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プロローグ


「えっと……TだっけFだっけ、確か斬撃がこのキーで――」


 半透明のカバーを介して手元のキーボードをあれやこれやと叩いてみると、七海は――いや、七海の分身のキャラクターは――目前のモンスターに初期装備の鉄剣を振り下ろした。

 心地よい効果音と共に、七海の「初めて」を歓迎する文言が画面上に表示される。



【おめでとうございます! 初のモンスター討伐です】



 スライムとかいう粘性のモンスターだったらしい。七海はドロップしたアイテムと僅かなマネーを、おぼつかない操作で拾った。


「お肉と、三十ゴールドか……えっと、このゲームのお金の価値はっと」


 画面左上のメニュー欄から【フロント】を選択。やたらモンスターが蔓延る草原から画面上のキャラクターは一瞬にして転移する。


 景色は打って変わり、そこはあたかも現代日本の街。どこかの都市圏がモデルになっているとか、いないとか――ビルが立ち並び、多くのプレイヤーが行き交っていた。


 七海は手頃なショップに入店し、商品を一通り眺めていく。


「げっ……全快ポーションで五千ゴールド⁉ それじゃあさっきのスライムで計算すると」


 七海は一旦VRゴーグルを外し、デスクトップパソコンの前から離れる。広げたままの数学のノートの端で、さらりと単純な計算を行った。


「百六十七体、全然現実的じゃないなあ」


 はあ、と溜息を漏らしながら、再びディスプレイの前へと戻った。



 ――七海がこの大型VRMMO『インベントグラティア』のプレイを始めたのは、たった二時間ほど前のことだ。



 オープンテストが三月上旬、正式なサービス開始は四月上旬から。そして現在は四月の下旬に差し掛かっている。つまり正式なリリースから一カ月経たず、という比較的新しいゲームではあるのだが――ごく最近のオンラインゲームとしては他に類を見ないほどの新規プレイヤー獲得数で、ネット上にてささやかな話題となっていた。


 というのも、【フロント】【バック】というダブルワールド制、さらには企業が専売しているVRゴーグルの使用推奨という、過去に例を見ない抜けっぷりであることが主な要因ではあるのだが。


 七海はリリース直後にはこのゲームの存在を認知してはいたが、即座にプレイするには至らなかった。いや、やろうと思えばできたのだが――なけなしの貯金で買った専用VRゴーグルが自宅に届けられるまで、半月近くも時間を要していたのである。


 で、今朝ようやく一日千秋の想いで待ったブツが配送センターから送られてきた。

 それは見た目のごつさからは想像できないほど軽量だ。PCとワイヤレス通信だから使いやすく、装着した状態でも視線を落とせば手元のキーボードを確認できる仕様になっている。


 実際にゴーグル有りでプレイしてみれば、キャラクターを含めあらゆる建造物や風景も鮮明で、ぬるぬると動く。さらにジャイロ機能が搭載されており、頷いたり首を振ったりなど、単純な動作ならプレイヤーとキャラクターの動きを連動させることもできる。


 他製品と比べるとその価格がネックだが、七海には値段相応だと思えた。


 がしかし、七海は何とも複雑な心境に陥っていた。



(張り切って揃えてみたはいいけど……私、こんなんでやっていけるのかな……)



 七海は再びVRゴーグルを装着し、【フロント】ワールドの世界を見渡した。


 ここはいたって平和だ。『インベントグラティア』の特徴的な一面ともいえるこの【フロント】ワールドは、いわば現実世界をそのままオンラインに移築してきたようなもので、MMOにありがちな「ギルド」「戦闘」「剣と魔法」などという要素は一切ない。


 現実世界を模した空間の中で、プレイヤーたちはキャラクターにお洒落をさせたり、ストア経営をしたり、友達とチャットしたり、時にはミニゲームを楽しむ――といった、SNS的要素が強い構成になっている。


 勿論、それでは満足しないプレイヤーも多数いる。そこで存在するのが【バック】ワールドだ。ここでは【フロント】とは衣装も打って変わり、本格的なMMOを楽しむことが可能だ。


 大抵のプレイヤーたちは、この二つのワールドを掛け持ちしていた。両世界はほとんどの場合、いつでも行き来することができる。だから昼は【フロント】、夜は【バック】で過ごすといったような楽しみ方もできるのだ。


 七海はと言えば、もっぱら【フロント】の方で遊びたいと考えていた。だがプレイを始めて即刻のうちに、ある重大な問題点に気付いてしまっていた。



(お金がないと何もできないみたい……)



 キャラクタークリエイト後に送付されるゴールドはすずめの涙、とりあえずショップで並の上着が買える程度でしかなかった。【フロント】には一応稼ぐためのおつかいエストなるものが存在するが、解放には一定のレベル上げを要する。



