友の友
箔翔は、遠く月の宮辺りに複数の気が入り乱れるのを感じていた。
これは、父上がいつか話しておられた、戦場の様ではないのか。
箔翔は落ち着かなかったが、地の宮に遣いをやっても、父は不在であるという。箔翔は、居たたまれずに立ち上がった。
「出掛ける!」
箔翔が叫ぶと、慌てて玖伊が駆け込んで来た。
「は、王!またこのように日が暮れてから、どちらへ?」
箔翔は、窓へ歩み寄った。
「龍の宮ぞ。供は要らぬ、すぐ戻る。」
玖伊は、急いで窓へと駆け寄りながら言った。
「しかし王、先触れは…」
「要らぬわ」箔翔は、うんざりして言った。「維明に用があるだけぞ。」
「王!」
まだ何か言っていたが、箔翔は聞かずに飛び立った…息が詰まるわ。二言目には礼儀だしきたりだと。
そうして、久しぶりにたった一人、龍の宮へ向けて飛んだのだった。
龍の宮では、突然に現れた箔翔に、兆加が驚いて言った。
「これは箔翔様!はて、このようなお時間にいかがなさいましたか?」
ここに居候していた時そのままな兆加の対応に、箔翔はなぜかホッとして兆加に頷きかけた。
「維明に会いに参った。あれは休んでおるか?」
兆加は、箔翔が気を遣ってわざわざ維明の政務が終わった頃を見計らって来たのだと思い、微笑んで頷いた。
「お部屋に戻っておられまする。お呼び致しましょうか。」
箔翔は、笑って手を振った。
「いや、良い。居候させてもろうた対なのだ、維明の部屋は分かっておるわ。」と、歩き出した。「ではの、兆加。」
兆加は、頷いて箔翔を見送った。
「ご即位、おめでとうございまする、箔翔様!」
その背に言うと、箔翔は振り返って、苦笑した。
「あまりめでたくもないぞ、兆加。維明が今、即位した時の事を考えてみよ。」
そして、兆加の答えを聞かずに歩き去って行った。
兆加は、箔翔に言われて、そういえば、と顔をしかめた。確かにまだ王となるにはお若いやもしれぬ。
そんな兆加の思いには気付かないまま、箔翔は維明の対の入り口へとたどり着いていた。維明の対には維心の結界とは別に、維明の結界が張られているのだが、それは難なく箔翔を通した。つまりは、箔翔がここへ来たことを維明は知っているということだ。
元々、宮の維心の結界を抜けた時からここへ入るのを許されているのは分かっていた箔翔だったが、それもまたホッとした。王になってから、この気安さがなくなってしまっているのではないかと案じていたからだ。
箔翔が慣れた回廊を真っ直ぐに抜けて維明の居間へと到着すると、思った通り維明は驚く様子もなく、戸口に立つ箔翔を座ったまま見上げた。
「箔翔。久しいな。というても、まだそれほどに経ってはおらぬがの。」
微笑む維明に、箔翔は微笑み返して歩み寄った。
「ほんに、遠い昔のような気がしておるところぞ。」と、維明の前の椅子に腰掛けた。「主に少し、聞きたいことがあって参ったのだ。」
維明は、片眉を上げた。
「何ぞ?我は主とは違って皇子なのだぞ。政務の何某かは父上かお祖父様に聞くほうが良いのではないか?」
箔翔は、首を振った。
「そうではない。政務のことなら、玖伊が嫌になるほど聞かせておるわ。耳が痛くなる。そうではなくて、月の宮の方角が騒がしい。結界が消失しておるのではないのか。」
維明は、ため息をついた。そうか、箔翔ならばあの位置の騒動も気取るな。
「…今、少しごたごたしておっての。父上も月の宮へ参っておるのだ。主の父上も滞在しておるのだと聞いた。なので、何も案じることはない。」
箔翔は、驚いた。父上も?
