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プロジェクト聖母

一番古い記憶は、と聞かれたらあなたはなんと答えるだろうか。まさか産まれたときのことを鮮明に覚えているなんて人はいないだろうが、それでもかなり小さい頃の記憶を覚えている人もいるはずだ。そしてその中には、親や親戚からこうだったと語られ続けたものがいつの間にか自分の記憶に変わっていた、なんて人もいるのではないだろうか。


僕、吉田一樹の最も古い記憶は小学校に入る直前のことである。孤児院の前で立っている僕と、それを見て「もう大丈夫だからね」「安心していいよ」と言う二人の女性。そんな中で僕は背中に背負ったバッグの中身だけは大切に持っておかなきゃ、そう強く思っていた。バッグの中には自分の名前と年齢が書いてある紙と、僕名義の銀行の貯金通帳が入っていた。


「通帳だけは誰にも渡しちゃいけない」とは覚えていないだけでしつけられていたのか、はたまた自覚的に思っていたのか定かではないが、子供ながらに素晴らしい判断であったと自分でも誉めてやりたい。その口座には小学生の僕から見たら未知の、中学生の僕から見たらやばい、高校生の僕から見たらそこそこ凄い額の貯金があった。


中学校を卒業するまではその孤児院で過ごした。一人で暮らすようになったのは高校に入ってからだ。僕が通帳を持っていることは誰にも言っていなかった。けれどお金があるのにこのまま孤児院のお世話になるのもおかしいと中学生のときに気づいて、高校に上がったら独り立ちをしようと決めていた。


自分の親について調べてみようと思ったのもその頃だ。小学校にいた頃は途中まで自分の親は孤児院の人たちだと思っていた。しかし、いくら無知でも所謂普通の家庭の子供と一緒にいれば自分が特殊だということは分かるものである。なにより他の子達は皆自分の親のことを「お父さん」とか「お母さん」と呼んでいたのに自分は違った。そして分かった。本当の親は他にいるんだと。


中学に入って僕は本格的に本当の親探しを開始した。しかし、その行動はすぐに打ちきりとなる。なにせ情報が少なすぎたんだ。僕が自分のことではっきり分かっていたことは紙に書かれていた名前と年齢だけ。それも自分で覚えていたわけではないから、それが親につけられたものなのかどうかも分からなかった。せめて珍しい名字だったらもう少し進展もしただろうが、「吉田」である。一体全国に何人いるんだ。


そんなわけで僕は親探しをすぐに諦めた。もうちょっと頑張れよと思うかもしれないが、もともと記憶の片隅にもない存在であったので探す熱意もそこまで持続しなかったのだ。


高校に入った僕は、週に数回のバイトをしながら一人での生活を開始した。別にバイトをしなくても大丈夫なほどの貯蓄はあったのだが、今後のことも考えて一応何かしていないと不安であった。


これが、大まかな僕の過去の話である。




昼下がりの木で覆われたその部屋は、小窓から漏れる光でぼんやりと暖かさを増し、僕らの周りにはコーヒーの独特な香りが漂っていた。しかしそんな状況とは裏腹に、僕はさっきから冷や汗が止まらなかった。僕は冷や汗が大嫌いである。同じ汗なのに運動したときにかく汗とどうしてこんなにも違うのか。不思議でならない。


別に小学校前の記憶が無いことなんて不思議なことではないし、それがさらに鬼の仕業だったなんて信じがたいにも程があるのだか、僕は「もしかしたら」という思いを止めることができなかった。まるで悪い占いの結果を無理やり告げられ、本当は占いなんて信じていないのにその事が気にかかってしまうように。これは高校に入ったばかりの頃にも思ったことだが、僕は自分が小学生以前の自分についてなにも知らないということにかなり敏感になっているようだ。「無い」ということは「ある」ことよりも断然怖いことだと、僕は思う。



僕が一人でそんなことを考えているとき、話は座敷わらしの特殊性についてに移っていた。ひかりも勇二も「鬼」についてはあまり触れたくないようだった。話が移ったといっても、箱清水さんはその特殊性について話してくれそうになかった。ひかりと勇二が二人がかりでせっついても、箱清水さんは「お祖母さんから聞いてくれ」の一点張りであった。ともかくそんな感じて、箱清水さんへの質問コーナーは打ち切りとなり、僕らはここにいる意味が無くなったので箱清水さんの元を後にした。これはちなみに、であるが、コーヒーは微妙にキュウリの香りがした。





「結局俺とひかりの違いについては分からなかったな」


帰りがけ、勇二はそう言った。ひかりもそれに「そうだね」と頷く。収穫のなかった二人はなんとなく気落ち気味であった。だがしかし、僕も帰りの道順を覚えておかないといけなかったので気分を盛り上げようなどとは思わなかった。


僕はまた今度、次は一人で箱清水さんを尋ねなければならない、そう思っていた。「鬼」について話したときのことである。話の流れで箱清水さんが僕の顔を見ているのは当然のことであるが、その目が僕には気になった。それはまるで僕を試すかのような、挑発しているかのような目であった。天狗のお面をする理由同様、きっとなにか隠しているに違いない。それはもしかしたら、誰かが聞いたら自意識過剰だと笑われるかもしれないが、僕の過去に関わることかもしれない。そんな気がした。




