パンとコーヒー
座敷わらし、それは名前の通り、家に住みつく妖怪である。そして、住みついて何をするのかというと、悪戯をするのである。なんともまあ幼稚。
はっきり言って、座敷わらしに関する僕の知識はこれで全てだ。そしてそこに、昨日突然現れた自称座敷わらしの言っていた、座敷わらしは宿主に幸福をもたらす存在である、という情報が加わる。つまり、僕の中で座敷わらしとは、悪戯をする幸福配達人、ということになる。なんだかひどい矛盾を抱えているような気がする。
昨日、雲上殿ひかりと話をした後、頭が痛くなった僕は、今日はもう早く寝てしまおう、そう考えた。しかし、何故か彼女は、僕の早く帰ってくださいオーラを完全に無視し、さらにはこれからの共同生活について、などというおぞましい計画について語りだした。本当は勝手に住み着くのだけれど、どうせ見えるのならその方が効率がいいわ、とは、果たして日本語だろうか。僕にはそれを理解する気力すら残っていなかった。そのため、彼女の言うことに全て、はい、はい、と答え、明日の高校の授業のために、ベッドのとなりにしいた薄い布団で、早めの眠りについてしまったのだった。
目が覚めると、だいぶ頭もスッキリとしていた。昨日の出来事は全て夢だったのかもしれないな、そう思い、固いところで寝ていたせいで痛い体を起こすと、ベッドにはスヤスヤと寝息をたてる黒髪おかっぱがいた。
夢ではなかったようだ。
僕の朝食は、決まってパン1枚とコーヒー1杯である。別に西洋風の優雅っぽい朝食に憧れたわけではなく、格好つけているわけでもなく、まあ多少はそういうのもあるが、決してそれが全てではない。ならばなぜパンとコーヒーなのか、それは甘いものが好きだからである。僕、吉田一樹は甘いものが大好きである。パンにはいつもキャラメルソースを塗りたくり、コーヒーには砂糖を大量に投入、さらに牛乳とコーヒーの比率は1:1である。本当ならパンではなくホットケーキにしたいところなのだが、毎朝調理するのは大変だし、面倒なので仕方ない。こんなに素晴らしい朝食は、ご飯がベースでは作ることが出来ないだろう。僕はこの朝食に大変満足していた。
と言うわけで、勿論、今日もそんな朝食をいそいそと用意し、昨日から突然現れた小さな同居人にも親切に分け与えたのであるが、この通り現在進行形で文句を垂れ流され続けているわけである。
「私、ご飯がいい」
彼女はそう言った。何度も言った。
「朝からこんな甘いもの食べられるわけないでしょ。それに、日本人だったら朝はご飯にしなさいよ。ねえ」
さすが妖怪。日本古来の化け物と言うだけあって、味覚も純日本的である。
「文句があるなら食べなきゃいいだろ。別に残してもいいよ」
「残す? 私が? この私が食べ物を残すなんて、そんなのあり得ないから!」
そう言うと、ためらうことなく、彼女はきっとあまり好きではないパンを口に詰め込んだ。
思考も純日本的である。流石。ところで、僕は見た目の幼さのわりに彼女が、かなり高圧的なものの言い方をすることに、今になって気になっていた。
「なあ、なんで僕に対してそんなに偉そうなんだ?その話し方、似合ってないぞ」
「似合ってない、って何よ」
「小学生が少しでも大人ぶった話し方をしていると、やっぱりちょっと滑稽だぞって意味だ」
僕がそう言うと、彼女は大変怒ったようで、突然立ち上がり僕のことを見下ろしながら、その白い手で僕を指差した。
「誰が小学生よ! バカにしないでちょうだい。どこからどうみたって私は立派なお姉さんじゃないの!」
「口元、牛乳ついてんぞ」
「あ……」
この感じでどうやったら立派なお姉さんだと思えるのか。僕には不思議でならない。それに、いくら怒ったところで、表にでっかくふざけた顔のキャラクターがプリントされたTシャツを着ていては、緊迫感も出ないというものである。ちなみにこのTシャツは、昨晩僕が、いくらなんでも常に着物なのは窮屈だろうと思い差し出したものである。その際、そのセンスについてかなりダメ出しをくらい、僕は思いの外傷ついたわけであるが、それについて語る必要はないだろう。Tシャツなんて、別に買った本人が気に入っていればそれでいいのである。
