変態バイト少年
日曜日というのは、何とも嫌な日だと、僕は思う。休みなのに休みじゃないような、休みたいのに休めないような、そんな気がしてならない。特に僕のように用心深い人間にとっては、翌日、つまり月曜日を意識し続ける日というのは、ストレスがたまる大変嫌な日なのだ。そういった意味では、金曜日や土曜日の方がストレスがなくよい日であると言えよう。
だから僕は、日曜日に嬉々としてバイトを入れた。他の人が出来れば避けたい日曜日に。できるだけ翌日を考えないために。いつの日か、「プロジェクト聖母」の初日と重なるなどとは、微塵も思わずに。
「プロジェクト聖母」なんだか大層な名前をつけてしまったが、つまりはさっさとひかりの仕事を終わらせ、さっさとお祖母ちゃんと会いに行き、さっさと仲直りをしよう、という計画である。この「プロジェクト聖母」というネーミングは、僕は男心をくすぐられるとても良いネーミングだと思ったのだが、案の定というか、性懲りもなくというか、やっぱりひかりは気に入らないようであった。
「なんか、きもい」
ひかりはそう言った。ただの暴言じゃないか。
八時過ぎ頃にひかりにたたき起こされた僕は、午後のバイトまでの時間を早速、「プロジェクト聖母」に費やそうと考えた。
わざわざひかりのためにメニューを変更したご飯と、きっとこれも好きなんだろうな、と用意したにも関わらず「それは嫌い」と言われてしまった納豆を食べると、僕は昨日分かった事実と、やるべきことを整理した。そして、自分がなんて愚かなのかと、ひかりがなんて適当なのかを実感させられた。
なにせ、分からないことが多すぎたのだ。
ひかりは座敷わらしの仕事をしても良い年齢の二十才の誕生日に、岩手の家を出て僕の家へ来た。それはもちろん仕事をするために来たのだが、ほとんど勢いで出てきたために何をしたらいいのかを、全くと言っていいほど知らなかった。知っていることと言えば、人の家に居座ること、幸福を与えること、仕事を始めたら終わるまでは戻らないこと、あと、依頼人がいること、それくらいである。
そう、依頼人。今まで疑問点が多すぎてさっぱり忘れていたが、座敷わらしの仕事は依頼人によるものだ。座敷わらしは人には見えないのだから、もちろん依頼人と言うのは妖怪であるのだろう。ひかりに、僕に幸福を与えるように言った依頼人と言うのは誰なのか聞いたところ、「お客さんのプライバシーは守らねばならぬのです」と言っていたが、額には汗が流れていたので、多分知らないのだろう。
ここで、分からないことを全部挙げてみることとしよう。まず、幸福を与えるとはどういうことなのか。幸福、といってもそんなものは抽象的すぎていまいちピンとこない。一体どうしたら仕事をしたということになるのだろうか。単純に今その人が望んでいることを叶えてやればいいのだろうか。その場合、僕は何をされればいいのだろうか。次に、なぜそんなことをするのか。いや、別にその仕事の存在意義を問う訳じゃない。今や仕事なんて需要があるかどうかは別として星の数ほどあるのだ。ただ、その性質上、依頼人は確実に妖怪であり、その相手は確実に人間である。妖怪が人間に対して幸福を与えようとする理由とはなんだろうか。そして、僕の依頼人とは誰なのだろうか。
妖怪。今まで、といっても日数的にはまだ一週間も経っていないが、僕は座敷わらしと河童と天狗に遭遇した。そして、名前だけなら鬼も知った。そう、それだけである。きっと妖怪というのは絶対数が少ないのだろうが、それにしても、普通に河童のように人間と同じように生活しているのだったら、もっと他の妖怪に遭遇してもいいのではないか。今や僕は妖怪の存在をしっかり認識できるのだ。駅の周りなどを歩いていたら他の妖怪に一人くらいは出会いそうなものである。なんせ妖怪は目立つ。しかし実際、僕が出会ったのは三人だけ。それも偶然になのは河童だけである。他の妖怪たちは一体どこにいるのだろうか。それとも、僕は他の妖怪は見えていないのだろうか。いや、たまたま出会っていないだけかもしれない。その可能性の方が高いな。
