした。さらに、唯一の出入り口である扉には、鍵が掛けられていたのです。

 藤ヶ谷の遺体だけを残して、この扉に鍵を掛ける方法は、たった二つしかありません。それは、犯人がマスターキーを所持していて、それを使用して外へ出たか、あるいは、犯人が外へ出たあとに、藤ヶ谷自身が、内側から扉のつまみをまわして、鍵を掛けたかです。

 しかし、第一の可能性がまず否定されます。というのも、たった一つしかないマスターキーは、八号室の鍵とともに、久保川医師の部屋へ置き去りにされていたからです。さらには、久保川医師の部屋の出入り口にも鍵が掛かっていましたが、この部屋の錠をおろせる鍵が、マスターキーと八号室の鍵のみであることは、周知の事実であります。

 藤ヶ谷が殺された時刻は、昨晩の九時から十時のあいだ。そして、マスターキーは、昨日は一晩中、閉ざされた久保川医師の部屋の中にあったわけですから、つまり、マスターキーを所持した人物が、霊安室の扉の鍵を掛けたという可能性は、完全に否定されてしまうのです。

 それならばもう一つの可能性である、藤ヶ谷自身が、この霊安室にみずから鍵を掛けたとでもいうのでしょうか。でも、それも不可能です。なぜならば、藤ヶ谷は電気椅子に縛られたまま死んでいたからです。おそらく調べたところで、遺体からは電気椅子で殺された以外の死因をほのめかす証拠は、なに一つ出てこないでしょう。つまり、藤ヶ谷が仮に霊安室を内側から鍵を掛けたとしても、そのあとで、みずからの身体を椅子にしばりつけて、さらには、電気椅子部屋の外にあるスイッチを押していたなんて、そんなことは一人では絶対に不可能なのです。藤ヶ谷は、彼以外のなにものかの手によって、この電気椅子で殺された、いや、処刑されたのです!」

 あまりの恐怖に、誰もが口を開けないでいた。やむを得ず、俺はそのまま話を継続した。

「わたしたちは藤ヶ谷が人狼であると、ずっと決めつけてきました。でも、やつは電気椅子で処刑されてしまいました。そして、ゲームはまだ終了していません。これが意味するのがなんなのかは、賢明なるみなさまにはすでにお分かりのことでしょう。そうです。藤ヶ谷は人狼でなかった、ということです。人狼は、依然として我々の中に紛れ込んでおり、さらなる殺人の機会を、息をひそめながらうかがっているのです!」

 ここで俺はさらに一息入れた。

「それに今回の事件には、密室以外にも、まだ謎があります。いったい犯人はどうやって、藤ヶ谷を電気椅子にしばりつけることができたのでしょうか?」

「それは……、まあ、力ずくでやったんだろう。いや、違うな。力であいつにかなうやつはいない。じゃあ、睡眠薬かなんかで眠らせたとか?」たどたどしい口調で、川本がようやく口を開いた。

「どうです。おかしいでしょう?

 結局のところ、藤ヶ谷は人狼ではなかったわけですから、彼は昨日、久保川医師の証言どおりに、おびえ切ったままで森の中へ逃げ隠れていたはずなんです。そんな藤ヶ谷を、どうやってこの不気味な霊安室まで、犯人はまんまとおびき寄せることができたのでしょうか」

「もしかしたら、森の中で、すでに犯人は藤ヶ谷を殺しちゃったんじゃないのかしら?」今度は、丸山がつぶやいた。

「いや、そうなると、もっとおかしいのです。というのも、久保川医師の遺体を、ついさっき俺と、いや、わたしと川本氏で運んできたのですが、小柄の久保川医師の遺体でさえも、わたしたちは二人がかりで四苦八苦しながら運んだのです。それが藤ヶ谷の遺体となると、館にいるものに気付かれることなく、霊安室まで運び込むのは、まず不可能でしょう」

「すると人狼は、森に隠れていた藤ヶ谷を霊安室の中までおびき寄せ、さらには、裸にして、電気椅子にしばりつけた、ということか。ううん。それこそ、物理的に考えられんな?」川本が腕組みをした。

 あの重たい藤ヶ谷を、よそで殺しておいて、犯人が遺体をここまで運んだとは、とうてい考えられない以上、必然的に、藤ヶ谷は自分の意思でここまでやってきたことになる。いったい、どうすれば藤ヶ谷をここまでおびき寄せることができるのか。そんなことができるとすれば、色気を餌に撒くくらいしか、俺には思い浮かばない。

