情と理
十六夜は、慌しく指示を出す蒼の横で空を見上げ、言った。
「…結界が張れる。」
蒼は、膝を付く慎吾に指示を出していたのだが、ふと十六夜の方を見た。
「術が解けたのか?」
十六夜は、頷いた。
「結界を破って張れないようにする仙術だったようだな。結界を復活させる。」
十六夜は、月を見上げた。じっと月を睨んでいると、すぐに月の結界が領地いっぱいを包んで復活した。慎吾が、それを見てホッとしたような顔をする。蒼も、肩の力を抜いた。
「良かった。力に影響はなくても、結界が無かったら落ち着かないもんだな。昔は結界なんて張らずに生きてたってのに。」
十六夜は、苦笑して蒼を振り返った。
「確かに、あれは知らねぇとはいえ無謀だったよな。維心に教えられるまで、結界の張り方すら知らなかったんだからよ。それだけ、神世に慣れたってことだ。」
蒼は、同じように苦笑して頷いた。
「さすがに、何百年も居ればね。」と、慎吾を見た。「維心様達も戻るだろう。とにかくは、負傷者だけ後にどうなったか知らせるように治癒の対に命じておいてくれ。月の宮側には、犠牲者は出なかったのだな?」
慎吾は、頷いた。
「はい。負傷者は出ておりまするが、皆命は落としておりませぬ。しかし、敵側の犠牲者の数は多く、未だ全て収容出来てはおりませぬ。恐らく、1000ほどの軍神が命を失っておるかと。」
蒼は、ため息をついた。皆、死を覚悟して来たのだという。軍神とは常戦場ではそうだが、あれらは宮に残して来た家族のためにも、死なねばならないと思って来ていた。蒼には、それが不憫で、生き残っている者達だけでも無事に帰してやりたいと心の底から思っていた。
「維心様が戻ったら、もう一度あれらをどうにか出来ないか聞いてみよう。そうだ、母さん。母さんに話して、維心様に言ってもらおうか。」
十六夜が、顔をしかめた。
「やめた方がいいんじゃねぇか。維月は今、何が起こってるのか知らねぇからおとなしいんだぞ?あいつが出て来たら、いろいろややこしいんでぇ。」
すると、突然に奥の仕切り布がめくれたかと思うと、維月が入って来て言った。
「やっぱり、騒がしいと思ったらこそこそと。こんな大事なのに、気付かないとでも思ったの?」
腰に手を当てて、じっと十六夜を睨んで立っている。十六夜は、慌てた。蒼は、もしかしてヤバイのかとおろおろと見ている慎吾を、とにかく見た。
「慎吾、では、命じた通りに。」
慎吾は、慌てて立ち上がって頭を下げた。
「は!それでは。」
慎吾は、巻き込まれてはたまらないと思ったのか、急いでそこを出て行った。十六夜は、維月を見て言った。
「別に隠してたんじゃねぇ。お前に言ってもどうにもならないから、言わなかっただけじゃねぇか。お前、維織と楽しくしてたんじゃねぇのか。」
維月は、首を振った。
「こんな遅い時間になって、維織だって大氣の所へ戻ったわ。十六夜も維心様も、こんな時間まで戻って来ないのはおかしいし、特に維心様が夜、私をほったらかしなんて滅多にないんだもの。おかしいと思うわよ。」
十六夜は、横を向いて密かにチッと舌打ちした。維心のヤツが普段あんな風だからバレるんじゃねぇか。
維月は、十六夜の横へ回り込んで顔を覗き込んだ。
「なに?何を舌打ちなんてしてるのよ?」
十六夜は、慌てて維月に向き直った。
「してねぇよ!あのな、お前は口出しするな。ここはオレと蒼に任せな。維心と炎嘉と、きちんと話をして来るから。」
維月は、じっと十六夜を見た。
「ふーん。きちんと何を話して来るの?」
蒼が、横から言った。
「鵬明にも、いろいろ事情があったかもしれないし、それより今度の侵攻は、維心様にバレたから宮を守るために死ぬ気で来たのが分かったんだよ。だって、最初からこんなこと、出来るはずなんてないじゃないか。月の宮は、堕ちるはずはないんだから。維心様に攻め込まれて一族ごと滅しられることがないように、先に王と軍神達が全滅する道を選んで来たんだ。だから、オレはせめて軍神達だけでも助けてやりたいと思ってる。」