ともかく、そんなわけだから、
「私、もう20歳なんだからね」
と言われても、全く信じることができなかったのは、当然のことである。
妖怪とは一体どれ程生きることができるのか、その答えは、人、いや、妖怪それぞれ、だそうだ。
中には一定の条件さえ満たせば不死身である
というものもいるし、人間とほぼ同じ寿命であるもの、人間よりも短い寿命のものもいるそうだ。そこで、座敷わらしはどうなのか、というと、人間よりは長生き、といったところらしい。
朝食を終え、学校にいくまでに少し時間が空いたので、僕は小さな同居人に対する疑問を出来るだけ無くそうと、質疑応答を繰り返していた。
「なんだ、妖怪について、やっと信じる気になったのね」
彼女はとても嬉しそうにそう言った。そう、僕は、信じる、とまではいかないものの、概ね妖怪という存在について肯定的に捉えるようになっていた。何故か。よく考えたら、否定出来なくなってしまったからである。
妖怪に限らずとも、人間でない、人智を越えた存在というものは、時代や場所を越えて言われ続けているものであるが、そのどれもが、必ず起源をもつのは当然のことである。ネッシーにしろイエティにしろ、誰かが見たと言ったから、噂が広まったのである。妖怪についても同じことが言えるだろう。誰かが見たと言ったのである。しかし、妖怪を見たと言って誰が信じるのであろうか。顔がない、首が伸びる、頭のお皿に水をかけると喜ぶ、。突然そんなことを言われても、こいつ頭おかしいんじゃねえの?と笑い飛ばすだけである。にも関わらず、今日まで妖怪伝説というのは根強く日本人の心に残っている。だとしたら、それは妖怪伝説が事実であったという信憑性を高めることになるのではなかろうか。いや、そんなことないか。まあいい、とにかく僕は、妖怪に対する理解を改めつつあったのである。
「なんだかんだ言っても、お前がここにいるのは事実で、僕以外に見えないのも事実だからな。で、いくつか質問があるんだけど」
「なになに?」
彼女は前に乗り出しながらそう言った。向かい合わせに座っていたため、思わず僕は顔を後ろにそらした。
「座敷わらしだということは分かったけど、それ以外のことがまだ全然分からないんだよね。幸せを与えるだとかなんとかって言っていたのは、どういうこと?」
「あ、えっと、座敷わらしっていうのは20歳になると、一人一人仕事を任されるようになるの。その仕事っていうのが、家主に幸福をもたらすことなの」
んー。意味がわからない。
「その幸福っていうのは、具体的にどういうこと?」
「さあ」
「さあ!?」
「いやー、よくわかんないんだよね。なにしたらいいんだろう」
とんでもないカミングアウトである。僕は呆気にとられ、思わず思考停止してしまった。
「あ、でもでも、きっとこの人これを望んでいるんじゃないかな?みたいなことをすればいいんだと思う」
「はあ……」
なんとまあアバウトな。座敷わらし専門学校はもっと実践的な教育をするべきだろう。
「じゃあ次に、どうしてそんなことするんだ?」
「えっとね……。なんでだろ?」
……聞いた僕がバカだっただろうか。
「まって! まって! そんな呆れた顔しないでよ。えーっと、たとえば、犬はワンって鳴くし、猫はニャンって鳴くでしょ? そんな感じ」
どんな感じだ。
「首かしげないでよ! だから、座敷わらしってそういうもん、て思ってたから今まで考えたことなかったの!」
相変わらず曖昧な答えではあったが、これには納得できる自分がいた。僕も、なんでそんなに勉強しているのか、と聞かれたらどう答えたらいいのか迷ってしまう。今のところ目標も夢も特にない自分が、将来のために、何て言うのはなんだかおかしな気がする。
「僕が勉強するのは学生だから、みたいなもんか」
僕がそう言うと彼女は、突然首をかしげた。
「そういえば、学校、行かなくていいの?」
……え?
時計を見ると、長い針はさっき見たときと同じ場所にあり、つまり、それはもう間に合わない時間である。
「やっべ!」
僕は慌てて、家を飛び出した。
雲上殿ひかりが当たり前のように着いてきていることに、なんの疑問ももたないまま。