 俺はさりげなく、丸山と西野の顔に目を向けた。この魅惑的な美人二人のどちらかが誘惑すれば、藤ヶ谷はのこのこやってきそうな気もするが、しかし、仮にそうだとしても、どうやって森の中に隠れている藤ヶ谷と連絡を取ったのだろう。

 俺は電気椅子部屋の中を見まわした。狭い室内の奥の方に、藤ヶ谷が着ていたと思われる衣類が、くしゃくしゃになったまま投げ捨てられてあった。

「きゃあ。そこに変なものが……」

 突然、丸山がヒステリックな声をあげたから、全員がぎょっとした。いつも冷静な彼女にしては、珍しいことである。丸山が指差したのは、電気椅子部屋の入ってすぐの壁に立てかけられた、長さが50センチ足らずの、棒のようなものだった。

鎚矛メイスだ……」

 思わず俺は口走っていた。それは片手でも振り回せる。先端にたまご型のおもりが付けられた武器であった。おもりはおそらく重たい金属であろうが、表面に硬質ラバーがコーティングされており、殴った時の衝撃が拡散されて、皮膚にめり込まずに、確実に頭蓋骨を粉砕できる構造になっていた。手元は、滑らずにしっかりと握れるよう、ラバーグリップが装着されており、棒の部分は軽くて丈夫な金属製で、しかも適度にしなるので、力が弱い女が振り回しても、確実に獲物がしとめられるといった代物だ。単純な武器でありながら、精巧に作り上げられた、極めて殺傷能力の高い武器である。こいつが相沢、高木、久保川たちの息の根を止めた凶器であることは、ほぼ間違いなかろう。

 一方で、藤ヶ谷に関しては、電気椅子から遺体を外して調べてみたのだが、感電による皮膚のやけどが背中などの一部で見られただけで、頭部はもちろん、身体じゅうのいたるところで、打撲による目立った外傷はなに一つ発見できなかった。やはり、鎚矛メイスが藤ヶ谷の命を奪ったのではなく、どう考えても、電気椅子による過剰の電流が体内に流されたためのショック死という結論に行き着いてしまう。この電気椅子が十分な殺傷能力を持っていることは、相沢の遺体を用いた実験で、すでに検証済みである。

「マスターキーに続いて、今度は凶器までも現場に放置か。人狼閣下はさぞかしご乱心のようだな」そういうと、川本はヒューっと口笛を吹いた。

「逆に考えれば、そんなものはもう必要ありませんよ、という人狼の意思表示とも取れるな」

 実に奇妙なことだが、なぜかそう解釈するのが自然に思われた。でも、俺の軽率な意見に、丸山がさっそく食って掛かってきた。

「どうして必要ないのよ。重宝していたマスターキーや凶器を、人狼がわざわざ殺害現場に置いていっただなんて、全く筋が通らないわ」

「仰せの通りです。この謎は、ゲームが終了した時に、おそらく解き明かされることでしょうね。でも、今しばしのあいだ、ほおっておくことにしましょう」

 たしかに、筋は通っていなかった。でも、これ以上の議論もできないから、俺は軽くお茶をにごしておいた。

「だけどよ、今回の事件は、確実に人狼閣下を追い詰めることとなるだろうな」

 自信に満ちあふれた顔で、川本がつぶやいた。

「どういうことだよ」俺は川本をうながした。

「なぜなら、藤ヶ谷が殺されたのが電気椅子だったことさ。とどのつまり、犯行時刻は昨晩の午後九時から午後十時までの、たったの一時間のあいだであると確定してしまったんだ」川本は、すでに俺が明らかにしたことを、もう一度繰り返した。

「そして、その短い時間帯に、完璧なるアリバイを持つ人物が、もし俺たちの中にいるようなら、そいつは人狼ではないということにもなる」もったいぶるように、川本は論理を展開していった。

「そうよね。その時間帯に霊安室に行くことができなければ、藤ヶ谷は殺せないし」と、丸山も川本を指示した。

 夜にしか行動を起こさないといわれている人狼は、昨日、午後一時から八時までのいずれかの時刻で、まず久保川医師を殺害してから、二重の鍵が掛かった空間をすり抜けて逃走し、返す刀で、今度は、午後九時から十時のあいだに、霊安室にて藤ヶ谷を電気椅子で殺害し、再び、鍵が掛かった扉をすり抜けて、煙のごとく消え失せてしまったことになる。

