決める
自室へ戻った私は、気持ちを落ち着かせるために使用人に飲み物を頼んだ。このままベッドへ横になりたい誘惑に抗いつつ、窓際へ向かう。
近づいてみれば、呼び出された時に読んでいた本がティーテーブルの上に置かれている事に気づく。それをテーブルの端へ寄せつつ、私は椅子へ座った。
ふぅ、と息をついてみれば思ってた以上に肩に力が入ってたのを自覚して、あぁこれは疲れてるなぁなんて他人事のように思う。
「お嬢様、お飲み物をお持ちいたしました。また甘いものもご用意いたしましたので、どうぞお召し上がりください」
「ありがとう」
飲み物を持ってきてくれたのは、使用人のルチアさん――正確には、私付きの侍従なのだけれど、こうした気遣いの出来る方なのでつい色々な事をお願いしてしまう。
飲み物は柑橘系の香りのハーブティーと、クリーム色のクッキーが数枚。ハーブティーの香りだけでも疲れた気分が和らぐ気がして、さっきとは違う意味で息が零れた。
「いい香り…癒される。飲むのが、少し勿体無いかも」
そう呟いてみれば、
「ふふ、良かったです」
ルチアさんは、微笑みながらそう返してきた。
それからしばらくは会話もなく、私はハーブティーとクッキーを口にしながら窓からの景色を眺めていた。
見慣れた風景、特段気になる何かがあるわけでもない。でも、私はこの日常に溶け込んだひと時を感じたかったのかもしれない。
何も考えず、私の瞳に映るこの景色を。
そうしているうちに、ハーブティーとクッキーがなくなった。
「お嬢様、如何なさいます?足りないのでしたら、追加を持ってまいりますが」
「そうね、もういいかな」
「畏まりました。では、何かありましたらお呼び下さい」
そういってルチアさんは空のティーポッドとカップ、お皿を持って退室していった。
その後も変わらず、私の瞳は窓からの景色に向いていた。
敷地内の花壇に咲く花々や木々、その向こうに見える街の風景。空は青く小さな雲がいくつか浮かんでいる。変わり映えしない風景は退屈でさえあるけれど、同時に安心感もあるのだと感じる。それは今の私の状況が故かもしれないけど。
さて――。
気持ちも落ち着いてきたところで、どうしようか…とは言え、今回の話を断る事は出来ないだろう。
理由は、ヴィシュム帝国の国教がラヴィーナ教だから。
簡単に言ってしまえば、国がその宗教を認め保護し、その教義に沿った政策をしているという事。だから、この帝国内におけるラヴィーナ教の立場は高い。
もっとも聖地でもある隣国のセレネア教国では、言わずもがなだけど。―ーそういえば、なぜラヴィーナ教国じゃないんだろうね?まぁそれは置いといて。
その認められてる宗教の祭事――聖女選定の儀、その聖女候補に選ばれたというのは、名誉なこと。本人の人柄や素質が優れているという証明にもなるし、仮に聖女に選ばれなくても、教会が認めた人物という事で引く手あまたじゃないかな。それが貴族の子女であれば縁談は勿論だけど、家に箔をつける事も。他にも色々あるけれどメリットの方が多いと考えれば、受けるのが普通。
逆に断った場合は、どうなるのか前例を知らないだけに分からないけれど…もしかすると公になっていないだけで過去にはあったりするのかな?…うん、あまり深くは考えないでおこう。
と言ったところで、私自身はどうなのか考えてなかった。一応、父は私の意思を大切にしたいみたいだから、考えてませんでしたとは言えない。
んー、とりあえず受けた場合の事を考えてみよう。
受けたとして、聖女候補って何かするのかな。元々修道女から選ばれるって事だから、生活もそれに倣う必要があるかも。その上で聖女になるための修行があると考えるのが妥当かな。
でも、修道女の方と聖女様にそれほど大きな違いはないような気もする。貧しい人や苦しい人のために祈り、自らの財産を持たず、能力や時間を女神ラヴィーナや人々に捧げているのだから。
あ、魔法の素質?
聖女様といえば、治癒魔法をはじめとした聖属性の魔法が使える。ってことは、魔法の修行かも。
あとは、聖女としての役割を果たす上で必要な知識とか作法も覚える必要があるかな。教会内での階級がどの辺りか詳しくはないけど、各国の王族と謁見する事もあるだろうし。
少し考えただけで、こう色々と出てくるね。うん、どう考えても大変そう。あちらでの生活とか詳しくは司教様に聞けばいいかな。
それじゃ次に私自身はそれで何か変わるだろうか。
少なくとも家族とは離れてしまうのは寂しいし、それに私がいなくなってルチアさんはどうするのだろう。変わらずこの家に勤めてくれるのかな。もしかすると、実家に戻っちゃう可能性も…。ルチアさん適齢期だから、縁談の話が来てるどころか充分あり得るよね。美人だし、気が効くし――。
はっ…!
今は、ルチアさんの話じゃなくて私の話だよ!でも、気になるから、あとでそれとなく聞いてみよう。
そうそう、私は変わるのかなって話だけど、伯爵令嬢としては扱われなくなると思う。その事が私にどんな影響を与えるのかは、それこそなってみないと本当の意味では分からない。けど、このまま人生を歩んでいっても、婚約者との結婚が待っているだけ。それについては、まぁ割り切ってるというか納得はしているつもり。
でも…それは、つもりだったのかな。こうして別の道を提示されてみて、正直心を惹かれた。
さすがに私が聖女になる事はないと思うけれど、聖女候補として選ばれた事実は、私にとってプラスに働くんじゃないかなって。将来的に、私がとれる人生の選択肢は多くなるはずだし。
ふふ――こんな事を思ってる時点で、きっと私の意思は決まってるようなものね。
まぁ気がかりが全くないわけじゃないけど、それは父や母の前で話すべきことだから今は置いておく。
それと父で思い出したけれど、さっき聖女候補について何か知ってる感じだったから色々聞いてみよう。彼女たち…と言っていたから何人かいるみたい。どんな人達だろうね?私と年齢が近い子はいるのかな。やっぱり修道女らしく信仰に篤い人ばかりなのかな。分からないけど、仲良くなれるといいなと思う。
さて、意思が決まったと父に伝えてこよう。そして、気になる事も含めて色々話しないとね。
まぁここに至るまで反対されることは考えなかった訳だけど、私が聖女候補になるのは我が家にとってもメリットが多いからね。当主であればどうするのが一番か、父も分かっているはず。
だからこそ、私の意思を確認するのは――私の為、なんだろうな。
突然降り掛かってきた聖女候補という話。その話の裏側の事情など想像はできても、実感が伴わないうちに選択肢を提示される。
あの場で返事をする事は無かったけど、司教様が帰られた後にすぐに母を交えた話し合いになってもおかしくはなかった。
だけど、こうして落ち着いて気持ちの整理をする時間があるって事は、少なくとも父が私の事を考えてくれた事に他ならない。
これはあくまで私の推測だけどね。
それにしても…。
意思を伝えると決めてから、こうもダラダラと考え続けてるのは未練なのかな。それとも変化を恐れているのか。うん、どっちもありそう。
それなら、少しだけ。もう少しだけ、この時間を引き伸ばしてもいいかな。落ち着いて、気持ちの――心の整理をする時間を。
タイムリミットは、そうだね…。
ルチアさんが呼びに来るまで、とか。




