1.寝室
登場人物
堂林 凛三郎 自称、プログラマー (岡林吾郎は偽名)
相沢 翔 自称、大学院生
藤ヶ谷 隼 自称、インストラクター
丸山 文佳 自称、主婦
高木 莉絵 自称、ピアニスト
川本 誠二 自称、数学者
久保川 恒実 自称、村医者
西野 摩耶 自称、大学生
一ノ瀬 祐之 人狼館の執事
一ノ瀬 歩美子 人狼館の家政婦
高椿 素彦 人狼館の主、子爵
東野 葵子 対話型人工知能プログラム、愛称は『アオイ』
如月 恭助 自称、堂林凛三郎の友人
これから本編をお読みになる読者諸君へ、老婆心ながらご忠告申し上げる。
本編のところどころに挿入された図中には、最終的な真相へたどり着くための貴重な手掛かりが描き込まれているらしいことが分かっている。
したがって、もしも縦書きPDFファイルでお読みの際に、
<i******|2982>、
と表示された箇所を見つけられたら、ご面倒ではあるが、横書き表示のモードまで立ち戻って、その図の内容をきちんと確認されたし。
目次
1. 寝室 22. 幕切
2. 居間 23. 帰還
3. 食堂 24. 狼藉
4. 探検 25. 推理
5. 主人 26. 虚妄
6. 装置 27. 姦淫
7. 摩耶 28. 時空
8. 殺人 29. 真相
9. 秘密 30. 追記
10. 小憩
11. 会議
12. 狂気
13. 死姦
14. 失踪
15. 悪夢
16. 予兆
17. 伝説
18. 密室
19. 処刑
20. 狐疑
21. 手記
読者への挑戦
目が覚めると、やわらかなベッドの上だった。ずっしりとのしかかるぶ厚い暗闇と、ひりりと凍りつくとめどなき静寂に取り囲まれ、触覚を除く五感は完全に麻痺しているのだが、どこからともなく差し込む一筋のあかり。そいつを頼りに三半規管を発動させると、ぼんやりしていた視界は、徐々に鮮明なものと化していった。
ベッドの向こうに書き物机があって、クリスタルホルダーに収納されたピンク色のキャンドルがともっている。
なるほど。ご来光の湧水源はこいつだったのか……。
オレンジ色の炎が、生きたトカゲのことく、ゆらゆらとうごめいていた。じっと見ていると、魂が削られるようで、ぞっとする心地に襲われる。が、次の瞬間。遅まきながらも、停滞していた俺の思考回路が、ひとつの結論をはじき出す。
そうか、俺は今、閉ざされた部屋の中にいるのだ……。
よろよろと壁づたいに手を伸ばすと、なにげに指先が突起物に触れた。すると、天井の電灯がパッとともされ、室内は心地よい明るさに包まれた。
ほっと安堵した俺は、あらためてまわりを見渡す。ビジネスホテルのシングルルームよりかはちょっと広めの感じだ。
書き物机には、木製の小さな本棚が置いてある。聖書に仏典、ペーパーバックが二冊と、それに、なぜかサバイバル入門と書かれた本があり、それらが調和を保ちながら、一列に陳列されていた。
それ以外に調度品といえば、楕円形の大鏡が乗っかった化粧台に、ゆったりした衣類収納庫、それに、ささやかな冷蔵庫くらい。テレビやラジオといった娯楽用のたぐいはなかった。そういえば、部屋の隅っこに観葉植物の鉢がひとつ、はたして何の意味があるのか、さびしげにたたずんでいる。
冷蔵庫を開けてみると、ソーセージやチーズなど手軽に食べられる保存食と、缶ビールにジュース、それと紅茶が入った冷水ポットがしまってあった。冷蔵庫の上にはIH湯沸かし器が置いてある。これでポットの紅茶もあたためられるというわけか。
たった今、気付いたのだが、室内には暖房が掛かっていた。ベッドの上に開けられた通気口から暖かい風が流れ込んでくる。まあ考えてみれば今は冬だから、暖房が効いていて当たり前。そうでなければ、こんなにリラックスできるはずもなかった。
次は衣類収納庫だ。扉を開けるまでさほど必要性を感じなかったのだが、驚くべきことに、中には多岐にわたる衣類がめいっぱいに掛かっていて、ちょっとしたおしゃれにこと欠かなかった。下着類もきちんとたたまれて、引き出しにしまい込んである。