維月は、口を袖で押さえた。
「まあ…。でも、それならばいくら維心様でも、軍神達まで殺してしまえと命じることはないと思うわ。今生の維心様は、温情をお持ちなのよ。私が言うまでもなく、考えてくださるとは思うわ。だから、口出しなどしないけど。鵬明様のことは、私にもどうにも出来ないわ…神世のためと言われたら、政務を知らない私にはそれ以上反論出来ないから…。」
十六夜は、維月をまじまじと見た。
「お前、変わったな。そんな風に言うことはなかったのに。何が何でも殺すなって言ってたじゃねぇか。」
維月は、困ったように笑うと、頷いた。
「そのせいで、こうなったでしょ?」と、窓の外を示した。「やはり、神世を知らない私たちが口出ししてはいけないのよ。他にも、こうして犠牲が出てしまうことになるんだわ。軍神達が、1000人近くも犠牲になったのだと慎吾は言っておったでしょう。多数を救うために…と、維心様はいつも言われておったわ。その意味が、こうなって初めて分かること…。」
十六夜も蒼も、窓の外を見た。月の宮の軍神達が、まだ忙しなく袋に入れられた軍神の犠牲者達を行ったり来たりしながら運んでいるのが見える。蒼は、暗い気持ちになって頷いた。
「そうだね。なら…どんな事情があるにしろ、維心様が鵬明を処刑されるとおっしゃったら、反対するべきではないのかな…。」
維月は、何も答えなかった。これ以上命を奪って欲しくはない。でも、ここで誰かを罰しておかなければ、また公青の時の二の舞になって、もっと神世に犠牲が出るのかもしれない…。
十六夜は、肩で息をついた。
「…もう、いい。とにかく、維心達が戻って来たぞ。話を聞こう。」
維月は、頷いて戸口の方を向いた。
「私は、ここに居ない方がいいわね。蒼、十六夜、よろしくね。私は、どうしても感情的になってしまうから、あちらへ行くわ。」
二人は、頷いた。
「心配しなくても、オレはきっとみんなを助ける方法を考えるから。」
蒼が言うのに、維月は微笑んで頷くと、そこを出て行ったのだった。
維心と炎嘉は、月の宮へと飛びながら先ほどまで戦場だった場所を見ていた。月の宮の軍神達が、せっせと布袋に軍神達を詰めては運んでいる。嘉韻が言っていた通り、もう気を失っているだけの軍神達はここには居なかった。残っているのは、皆気が抜け去った後の、亡骸ばかりだった。
「…短時間でここまでよう滅したことよ。」炎嘉が、暗い口調で言った。「主があそこで出て行かなかったら、もっと犠牲が出ていよう。月の宮の軍神は、ちょっと見ない間によう成長しておるようぞ。」
維心は、頷いた。
「将は皆、気が大きい龍軍の軍神の子ばかりであるからの。鵬明の宮の軍神ごときが束になっても敵わなんだであろう。向かって行った気概だけは汲んでやろうぞ。」
炎嘉は頷いて、維心について飛んだ。鵬明は、じっと運ばれて行く臣下の軍神達を見ていた。緑青は、横で鵬明を気遣わしげに見ている。鵬明は、その緑青にだけ聴こえるように、小さな声で呟くように言った。
「…我と運命を共にするのだと言うて。」鵬明は、淡々と無表情だった。「なのに、我はまだこうして生きておる。あれらは、あちらで待っておるであろうに。」
緑青は、そんな鵬明の視線から、軍神達が見えないようにと前に回りこんで言った。
「軍神達は、戦場で死ぬことを望むもの。しかし己の王が死することは望んではおらぬぞ。主はあれらのためにも、後に続く宮を残してやらねばならぬ。あれらも、己の家族が平和に暮らせるようにと望んだからこそここへ参ったのだからの。」
しかし、鵬明は何も答えなかった。力なく、維心の気の拘束に引っ張られるままになっている。
そうしているうちに、四人は月の宮へと入って行った…月の結界は、もう戻っていた。




