両親
コンコン。
「失礼いたします」
ルチアさんが訪ねてきたのは、空が夕陽に染まり始めてきた頃だった。
「お嬢様、もう少しで夕食のお時間となります。」
「あら、早いのね」
「はい、旦那様から本日の夕食は早めるように、との指示がありましたので」
食事ねぇ…てっきり書斎に呼ばれると思っていたのだけど。たしかにお腹がすいてきた頃だったし、ある意味ちょうどいいと言える。なんとなく釈然としないけど。
「そう、ちょうど良かった。少し空腹を感じてたの」
「そうでしたか」
ルチアさんはさっと私の元へ近づき、身嗜みの確認を行う。それを眺めながら、考える。
夕食の席には両親は勿論だけど、兄や姉は同席するのだろうか。いや多分、少し時間をずらすんじゃないかな。私との話を先にし、父が決定を下した後に二人を呼ぶ。あくまでも、夕食の時間だからと。そして、タイミングをみて、私が聖女候補に選ばれた話を持ち出すんじゃないかと思う。
そんな事を考えてるうちにルチアさんは身嗜みの確認を終えていた。そして、私の意識が思考から戻ったのを察して口を開いた、
「よろしいですか?――では、参りましょうか」
ルチアさんが案内した先は、食堂だった。夕食に呼んだのだから、当然の案内先ではある。
食堂にはすでに両親の姿があり、私の到着を待っていた事がその表情から窺い知れる。待たせてしまっただろうか、出来るだけ早く来たつもりなのだけど…などと考えても仕方ない。時間をもらった時点で、待ってもらった事に変わりはないのだから。
ルチアさんが引いてくれた椅子へ近づき、座る前に両親へ対して目礼する。それを待っていただけた事への感謝と待たせてしまった事への謝罪の意とした。
私が椅子へ座り、改めて父へ視線を向けた事で、父は口を開いた。
「エル、食事の前に話をしよう。――分かってると思うが、聖女候補の件だ。まずはお前の意思から確認したい」
口調こそ普通だが、父の瞳は真剣な色を宿していた。
「わかりました」
父の強い視線に負けないよう、私も意識を切り替える。
「聖女候補のお話ですが――お受けいたします」
「ほう、なぜ?」
「今回、私が聖女候補の推薦を受け、それを承諾することはラヴィーナ教に恩を売るチャンスと考えています。そして、我がアッテルベリ家から才ある者が出ることは、帝国貴族として――」
………。
……。
…。
私は、先ほど自室で考えていた事にいくつかの要素を足して両親へと話した。それに対して、二人は特に口も挟むことなく静かに聞いてくれた。
正直なところ緊張したし、推測が多分に含まれた仮定を元に、今の生活を捨てるような選択をした事を指摘されるんじゃないかと不安もあった。実際に捨てるわけじゃないけど、貴族ではなく聖職者側に属する事になるのだから、そう捉えられても間違いじゃないとは思う。
うん、とりあえず私の考えは伝えた。後は、父がどのような決定を下すのか。そして、母はこんな選択を自らする私をどう思っているのだろう。
なんか気持ちが弱ってるかも。やっぱり人生を左右する選択って重いね…。
「ふむ、お前の考えは分かった。自身の事、アッテルベリの事を考えた上で承諾すると言うのだな」
そう言う父の表情は、どこか複雑そう。父も自覚があるのか、少し歯切れ悪そうに続けた。
「…エル。いや、エルシリア。もう一度聞くが、いいのだな? 返事は早いほうがいいとは言え、今日明日に決めてしまわなくとも問題はないのだぞ」
「わかっています。ですが、私なりに考えて出した答えです」
「覚悟は出来ている、というわけか」
父は息を吐くと共に目を閉じた。それも一瞬の事で、次に目を開いた父は雰囲気が変わっていた。
これが当主としての父…と、どこか他人事のように考えている私がいた。だって、相対してみて分かったけど、これさっきまでの比じゃないよ!緊張感っていうか威圧感というか!
