棒つきキュウリ
さて、悪いのはどちらだろうか。話を進めていたのはひかりの方であるから、悪いのはひかりだとも言えるし、二人の話に途中で割り込んだあげく、たいした挨拶もせぬまま学校に走り出してしまった僕が悪いとも言える。
いや、分かっている。どちらも悪いのだ。だって忘れていたのだから、二人とも。
僕とひかりの前で、河童の勇二は手にキュウリを持ったまま物凄い勢いでふて腐れていた。
昨日、「箱清水さんのところへ明日行こう」とひかりが提案した後のことである。二人は同時に、勇二との会話を思い出していた。
「あれ? 勇二さんの働いている喫茶店に行くのっていつだっけ?」
「あ! 用事が済んだら来てって言われてたんだった!」
「今から行く?」
「んー、駅前でしょ? 面倒くさいよね……」
「明日でいっか」
「うん、そうだね」
これが昨日の二人の会話である。
……ん? 忘れていたとかそういう問題じゃない? ま、まあとにかく、昨日は会いに行かなかったのである。そして、朝になって二人で駅前にいってみると、そこには警察から職務質問を受ける河童の姿があった。彼は肩掛けバッグと、透明な袋に大量のキュウリを入れて持っていた。
「だ、だから人を待ってるんですって!」
「こんなに大量のキュウリを持ったまま、一晩中?」
「な、なにか悪いんですか!」
「君、仕事は?」
「え、ほら、キュウリを……」
「これ、売っているのかい?」
「ぼ、僕のお爺ちゃん、棒つきキュウリを発明したんですよ」
「君、何を言っているんだい?」
なんという世紀末。大量のキュウリを持った美形の河童と、警察官。会話の内容も意味不明。やばすぎる。
この状況で唯一よかったことと言えば、勇二を探す手間が省けたことだろう。なんせ聞いていたのは駅前の喫茶店、というだけであったから、何処のことを言っているのか分からなかったのである。いくら地方の駅とは言え、一応県の名前がついた駅である。そこそこ喫茶店の数はあるのだ。
さて、見つけたのはいいが、正直関わりたくない。ここは一度距離を取るのが最善だろう。僕がそう思って、ひかりの腕を取りゆっくりその場から後ずさろうとすると、誤算だった、ヤバイやつはもう一人いたのだ。
「勇二! 何してるの?」
あぁ、終わった……。
僕の手を離し揚々と走り出すひかり。
「ひかり!一樹! 遅いよ! 」と言いながら涙目で手を振る勇二。
最悪である。そして誰が言ったか、悪いことは連鎖するのだ。
勇二につられて振り返った警察官の顔は、まさしく僕が先日お世話になった人であった。
そう、見えない迷子を必死でアピールした相手である。
この後の僕のとっさの判断と行動力は、後世に受け継がれるべきであろう。完璧であった。相手は超常識人の警察官一人。対するは見えない少女とその少女をまるで本当に見えているかのように振る舞う男二人。そして、一人は大量のキュウリ所持。分が悪い、なんてものじゃない。完全にアウトである。しかし僕は、この状況を打開する唯一の手段を即座にとった。
そう、逃げたのである。
二人を掴んで。全速力で。
そして、走りながら思った。勇二の話を信じれば、警察には勇二は普通の人間として見えていたはずだ。だとすれば勇二は河童ということを差し置いても、職務質問をされるような奴だということである。
そして話は、冒頭に戻る。
「だから、悪かったですって。忘れてたんですよ」
嘘である。
「そうそう、悪気はなかったんだよ? 忘れてただけで」
これも、嘘である。
しかし時に、真実とは嘘より残酷なのだ。「覚えていたけど、面倒くさかった」なんて言ったら、勇二は立ち直れなくなるかもしれない。それはますます面倒だ。
僕とひかりは、ふて腐れる勇二に対して何度も嘘を繰り返した。すると勇二も、やっと口を開いてくれた。
「だって俺、ずっと待ってたんだよ? 久しぶりに幼馴染みと会って、話せる人間にも初めて会って、嬉しくって、話の途中で突然走ってっちゃったけど、きっと来てくれるって思って。それで、昨日からずっと待ってたのに……」
ああ、嘘をついているのが申し訳なくなってきた。変なやつではあるが本当にいいやつなのだ、きっと。約束したからと、一晩中来なくても待ってしまうほどに。これで年上とは思えない。ひかりの話をもとにすれば、彼はこれで22歳なのだ。信じられない。
「本当に、ごめんなさい。ほら、ひかりも」
「ごめんね、勇二」
二人同時に、頭を下げる。
「わかったよ。もう大丈夫。そのかわり、一つお願いしていい?」
勇二はそう尋ねてきた。よし、なんだってやろう。出きることなら。
「その、敬語、止めてほしい。あと、ひかりみたいに、呼び捨てでよんでほしい」
「わ、わかった。勇二」
「えへへ」
……こいつもちょろいのか。それにその素晴らしい笑顔、妖怪はみんなこうなのだろうか? 不覚にも少しドキッとしてしまった。
いや、いやいやいや、そういう展開はないぞ。ないない。絶対に。想像するのもやめてくれ。
おっと、僕は何を言っているんだ。
「それで、そのキュウリはなに?」
僕は勇二の持つ大量のキュウリを指差しながらそう尋ねた。そのキュウリたちにはどれも棒が刺さっていた。
「ああ、これ?」
「ほら、昨日言ったでしょ?喫茶店で働いてるって。だから、ほら」
そう言うと彼は、肩にかけたバッグから水筒と紙コップを取り出した。
「ね?」
……ん?