 一方で、昨晩の九時から十時までの時間といえば、そうなのだ。俺が西廊下を見張っていた時間帯とピタリ一致している。すなわち、俺には、その時に見たことを証言せねばならない義務が生じているのである。

「昨晩ですが、実はわたしは八時過ぎから、西側の階段付近に居座って、ずっと、その……、なんといいますか、館内を巡視パトロールしていたのです。あそこなら、一階と二階の両方の廊下の様子が同時に監視できますからね」

「要するに、俺たちのことをのぞいていたということか。ふん、まあいいだろう。それで、なにか発見できたのかな。名探偵さんよ」

 川本が皮肉を込めてぼやいた。

「はい。それでは、見たままのことをお伝えしましょう。

 俺は――、いや、わたしは、八時過ぎから二階の西廊下側の個室を、ずっと巡視しておりました。いえ、決して、みなさんのプライバシーをのぞこうといった下心ではなく、場合によっては徹夜して見張ることまでも覚悟をして、恐ろしき人狼の襲撃からみなさんの安全を守ろうと図ったゆえの、勇気ある行動でもありました。

 見張りをはじめて、しばらくのあいだは、誰も行き来する人はありませんでしたが、時刻は九時を十分ほど過ぎた頃、突然二号室の扉が開いて、川本氏が出てきて、そのまま階段を下りて、居間へ入っていきました。

 ここであらかじめ言いわけを申しておきますが、この屋敷内では、わたしは腕時計を所持していませんから、正確な時刻が断定できません。でも、居間の大時計が打つ鐘の音は、二階までもはっきりと聞こえますから、その恩恵によって、川本氏が居間へ入った時刻が、おおよそ九時を十分ほど過ぎていたことが、わたしは確信できたのです」

「そうだな。俺も正確な時刻といわれるとあいまいになっちまうが、たしかに九時を少し過ぎた頃に、あれはシャワーを浴びたあとだったが、部屋を出て、居間まで行ったな」と、川本が俺に同調する発言をした。

「では、確認が取れたところで、その後ですが、わたしはいったん二階へ上がり、そのう、一号室と四号室のお二人のご婦人が、その時刻に、お部屋にいたのかどうかを確認いたしました。

 いえいえ、決して扉を開けて中を確認したわけではありません。こんな状況ですから、どの部屋にも鍵が掛けられていますからね。

 まず、丸山さんの四号室からですが、そこでは誰かが中にいそうな物音はなにもしませんでした。それでよろしいでしょうか」俺は丸山の顔を見つめた。

「そうよ。あたしは確かにその時間には、自室にはいなかったわ」丸山は観念したかのようにあっさりと認めた。

「丸山さんがその時刻にどこにいらしたかは、もう少しあとで述べさせていただきます。

 次に、わたしは西野さんの一号室を調べました。緊急時とはいえ、まことに淑女レディには失礼なふるまいでしたが、扉ととおして、中の物音に耳をすませました。すると、ちょうど西野さんがシャワーを浴びていて、西野さんの声で、かわいらしい鼻歌が聞こえました。すなわち、西野さんは、その時刻に一号室の中にお見えになったということですね」

 俺はちらっと西野に目を向けたが、西野は無反応で、マスターキーをしまい込んだ小型金庫をがっしりと抱きかかえ込んで、じっと目を閉じていた。

「それから、わたしは再び階段へ戻り、そこで監視を続けました。すると、一階の居間のほうから男女が言い争う声が聞こえてきたのです。声の主はすぐに分かりました。川本氏と丸山さんでした。それでよろしいでしょうか」

 俺は丸山に確認を求めた。

「ええ、そうよ。あたしは昨日の夕食後は、居間でずっとくつろいでいたのよ」

「川本氏にうかがいます。ただ今の丸山さんの発言は正しいのでしょうか」俺は、今度は川本にも訊ねた。

「ああ、そうだ。俺が居間へ入った時に、丸山はすでにそこにいたのさ。それからどれくらいだろう。おそらく、十時よりはあとまで、ずっといっしょに居間にいたよ」と、川本は答えた。

「なにか喧嘩されていましたかね。聞こえてきたのは、かなり大きな声でした」俺は二人に目を向けた。

「さあて、なにを言い争っていたのか。なにしろ、いつものことだからな。そのうち、頭にきた俺は、テーブルに置いてあったワインをぐびぐび飲んで、ぐでんぐでんになっちまったのさ。だから最後のほうはあんまり覚えていないけど、でも、丸山が居間にずっといたのは間違いねえ。