すぐ横には洗濯機ほどの大きさの蓋つき籠があって、Laundry basketと、文字が刻まれていた。書かれた文字から察するに、使用済みとなった下着はここへ入れておけばよさそうだ。
蓋を開けて籠の中をのぞき込むと、底のほうに開け口が取り付いていた。外部の者が籠へ入れられた衣類を回収するために、わざわざ設けた開け口だと思われる。きっと、着たものをここへ入れておけば、あとから何者かが回収にきて洗濯をしてくれるのだろうと、俺は好意的に解釈した。困難なる個々の局面を常に楽観的にとらえられることが、俺の天与の才能だ。
壁には円形の時計が掛かっている。秒針がカチカチと嫌味でない程度の音を立てている時計の針は、六時をちょっと過ぎた時刻を指していた。
室内にはドアが二つある。一つはここから外へ出るための扉で、もう一つは室内に設置された小スペースへ入る扉である。俺は後者を開けてみた。案の定そこはユニットバスだった。
水道の蛇口は、一つの管から二つの出口へ分岐させる混合栓で、洗面所とバスシャワーの両方がダイヤルレバーを切り替えながら使用できるようになっている。蛇口のハンドルは冷水用とお湯用の二つがついていて、それぞれの開き具合で温度が好みに調節できた。試しにフルでお湯を出してみると、シャワーで入っても申し分のないくらいの熱いお湯が噴き出してきた。
棚には歯ブラシにマウスウォッシュ液、歯磨き粉、五枚刃の安全カミソリに、手入れ用のシェービングクリーム、整髪料、ヘアブラシと、ありきたりの身だしなみ道具が一式そろっていた。
俺の職業は、しがない私立探偵である――。
ちょっと前のことだ。俺は人生最大のミスを犯した。とある秘密組織を調査していた時、ふいに背中に衝撃を受けて意識を失った。おそらく、あれはスタンガンだ。そして、気が付いたらこの個室にいたというわけだが、果たして俺は監禁されてしまったのだろうか?
何気なくポケットに手を突っ込むと、タバコがなかった。
いや、タバコどころか、スマホも手帳も、財布もカードも、それから数多くの秘密の小道具もすべて消えうせている。おそらく、ここに連れ込まれた際、全部抜き取られてしまったのだろう。畜生、これでは相棒のリーサに連絡を取ることすらできないではないか。
さあ、いよいよこの部屋最後の調査といこう。部屋の出入り口と思しき扉に、俺はそろそろと近寄った。注意して観察すると、サムターンと呼ばれる楕円形状のつまみが取り付いている。それを回せば鍵が掛けられるという、極めて単純な構造の扉だ。
ドアノブにそっと手をかけてゆっくり力を込めると、意外なことに扉はすっと開いた。なんだ、鍵は掛かっていないのか。
ドアのすき間から顔を突き出してみると、殺風景な廊下が広がっていた。照明はともされていたが、誰もいない殺風景な空間であった。ほかにも同じような扉が、ここを含めて四つ並んで見える。そして、俺がいるこの部屋の扉には『No.3』と書かれたプレートが貼ってあった。
出て左側の突き当りに、下へ降りる階段が見える。途中に窓があったので、そっとカーテンを開けてみると、外の様子がうかがえた。高さはせいぜい二階か三階といったところだ。今まで気付かなかったけど、外はひどい豪雨の嵐だ。雪はどこにも積もっていない。真っ暗ではっきりと確認できないが、どうやら広大な広葉樹林が広がっているようだ。もっとも今の時期だから、広葉樹といえばすべて枯れ木なのだが、いずれにせよ、ここはかなりの山奥だと推測される。
階段を降り切ると、直角をなした二方向に廊下が伸びていた。おそらくここが建物の一階だ。
炎に魅せられた蛾がそれに引き寄せられるみたいに、ふらふらと左手の廊下を進んでいき、やがてさっきいた部屋のちょうど真下に当たる場所へ、俺はやってきた。ここにも扉だ。だがそれは、上階のとは比べ物にならぬほど立派なマホガニー製で、高さが八フィートもあろうかという巨大な扉であった。
真鍮のドアノブに見事な造りのライオンが彫り込まれている。手を掛けてグッと力を込めると、キイイと気味の悪いきしみ音が響いて、廊下の静寂が打ち破られた。
そして、扉はゆっくりと開いていく……。