「…知らなかった。軍神達は何も我に報告してこなんだゆえ。」
維明は、頷いた。
「水面下で動いておるのだ。あまり事が公になるとまたややこしいことになるだろうとのことだった。なので今は、お祖父様がこちらで政務を手伝ってくださっておるのだが、我はお祖父様よりそのように。」
箔翔は、面白くなかった。我は鷹の王なのに。なぜに我には何も知らせぬのだ。父上は知っておられるというのに。
「しかし、父上は知っておられるのだろう?なぜに我には何もないのだ。」
維明は、顔をしかめた。
「主は今、政務を始めたばかりで己の宮で手一杯ではないのか。それに、妃を迎えるのだと聞いたぞ。そのように慌しいところへ、此度のようなことをわざわざ知らせたりせぬだろうが。何より、我が父上と炎嘉様、それに箔炎様まで揃っておって、大きなことにはならぬだろうよ。終われば、また主にも話があるだろうから。」
箔翔は、じっと維明を睨むように見ていたが、ふいと横を向いた。
「…面白うないことよ。我はまだ新米の王であるから、役には立たぬということか。」
維明は、息をついて首を振った。
「のう箔翔、つい最近まで、我と共にここで修行に明け暮れておったのではないのか。王とは言うても、まだ主の父は健在であるし、甘えられる所は甘えるべきぞ。宮の外のごたごたまで責任を持たせては、主も今処理しきれまい?我なら、恐らく出来なんだ。」
箔翔は、そう言われて視線を落とした。確かに、宮の政務に振り回されて、気がつくと一日が過ぎている。今日もそうだった。ゆっくりと外の様子にまで気を配る余裕など、まだ無かった。
「…主の言う通りであるが。」
維明は、苦笑して頷いた。
「助けてやれるなら、我とて助けてやりたいぐらいぞ。恐らく主の立場であるなら、我とてそう思ったであろうからな。だが、王は皆同じように譲位されて責務をこなして行くと聞く。ならば主も、いつかは我も、王らしゅう一人前になるよりないのだ。そうなって初めて、回りの王達にも認められて頼られるようにもなろうというもの。」
箔翔は、維明も見違えるように考えが落ち着いて来ているのを見て、驚いた。成長しているのだ…僅かに離れた間に。
「主…変わったの。何やら考えが深くなったように思う。」
維明は、笑って首を振った。
「己の不甲斐なさを知っただけよ。我は宮という平和な中で、ただ書の上の世、書の上の戦術しか知らぬで生きて来た。これでは駄目だと目を開かれたのだ。何より、我らと同じような歳の神が、悟りきった感じであってな。不遇の中で生きて来たゆえ、現実の厳しさというものを知っておる。その神に出会ってから、我はもっと精進せねばと思うようになったのだ。」
箔翔は、身を乗り出した。
「何と、そのような神が?会うてみたい。この宮に居るのか。」
維明は、頷いた。
「帝羽という。我と同じ龍よ。どこかの宮の皇子やもしれぬと言われるほどに、大きな気を持っておってな。しかし、脇腹の子で、母を亡くしてからははぐれの軍神達に育てられたのだ。故あってこの宮の客間に滞在しておるが、行ってみるか?」
箔翔は、嬉々として立ち上がった。
「おお、会いたいの。主にそのような影響を与えた神であろう。我も話してみたいものよ。」
維明は、微笑んで立ち上がった。
「では、参ろう。なに、少し遅いが、あれはそんなことにはこだわらぬから。」
そうして、維明に連れられて箔翔は帝羽が居る客間へと向かったのだった。
客間に着くと、帝羽は書見をしている最中だった。
維明と箔翔が入って行くと、書から目を上げて二人を見た。
「維明?それは、誰か?」
皇子である維明を呼び捨てにしている。つまりは維明がそれを許しているということで、親しい友であるのは間違いないだろう。
箔翔はそう思ってじっと帝羽を見た。それにしても、何やらどこかで見たような。
維明は、箔翔のそんな様子には気付かずに言った。
「帝羽。これは我の友で、このほど即位した鷹の宮の王、箔翔だ。」
帝羽は、王と聞いて急いで立ち上がった。
「これは王。知らぬとは申せ、失礼を。」
箔翔は、首を振った。
「王というて、新米でまだ回りに王と認められておらぬようなもの。そのように気を遣うことはないのだ。それに、維明の友ならば我の友でもあるだろう。良い。」
帝羽は、少しためらいながら、促されるままにまた椅子へと座った。維明と箔翔も、その前に並んで腰掛けた。
「書見か?」
維明が、帝羽の前の巻物を指して言った。帝羽は、頷いた。
「ここには、珍しい巻物がたくさんあるゆえ。ここで世話になっておるうちに、読んでおこうと思うたのだ。して、主は鷹王を我に会わせてくれようと来たのか?」
維明は、頷いた。
「箔翔が会いたいと申したので。」と、何やらじっと帝羽を見つめている箔翔を見た。「箔翔?何をじっと見ておるのだ。主の宮に連れ帰ろうと思うておるのではないだろうの。」
箔翔は、慌てて首を振った。
「いや、そうではない。どこかで見たような、と思うての。主、我に会うたことがあるか。」
帝羽は、困ったように眉を寄せた。
「…いや。高貴なかたに会うような育ちではないからの。しかし、我も何やら覚えがあるような気がしてならぬ。」
箔翔は、まだじっと帝羽を見ていた。
「人世か?主、人世に行ったことはあるか。」
帝羽は、それにも首を振って否定した。
「いや。人になど会ったこともないの。」
維明は、帝羽と箔翔を、代わる代わる見た。どこかで会ったような…それは、維明も思ったことだった。覚えがある。
箔翔は、じっと考え込んでいたが、口を開いた。
「…主、気を抑えておるの。」
帝羽は、ハッとしたように頷いた。
「ああ…癖での。幼い頃から、あまり回りに気取られてはならぬ環境であったゆえ、教えられるままに気を隠しておった。」
箔翔は頷いて、手を上げた。
「一度、その気を解放してみよ。ほれ、こうやって我に見せてみよ。」
箔翔は、上げた手の上で炎のように見える橙色に近い赤い気をポッと出した。維明が、同じように手を軽く上げると手の上には、同じように炎のような形の、しかし色は青白い気を出した。箔翔は、それを見て頷いた。
「維明は、龍であるしな。その青い色が、龍は個々で違っておるのだ。恐らく、父王とは一緒ではないか?」
維明は、頷いた。
「我と父は、ほぼ同じなのだと聞かされておるからの。」と、帝羽を見た。「帝羽も龍であるし、我とは違った色の青かの。」
帝羽は、そんなことはしたことがなかったが、見よう見真似で手を翳した。
「気の色など、見たこともないからの。こうか?」
ポッ、と帝羽の手の上に気が浮いた。それを見た箔翔と維明は、一斉に息を飲んだ。
…その色は、箔翔と同じ橙色に近い赤色だったのだ。