 そうだ、たしか俺は、そのあと居間から出たところで、堂林、お前を見つけて声を掛けたような気がする。そうじゃねえのか」逆に川本から質問が返された。

「ああ、たしかにそれは事実ですね」

「その時刻は?」

「十時ちょっと過ぎ、たぶん、五分程度でしたね。大時計の鐘を確認したから、間違いはありません」

 俺の返答に、川本の表情がふっと緩んだ。

「そうだよなあ。十時過ぎとね。はははっ。どうだい、口喧嘩もたまには怪我の功名となるじゃねえか。これで俺と丸山のアリバイが、同時に成立しちまったことになるのだからな。

 俺は、八時過ぎから九時十分までは自室にいて、それから居間でそのあと十時過ぎまで丸山と一緒にいた。そして、丸山も、堂林の見張りの結果報告から、八時過ぎから十時をまわるまでのあいだに居間にいた。その両方がきちんと証明されたんだ」と、得意げに川本が断言した。

「そうだ、西野さん。ちょうどその時刻にあなたは部屋から出て来られて、そのまま食堂のほうへ向かわれましたね。そして、わたしが川本に絡まれているのを目撃したはずです。覚えていませんか」俺は、さりげなく西野に声を掛けた。

「はい、そうでしたね」西野は素っ気なく答えた。

「時刻をおぼえていらっしゃいますか」

「ええと、十時過ぎでした。間違いありません……」

「別な質問よろしいですか。そんな時刻に、西野さん、あなたはどこへ行こうとなさっていたのですか」

「食堂です」

「なぜ、食堂に?」

「それは……、どこへいこうが、私の勝手です!」そういって、西野はプイっと顔をそむけてしまった。残念ながら、これ以上の尋問は厳しそうだ。

「しかし、今の証言で西野のアリバイも成立したな。なぜなら、名探偵大先生の監視報告によれば、西野は、八時過ぎから十時五分までずっと自室にいて外へ出なかったことになるのだからな」そういって、川本はなめるような視線を西野に送った。

「そういうことになるわね」と、丸山も同意した。

「要約すれば、わたしの監視と、みなさんの証言とで、矛盾することはなにもありませんでした。すなわち、昨晩の九時から十時のあいだは、監視をしていたわたしを含めて、西野さん、丸山さん、そして、川本氏の四名にアリバイが成立したことになります!」

 ひとり壁にたたずむ一ノ瀬氏にちらっと目を向けながら、俺は堂々と勝利宣言をした。

「おおっと、ちょい待ち。悪いが、堂林――。お前自身のアリバイは、必ずしも成立しているわけじゃあねえんだよ」と、川本がうれしそうに付け足した。

「どういうことだ? 俺はずっと階段で監視をしていたんだ。だから霊安室へ行くことはできないはずだ」俺はきっぱりといい張った。

「ちっちっち。分かってねえな。お前自身の証言でお前のアリバイを作り出そうというのが、ちょいと虫が良すぎるんだよ。お前が八時過ぎから十時過ぎまで階段で見張りをしていたと主張したところで、それを第三者が目撃していたというわけではなし。実際には、五分もあれば、霊安室へ行って、電気椅子のスイッチを押して、戻ってくるなんて芸当は、たやすくできるんだからなあ」

「しかし、藤ヶ谷を椅子にしばりつけて、霊安室に鍵を掛けて戻るとなると、それなりに手間がかかる。五分や十分では難しいぞ」想定外の展開に、俺は応対がしどろもどろになった。

「そんなのは問題じゃねえのさ。大事なことは、堂林、お前にはアリバイはねえってことだ!」川本が悪魔のような笑みを口元に浮かべた。

「それに、アリバイがないお方がもう一人。一ノ瀬さんということになるわね」丸山文佳も冷たい視線を一ノ瀬氏に送った。

「おい、堂林。昨日の監視で、一ノ瀬氏の姿は見なかったのか」川本が訊ねた。

「いや。一ノ瀬氏も見た。途中、食堂のほうからやってきて、居間の前を通り過ぎて、そのまま一階の西廊下を奥のほうへ消えていきました」

「時刻は? おおっと堂林、こいつはお前への質問じゃねえ。一ノ瀬さん。あんたに訊きたい。名探偵大先生の証言が真実とすれば、あんたはその時どこへ行こうとしていたんだい」川本が、俺を制して、一ノ瀬氏に声を掛けた。