途中で勇二と別れ、僕とひかりは家へと帰った。町には夕暮れのオレンジが掛かり始めていた。


「ひかり、今日の夕飯は何にしようか」


手を繋いだ影を目で追いながら、僕は尋ねた。


「オムライスが食べたい」


ひかりはそう言った。

僕はもっと和風なものを想像していたので、その答えに驚いた。いや、そういえばオムライスの発祥は日本だったか。


「なにか理由でもあるのか?」


僕がそう聞くとひかりは「お祖母ちゃんがよく作ってくれたから」と言った。


今日の話にも度々出てきたひかりのお祖母ちゃん、名前は確かあかり、だったか。ひかりのお祖母ちゃんなのだからきっとその人も座敷わらしなんだろうな、僕はそう思った。


「どんな人なんだ?」


僕がそう尋ねるとひかりはその視線を僕と同じように影に落とした。さっきも思ったのだが今日のひかりは箱清水さんに会ってから様子がおかしい。いつものような元気がないように感じられた。僕の知らないところでなにかあったのだろうか。


「お祖母ちゃんはね、凄い人なんだよ」


ひかりはそう言った。


「いつも忙しそうでね、家にはたくさんの人がやって来るんだ。お祖母ちゃんはみんなからとても慕われてて、私はそれが凄く嬉しかった」


「ふーん」


「けど私ね、ここに来る前に喧嘩しちゃったんだ。お祖母ちゃんは喧嘩したとも思ってないかもしれないけど……」


ひかりはそれからその経緯についてすらすらと話始めた。きっと今まで誰にも言えなかったのではないだろうか。それはまるで長い独り言のように、消えてしまうような話し方であった。


ひかりはお祖母ちゃんと岩手で二人暮らをしているそうだ。その日はひかりの誕生日で、二人でお祝いをするつもりだったらしい。けれど仕事が入ってしまったお祖母ちゃんは、結局その日家には帰ってこなかった。仕事は青森だったらしい。ひかりは電話でお祖母ちゃんに一方的にまくしたて、そのままこっちに来てしまったそうだ。



「……それでさっき箱清水さんに会ったとき、なんだかお祖母ちゃんと同じ雰囲気がしたの。それでちょっと思い出しちゃって……」


なるほど今日いつもより元気がなかったのはそういうわけか。ぼくは大変納得した。喧嘩したままの状態がつらいというのは僕にも分かる。いやー、あれはつらい。なんだか普通じゃ考えられないくらい大きなものが歯にはさまって、しかも全然取れないのと似ていると、僕は思う。


僕の場合相手は朝陽であった。友達になったばかりのことだ。きっかけは些細なことだった。いや、些細なことじゃなかったらそれは喧嘩ではない。それは修羅場とか、もっとやばい何かである。喧嘩だと思っている時点で、それは些細な、とるに足りない、どうでもいいことなのである。とまあ、これは聖母こと本郷渚の受け売りであるが。喧嘩をした僕と朝陽の間を取り持ったのは、他でもない聖母であった。あれは今でもはっきりと覚えている。彼女は怒っていた。それはもう僕と朝陽がドン引きするほどに。彼女は怒らない。例え自分が何をされても。なんと言われようとも。しかし、彼女は怒るのだ。僕と朝陽に。それ以来、彼女は僕と朝陽にとって天使であり、聖母であり、そして最高の友達である。


そんな経験がある僕だから分かる。僕の場合は友達でひかりの場合はお祖母ちゃんだが、別に変わりはしないだろう。まあ僕には親族なんて一人もいないのだから、その関係がどんなものかなんてわかりはしないけれど。


「ひかり」


「なに?」


「今すぐ仲直りしよう」


僕がそう言うとひかりは「は?」という顔をした。


「仲直りだよ。お祖母ちゃんと」


「えっ、えっ」


「そういうのは早いに越したことはないよ。だって歯に、挟まってるでしょ?」


「うそっ!挟まってる?何かな」


「いや、そうじゃなくて、比喩的に」


ひかりは僕の言っていることがよく分からないらしい。首をかしげている。あれ?おかしいな。


「とにかく、仲直りしよう」


僕はそう言って、立ち止まった。ひかりもつられて立ち止まり、僕を見る。


「携帯、持ってる?」


「ううん、持ってない」


「じゃあお祖母ちゃんの番号、分かる?」


「ううん、分かんない」


「じゃあ家の住所」


「ごめん、分かんない」


「何も知らねえじゃねえか!」


「ええ!なんで怒るの!?」


しまった。つい怒鳴ってしまった。怒鳴ることは良くないことであると知っているのに。それにしても、これじゃああと残る方法は一つしかない。


「じゃあもう会いに行こう」


「えっ」


「お祖母ちゃん、青森じゃなくて、多分もう家にいるんじゃないか?」


そうだ、今すぐ会いに行けばいい。それこそ最善だ。僕と朝陽のように。


それなのにひかりは、まだ「えっと、あっと」とおどおどしている。僕の言っていること、おかしいだろうか。


「座敷わらしはね、仕事がちゃんと終わるまで帰っちゃいけないって、お祖母ちゃんが言ってたの。だから今帰ったら怒られちゃう」


……よし分かった。ならこうしようじゃないか。「聖母」のように大胆に、そして慈悲深くいこう。


「じゃあさっさと仕事を終わらせよう。そんでそれから帰ればいい」


ひかりはポカン、としているが、まあいいだろう。僕とひかりでさっさと僕に幸福をもたらすんだ。二人がかりならその分はやく終わる。名付けるならそうだな、「プロジェクト聖母」だ。


「『プロジェクト聖母』開始だ」

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