(で、ウィキ調べてみたら……【バック】でモンスター討伐して、ある程度のお金を集めつつ、レベル上げなきゃいけない、と)



 そんなこんなでお邪魔してみた【バック】ワールドではあったのだが――過去に一度もこの類のゲームをプレイしたことのない七海にとってみれば、その世界観はやや難解だった。


 ダンジョン、モンスター討伐、ギルド所属、レート制……どれを取っても、やはり七海には聞きなれない用語ばかり。それに加えて、操作も――【フロント】とは違って、やや複雑なコマンドや慣れを要求する。



(さっきスライムと戦ったけど、どうも……難しいなあ)



 そしてさらに七海の心を萎えさせたのが、先ほどの仮想通貨のレートの件だった。


「さっきのスライム……百六十七体倒して、やっと全快のポーションが一つ。気が遠くなっちゃいそう……」


 今日はこの辺にしておくかと、七海はログアウトボタンにカーソルを移動させた。……が、やはり慣れることが大事だと思い直し、再びあの草原でスライムの大群と対峙する。

 ここは言うなればチュートリアルの場、せめてここくらいは初日にクリアできなければ話にならないだろう。


「よしっ」


 七海はふうと息を吐いて、目に付いた最初の一匹目へと飛びかかった。


       *


 最後の一体を惰性でなぎ倒し、七海ははあと深いため息をついた。


 小一時間を費やして二十体目の討伐に成功したことになる。これをもってようやく【バック】でのチュートリアルは終了。七海は画面の指示に従って、セントラルセンターへと移動する。



【セントラルセンター:ここでは、バックワールドにおける様々な情報を手に入れるとともに、プレイヤー同士で交流も楽しめます】



 そこは【フロント】にも劣らない盛況ぶりだ。他プレイヤーはそれぞれ個性のある装備を身に纏い、各々楽しんでいるようだった。



(……ギルドの勧誘とかもあるし、プレイヤー間のPvP部屋もあるんだ)



 相当に楽しそうではあるのだが、いかんせん七海にはまだ遠い世界の話だ。



(とにかく、今はレベルを上げて強くなることを考えないと!)



 七海は決心して、セントラルセンターの中心部にあるシティネットワークを目指す。シティネットワークは【バック】における主要都市、および施設同士を繋ぐ機能であり、プレイヤーは無制限に相互を転移できる仕様になっている。



(初心者用の易しいめのクエストが【英霊の森】。今日はそこで……せめてスライムくらいは簡単に倒せるようにならなきゃ)



 先ほどのチュートリアルでスライムに対して苦戦したことで、ななみは多少躍起になっていた。というのも「ネトゲ初心者と言えどもスライムは流石に秒殺」というのがネット上で広く言われていたためである。

『インベントグラティア』において超難解なコマンド操作は、よほどの上級プレイを目指さない限り要求されない、全体的に親切な設計になっている。たとえば移動に関しても「Zキー+矢印キー」で滑らかな行動が可能なうえ、マウス操作でもキャラクターを操ることができる。



(でも私は、それすら上手くできない。こんなんだったら、このゲームを楽しむことなんてできっこないもんね)



 初日からクエスト漬けというのは、相応に辛いものだ。しかし七海は一刻も早い操作への順応と、レベル上げの必要性を実感していた。


 キャラクターにはステータスがある。能力値はそのキャラクターのレベル、それに装備品によって上昇する――上昇値はまちまちであるが、それでもレベル1と現時点での天井値であるレベル65では雲泥の差がある。また、レベルによって高レアアイテムドロップの確率が上昇、全てのショップでの価格が割引になる。レベル上げは、言ってみればいいことずくめなのだ。


 七海は早速、マップ上右端の【英霊の森】へと転移しようとして――何かのアイコンが、画面右上で明滅しているのを捉えた。



(なんだろ、これ)



 気にするほどのものではないのかもしれないが、七海はとりあえずそのアイコンをクリック。瞬時にイベント開催のページへと飛ぶ。

 そこにはプレイヤーを煽る制限時間の表示と共に、こうあった。



【全国ご当地JK対戦~団体戦編~、応募受付まであとわずか! 残り1分56秒】



「むっ⁉」


 七海はそんな文言を目にして、食いつくように画面を凝視する。



【『インベントグラティア』リリース記念第三弾! 全国のJKプレイヤーたちが各ブロックに分かれて対戦するRvR形式の大規模イベント!】



(……面白そうだなあ。でも)



 説明文を読み進めていくにつれ、七海は興味を膨らませるとともに、やはり自分には関係ないかと考えるようになった。

 このイベントはJK……いわゆる女子高生限定のイベントらしい。その証拠に、応募条件は「女子高生であること」「専用VRゴーグルの着用プレイをしていること」のみとなっている。