「はい。わたくしは……」一ノ瀬氏はあたふたとおののいていて、顔が真っ蒼であった。

「昨晩、ワインセラーで瓶の整理をいたしましてから、一階廊下を通って、リネン室へまいりました。時刻は、九時半頃でございました」

「堂林――、お前が一ノ瀬氏を目撃した時刻は?」

「九時半だ。合っている。一ノ瀬氏が廊下を歩いていた時に、大時計の鐘が一回だけ、たしかに鳴ったからな」

「そうかい。ところで、一ノ瀬さん。あんたはワインセラーにはいつからいたんだい」川本が一ノ瀬氏に訊ねた。

「はい。わたくしめは、昨晩ワインセラーへは、九時頃にまいりました」

「九時よりも前か、あとか? どっちなんだ」川本が答えを催促した。

「八時五十五分でございます。九時よりも少し前でございました」

「おい、聞いたか。一ノ瀬氏の証言が本当だとすると、九時から一ノ瀬氏がリネン室に移動した九時半までのあいだは、誰もワインセラーの中を通り過ぎていないことになる。そして、霊安室に行くにはワインセラーをどうしても通過しなければならない。

 とどのつまり、藤ヶ谷殺害の犯行時刻が、九時半から十時までのあいだわずかの三十分に限定されたってことだな」川本が声を荒げた。

「待て、そいつはあくまでも一ノ瀬氏の証言が信用できたらの話だ」俺は川本をいましめた。

「しかし、お前の証言とも矛盾はしていない。かなり信ぴょう性は高いと思うぜ。

 まあ、いいや。そんなことよりさ、さあて、人狼閣下は果たしてお二人のどちらなんだろうねえ?」

「人狼が俺と一ノ瀬氏のどちらかだと決めつけられるのは極めて心外だ。ひょっとしたら、一ノ瀬夫人がどこかに隠れているのかもしれないぜ」俺は必死に弁明した。

「その可能性は捨てきれねえが、一ノ瀬氏には悪いが、夫人はきっともうどっかで殺されているよ。人狼は間違いなく、ここにいる五人の中の誰かなんだ。そして、その五人のうち、少なくとも三人には、藤ヶ谷が殺せないという、完璧なるアリバイが成立している。

 ということで、今夜の処刑を終えれば、この忌々しいゲームはたぶん終結するだろう。だからそれまでは、人狼に殺されないよう、個室に引きこもってなくちゃなあ。くわばら、くわばら」川本は勝ち誇ったように浮かれていた。

「これからどうするのよ。とにかく遺体を処分してよね。気持ち悪くて目も開けられないわ」

 丸山が藤ヶ谷の遺体を指差した。仏さんを憐れむ気持ちよりも、目前の不快感を処理するほうが、今の彼女にとって重要であるということだ。

 藤ヶ谷の遺体は、しばってあった皮ベルトがほどかれて、椅子からはおろされているのだが、こいつを棺桶まで運ぼうとしても、川本と俺の二人がかりでは、どうしようもなかった。死後硬直で硬くなった藤ヶ谷の遺体は、ほとんど鉄のかたまりだ。あらためて、やつの股間から伸びる人間離れしたいちもつを見て、こいつが可憐な西野に挿入されていたらどうなっていたかと思うと、いまさらながらぞっとさせられた。

「館に戻れば担架がございます。さっそく持ってまいりましょう。西野さま、お手伝い願えませんか」

 俺たちの様子を見かねた一ノ瀬氏が、あわてて申し出た。しばらくして、西野と一ノ瀬氏は担架を運んできた。川本と協力して、担架にやっとのことで藤ヶ谷の遺体をのせると、六番の棺桶まで遺体を運び、どうにか遺体を収めてふたをすることができた。二人がかりでやっとの作業であった。


 自室へ戻ると、俺は書き物机に向かった。このままでは、今晩の村人会議で俺は吊るされて、電気椅子で処刑されてしまいかねない。

 私立探偵という職業がら、これまでに幾度となく、俺は絶体絶命の危機をまぬかれてきた。今回もそうであらねばならない。しかし、助かるためには、人狼が誰なのかを暴き出さなければならないし、そのためには、この複雑怪奇な事件の要点を、はじめからきちんとまとめあげることが必須条件なのだ。だが、俺に残された時間は、あまりにも少ない。

 見ていろ。絶対に生き残ってみせる。なにしろ俺は、いわずと知れた、なんでも屋の堂林凛三郎なのだからな!

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