哲学とは、考える必要はないけど、考え出したら止まらないものだと、僕は思う。いや、話がそれてしまった。答えのない問いは、いくら時間を割いて考えたところで答えにたどりつくことはない。だって答えはないのだから。この場合、僕がいくら妖怪の疑問について思案したところで、答えを教えてくれる人はいないのだ。いや、妖怪はいるのだが、きっと何も知らないのだろうし。
そうやって僕は、答えのない問いに挑み続けるという無駄な時間を、ひかりを時折あやしながら続け、気がつけば、バイトの時間を向かえていた。
「ねえ、私もいきたい」
「ダメだよ。だって邪魔するだろ」
僕のバイトの場所は、学校の側のコンビニである。いくら見えないとはいえ、ひかりをそんなところに連れていったら絶対に邪魔だ。それはもう金曜日に証明済みである。しかし、ひかりもそれくらいでは引かない。
「ほら、一緒にいれば、一樹に私が何をしたら仕事が終わるのか、突然閃くかもしれないでしょ?」
「いや、絶対に無いだろ」
それに、ひかりは別にすぐに帰りたいとは思っていないだろうが。
「プロジェクト聖母」を意気揚々と掲げた僕とは裏腹に、ひかりは全く乗り気ではなかった。どうせ何をしたらいいのかよくわからないのだし、別に今の生活に不便はないから、帰らなくてもいい。それに、お祖母ちゃんと仲直りだって子供みたいだからしなくてもいい。と言って、ひかりは動こうとはしなかった。これではただの反抗期の家出である。
「それにひかり、コンビニってのは狭いんだ。また人にぶつかって痛い思いをするのは嫌だろう?」
するとひかりは、おもむろに僕に屈むように促し、おもむろに僕の上に乗った。驚いたことに、ひかりは体重を感じないほどに軽かった。
「ほら、これなら邪魔じゃない」
ひかりは僕の上でそう言った。
所謂肩車、というやつである。確かにこれなら邪魔にはならないし、人にも当たる心配はない。しかし、
「そういう問題じゃない!」
これじゃあ僕は少女を肩車しながら接客をする、変態バイト少年になってしまうではないか!
「おい、降りろ」
「嫌だ」
「降りてください」
「嫌です」
「……」
「ほら、もうバイトの時間だよ?」
「……」
ここに、少女を肩車したまま接客をする、変態バイト少年の誕生である。
風が、冷たく心地よい風が、坂の上から吹いている。八月の暑いアスファルトの熱気と相まってその風は、僕の心を微妙に癒していた。バイト先は、学校の隣にあるコンビニである。そのため、そこまでの道のりは歩いていくこととなる。僕は、決して見てえいないのだけれど、なんとなく肩車をしていることを世間にどう見られているのか気にしながら、なだらかな坂を上った。勿論、僕がひかりを支えるようなことをしていたら、他の人からは「こいつ、何やってんだ?」と思われてしまうので、ひかりは全力で僕の頭を掴んでいる。なんだか人肌のヘルメットをしているような感覚である。
「ひかり」
僕はひかりに話しかけた。
「何?」
ひかりはそう答えた。
「お前、二十歳なんだよな?」
「そっ、そうだけどなに?」
「二十五才くらいまで人は成長するって聞いたことがあるから、まだ諦めなくて大丈夫だと思うぞ」
「ちょっ!それどういう意味よ!」
そう言ってひかりは、僕の頭を器用にボコボコと叩いた。「セクハラ! セクハラ!」と罵りながら。別に痛くはないけれど。
そうこうしているうちに、コンビニの前に僕とひかりは到着した。するとそこに、黒い髪でショートカットの、僕と同じくらいの年齢の女子がいた。隣のクラスの桐原さんである。そう、霊的な魅力を感じるとはまさしく彼女のことである。
「桐原さん、おはようございます」
僕がそう言って話しかけると、桐原さんは振り返りながら「なに、こんな遅い時間に起きたの?全く、あなたって本当に残念だわ」と言った。
そして、
「あら?その上の女の子は誰?」
と言った。