 そこまではいいのだが、但し書きにはこんなことも書かれていた。



【参加者は、アカウント作成時に設定した都道府県に基づき処理されます。このイベントでは、各都道府県で一人まで参加が可能です。複数応募の際は、プレイヤーレートが高い順に選出されることとします】



 プレイヤーレートと言うのは、主にPvP形式の対戦によって変動する、そのプレイヤーの腕を示す数字だ。初期レートは1000に設定されていて、レートが自分よりも高い相手に勝てば大幅に、近しい相手に勝てばそれなりに値が上昇する仕組みだ。逆に負けた場合は、相手のレートが自分より高ければやや少し、自分より低ければ大幅に減少することになる。


 勿論、まだPvPの経験すらない七海のレートは当然1000のままである。



(まあ、私にはまだ早いってことかな)



 興味深いイベントであるために多少残念ではあったが、七海は潔く諦めることにする――が、再度目に入るは【残り0分21秒】の表示。



(……せっかくだし、応募するのもアリかな。いちかばちかってことで)



 そう思い直し、七海は応募ボタンをクリックする。

 ――と、次の瞬間。ブザーが鳴り響き、画面上にボイスチャットの小窓が現れた。相手は【インベントグラティア サポートセンター】とある。


「え……えぇ~っ⁉」


 突然のボイスチャット起動に慌てふためいた七海は、慌ててウィンドウを閉じようとする。が、それより前にVRゴーグルに内蔵された特殊スピーカーから、女性の落ち着いた声音が耳に届いた。

 

『失礼いたします。インベントグラティア、運営サポートセンターでございます。ID名、Nanami_15様でよろしかったでしょうか?』


 七海の『インベントグラティア』における登録ID名で名前を確認される。機械音声ではないようだ。七海は恐る恐る、「はい」と返事する。内臓のマイクで七海の肉声が拾われると、


『承知いたしました。ではご自身のID名と年齢を、声に出してお聞かせください』

「ええと……Nanami_15です。十五歳……です」


 七海はどきまぎしながら、もつれそうな舌を懸命に駆使して答えた。


『はい、結構ですよ。ご協力ありがとうございました。それではNanami_15様の応募を受理いたします。どうぞゆっくりとお楽しみください』

「え⁉ ……えっとっ」



 ……――。



 オペレーターの声が途切れてからも、七海はしばらくの間あんぐりと口を開けて固まっていた。

 確かにこのイベントは女子高生限定と明記されている。確かに七海にしても、プレイヤーの年齢などをどうやって確認するのかと疑問に思いはしたが、よもや声で判断するとは予想だにしないことだった。


「……声、聞かれちゃった……?」


 声紋――確かに大したものではないかもしれないが、それにしたって運営側に声を聞かれるのは気持ちのいいものではない。

 応募条件にVRゴーグルの着用があるのも、まさかとは思うがこの審査のためだったのだろうか? 七海は寒気に背筋をぶるりと震わせる。

 画面上には【応募完了】のウィンドウが表示されている。



(コレ……勝手に応募しちゃって大丈夫だったのかな……?)



 まだ七海はネット世界にそこまで精通しているわけでもなかった。友達から聞きかじったネットの闇――詐欺にサクラに炎上、荒らしに改竄、誹謗中傷に特定行為。

 このゲームはそれらとは全く無関係の代物だろうが、まだ七海も高校に上がりたての年頃である、不安を完全に払拭しきることはできなかった。


 一時はキーボードから手を離しかけた七海だったが、不自然な頭部の重量感――そういえばゴーグルを装着しっぱなしだったことを思い出して、席を立つのをとどまった。この程度のことでゲームから離れているようでは、さんざんの葛藤の末にゴーグルの購入までこぎつけたあの努力が報われない。せっかくなのだ、やれるだけやり込んで楽しむべきなのではないだろうか? 七海は己に、そう自問した。



(そうだよ、せっかくなんだから――このゲームで一目置かれるような存在に)



 そう、ここなら。



(現実で冴えなくったって、ここなら羨望の眼差しを身に浴びることだって)



 できるはず。


 これまで人生において、殆ど経験したことがない「他者からの承認」という欲求が、七海の心には強く表れていた。

もし仮に自分が認められることがあるとすれば、ここしかない。


 純粋にネトゲを楽しみたいだけではない。ゲームを追求し、執着し、とてつもない時間をつぎ込んで、その向こうにある名誉を手に入れたい――たとえそれが実体のない、データ上のものでしかないのだとしても。


 七海は一つふうと息を吐いて再度気を引き締め直してから、ディスプレイをクエスト画面へと移行させた。



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