彼はいったい何を言っているんだ?
僕は勇二が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。しかし、ひかりには通じたようである。
「その水筒は何が入っているの?」
「もちろん、コーヒーだよ」
「すごーい!本格的じゃん!」
「そうだろ! コーヒー一杯300円、キュウリは200円だぞ」
勇二はニコニコしながらそう答えた。
……いやいや、いやいやいや。
駅前のロータリーで、水筒に入ったコーヒーと棒つきキュウリで喫茶店?
「この棒つきキュウリ、俺のじいちゃんが考えたんだぜ」
つっこまないぞ、つっこまないからな。僕はそう、心の中で誰かに叫び続けた。そして思った。こいつ、話通じないとかそういう問題じゃないな、と。
それから僕たちは、時間も時間だったのでコンビニで適当にお昼を済ませると、本来の目的に向かって行動を開始した。そう、箱清水さんに会いに行くのである。なんでもその人は、善陰寺の近くに住んでいるそうだ。
善陰寺というのは、駅から北に向かって2kmほどにある寺院のことである。その規模はかなり大きく、全国でも有名な観光スポットの一つであり、その周辺は門前町としても人気である。駅から善陰寺までは、表参道と呼ばれる道が一直線に緩やかに登って続いており、道沿いには多くの店が立ち並んでいる。
その景観や独特の雰囲気、さらには途中から歩行者天国になる部分も含めて、僕はこの道がかなり好きである。
ただ、今はそうでもない。何故ならそのゆったりとした雰囲気を隣にいる妖怪たちが全力で壊しているからだ。「牛に引かれて善陰寺」などという言葉が存在するが、まさか座敷わらしと河童を連れてこの道を歩いたことがある人は他にいないだろう。
ちなみに、長山高校はここから北東にさらに登った所にある。遠回りをさせられたと気づいたのであろう。ひかりは「え、戻るの」と少し不機嫌であった。
唯一箱清水さんの家を知っている勇二に連れられて、途中で何度か寄り道をしながら、僕たちは表参道を外れ細い道を何度も曲がった。もう一度一人で行こうと思ったら迷子になりそうである。まあそんなこと無いだろうが。
そうしてたどり着いたそこは、何だか隠れ家のような場所であった。両方向を緑で覆われた石畳の細い道を進み、小さな鳥居をくぐる。すると視界は途端に開け、そこには古い武道場のようなものが建っていた。
「ここでいいの?」
僕がそう聞くと、勇二は
「そうだよ、入ろうぜ」
となんの躊躇もなく言った。
正直に言おう。入りたくない。僕の霊感センサーが終始警戒音を鳴らしっぱなしである。
しかし、そんな僕の危機感を二人が察知するはずもない。「失礼します」という大きな声ともに、二人は石段を上がり、大きな木製の開き戸を開けた。遅れをとるわけにはいかないと、僕も急いで石段を上がり、中にはいる。
そこは、本当に武道場のようであった。なにもない部屋は灯りがなく、あちらこちらにある小さな小窓から、うっすらと光が差し込んでいる。床は木製のようで足の動きに合わせてきしきしと音をたてている。部屋中に木の香りが立ち込め、時折その中に蒲萄の香りが混ざっている。そして、外から想像したよりも奥行きがある部屋のその最も奥に行った場所に、その人はいた。
黒いスーツに身を包み、黒いシルクハットを被ったその人は、大きな大理石調の椅子に座っていた。足を組んだそのシルエットは、座っていてもその身長の高さが伺えるものであり、妙な威圧感を放っていた。右手にはワイングラスがあり、中の紫の液体は外の光と交差するようにゆったりと揺れ、その芳醇な香りを放っていた。
「何の用かな?」
その人はそう言って、ワイングラスから顔をあげた。
所謂天狗の顔を想像していた僕は、一瞬その顔に呆気にとられてしまった。白い肌に青い目、その視線は鋭く、顔は勇二と比べるのも烏滸がましいほどに整っていた。
しかし、すぐに分かった。理屈じゃない。本能的にだ。人間の顔をしているその人は、人間じゃなかった。
それは人間を超越した何かであった。