…はっ!? 落ち着け私。急な変化に戸惑っただけ。そう相手は父なんだ、知らない相手じゃない。まずは、深呼吸しよう――。
「では、私から言う事は一つだ。エルシリア、聖女候補として――いや、未来の聖女として、己の信じる道を行け」
父が放った一言に、私の思考は一瞬停止した。
……未来の聖女?いやいや、私は聖女になるつもりはないから。あ、でも聖女候補になるっていうことは、聖女となる為の修行?みたいなものだよね。当たり前だけど、聖女になるイメージが持てなかったから忘れてたよ。
私が反応できずにいると、父は訝しげに問いかけてきた。
「もしかして、聖女になるつもりはないのか?」
「あ、いえ、そうではありませんが…私よりも、聖女に相応しい方がいると思っていましたので。例えば、すでに候補として名が挙がっている方々がいますよね? その方々は少なくとも、相応しいと認められる何かを持っているからこそ名が挙がっているわけですし」
「ふむ、確かにそうだな。しかし、司教様からの推薦を頂ける程に認められたお前も十分、聖女となれる可能性があるのだぞ」
そう言われてしまえば、そうなのだけど。
どうやら父は、私に聖女になって欲しいと考えているみたい。
「そう、ですね。もし私が聖女となれば、アッテルベリの名も世界中に知れ渡る…という事ですか」
「ああ、その通りだ。だが、聖女となれずとも問題はあるまい。すでにお前は、才ある者と認められたのだからな」
これで私が聖女候補となることは認めて貰えたと考えていいよね。あとは後日、司教様にお伝えすれば正式に決定となる。その際に必要な準備とか聞いておかないとね。
「はい。――ありがとうございます、お父様」
「…礼を言われるような覚えはないが」
「いいのです。私が言いたかったのですから、お気になさらずに」
勿論それは、私の意思を尊重した上で認めて頂けた事。そして、その意思を決める為の時間を頂いてなければ、この場の私はいなかったのだから。そう考えれば、自ずと口に出てしまっていた。
とりあえず、これで父の方は一段落といったところかな。どうやら、父も先ほどから隣が気になってるようだし。
さて、次に私が向き合うべきは…。
「エル」
そう、ここまで父の隣で何も言わず、静かに私達を見守っていた母だ。
「何でしょうか、お母様」
「まず分かっている事から話すわ。あなたが出した答え、それはこの家から出て行く事よ」
「……っ」
「だから、よく聞きなさい。これからのあなたは、あらゆる問題に立ち向かわなければならないわ。それは令嬢としてではなく、一人の人間として。中にはあなたが想像もしないような困難もあるでしょう。それと同時にあなただからこそ、救ってあげられる誰かがいるかもしれない。そのどちらにしても、どうするか…自分に何が出来るか考えなさい。必要とあれば、使えるものは全て使うの。これから得る教会という後ろ盾だってその一つ。でも、それに頼ってはいけない。その意味は分かるわね?」
「はい、わかります。」
教会という後ろ盾はとても大きいもの。聖女候補となれば、それが得られる。けれど、それは“私達にその価値”があるから。けれども、教会の威光や力に頼るばかりで、自分から何も為そうとしない者はいずれその価値を無闇に消費し続け、その結果自身の持つ価値を失う事になる。そうした者が辿る末路は……つまり、そういう事なんだろう。
「その中で、エル自身が正しいと信じた事をしなさい。そして、大事な事なのだけど、エルが行動した結果の責任は全てあなたの物なの。他の誰でもないわ。だから、あなたを本当の意味で救うのも殺すのもあなた自身なの。それを忘れないで」
「…はい」
母の言葉は、私の事を大事に想っている事がよく伝わる内容だった。
この家から出て行く事よ…と最初に言われた時は、あぁやはり私は親不孝者なんだって突きつけられた気分だった。そして、そんな私に対して母は愛想を尽かしたんじゃないかって不安が過ぎった。けれど、その後に続いた言葉は、一人で現実に立ち向かわなければならない私への励ましが込められていた。
母も私の話を聞いて、そして認めてくれたからこそ今の言葉を贈ってくれたのだろう。
――よかった。
そんな風に、私が両親に認められた事でほっと胸を撫でおろしていると、目元を和らげた母と目があった――。
「それでね、エル。一つ約束して。あなたが本当にどうしようもなくなったら、いつでもこの家に帰ってきなさい。たとえ、エルが何者になろうと…どんな罪を犯そうとも、ここがあなたの帰る場所よ」
「…っ!お母様っ」
「あぁ。エレンの言うとおりだ。いつでも帰ってきなさい、エル」
「お父様も……。ありがとうございますっ…」
俯いてしまった私は、両親の顔を見る事はできなかった。けれど、なんとなく二人とも微笑んでいるんじゃないかなぁ、と頭の片隅で思いながら、私はこの心地よい感情の波に身を任せていた。




