散り際
蒼が、顔を上げた。
「…結界が!」
維心も箔炎も、炎嘉もすぐに窓の外の空を凝視する。
月の結界は、跡形もなく消失していた。
「緑青は鵬明に力を貸すことを選んだのか!」蒼は、立ち上がって叫んだ。「嘉韻!迎え撃て、急げ!」
しかし、その声を聞くまでもなく、待機していた月の宮の軍神達が一斉に飛び立って宮の回りを囲むのが見えた。そして、迎撃に向かう軍神達が、嘉韻を先頭に緑青の宮の方角から大挙して現われた無数の軍神の方へと向かって行くのが見える。
維心が、ため息をついた。
「あの時と同じよ。」と、手を上げた。「我が結界を張る。軍神は全て前線へ回すが良い。ここは堕ちぬ。」
瞬く間に維心の結界が月の宮を包んだ。すると、それを突き抜けるように十六夜が人型を取って降りて来た。
「蒼!なんてこった、緑青はお前に報告に来ると言ってたのに!」
蒼は驚いて十六夜を見た。
「なんだって?!十六夜、緑青に会ったのか?!」
十六夜は頷きながら蒼の居間へと降り立った。
「結界境で仙術の紙を手に悩んでたんだ。だが、やっぱりお前に報告に来るべきだって、だが、その前に鵬明に手紙を書きたいって部屋へ戻った。オレはその後月へ戻ってたから、何があったのかわからねぇ!」
炎嘉が、渋い顔をした。
「気が変わったのではないのか。ようあることぞ。」
しかし、維心は首を振った。
「よう見よ、炎嘉。緑青の軍神は居らぬ。あれは、全て鵬明の宮の軍神。あの数ならば、全軍居るの。」
箔炎が、じっと目を凝らしながら言った。
「…あれでは勝てぬ。月の宮の軍神は、今やかなりの手練ればかりぞ。数ばかり揃えたところで、敵うはずはない。」
月の宮の軍神は、増えたとはいえ僅か3000ほど。相手は2万は居るであろう。しかし、維心が結界を張るこの月の宮へと辿りついて来る軍神は、一向に見えなかった。
じっと戦況を見ていた維心が、ぽつりと言った。
「…出る。」と、窓枠に手をついた。「このままでは、あちらは全滅しよう。無駄な命を散らすことはない。」
炎嘉が、後に続いた。
「面倒よな。たかが2万、主に任せたいところではあるが、主は時に取りこぼすからの。」
維心は、ちらと炎嘉を振り返りながら軽く睨んだ。
「やかましいわ。細かい砂が手からこぼれるのは致し方ないことぞ。」
維心と炎嘉は、同時に飛び立って行った。箔炎が、それを見上げながら、隣に立つ蒼に言った。
「我は行かぬ。あれらだけで充分であるからの。しかし、鵬明も勝ち目がないことはもう分かっておったのに…これでは我らの思う壷。維心が先回りしていることぐらい、情報として入っておったろう。」
蒼は、そう言えば、と思った。何故にあれらはこれほど無謀に事を急いだのだ。
「…もしかして、鵬明はもう、自分に手が伸びているのを知っていて?」
箔炎は、ふっと息を吐いた。
「恐らくそうであろうな。鵬明も闘神の一族。どうせ散るなら戦場でとは思うやも知れぬ。」
蒼は、慌てて立ち上がると、自分も窓へと走った。そして飛び立とうとしたので、箔炎は急いでそれを追った。
「蒼?主まで行く必要はないであろうが!」
しかし、黙っていた十六夜が蒼に駆け寄った。
「いいや、これはオレ達のうちのゴタゴタなんだ。維心達に任せておけねぇよ!」
箔炎は、察してぶんぶんと首を振った。
「ならぬ!主らの性質は知っておるが、此度はならぬぞ!公青の二の舞にするつもりか!神世はますます乱れてしまうわ!」
蒼は、同じように首を振り、箔炎が止めるのも聞かずに飛び上がった。
「今度は違います!まだ誰もこれを気取っていないでしょう!輝重と緑青にさえ口止めすれば、まだ止められる!」
箔炎は、叫び返した。
「ならぬというに!鵬明はこれが初めてではないのだ!維心は長くあれを追っておったのだぞ!これで罰せられずとも、帝羽の件で責められるだけの証拠を維心に掴まれておるのだ!あやつはもう助けるのは無理ぞ!」
しかし、蒼はもう飛び去って行った。十六夜も、それを追って夜空へ飛び上がった。
「箔炎!オレらは出来る限りのことはするんだよ!お前は黙って見てろ!」
そうして、十六夜も飛び去って行った。箔炎は、そんな二人を見送っていたが、じっとしていられなくて、仕方なく自分も居間から出て飛び上がったのだった。
鵬明は、自分も甲冑をまとって月の宮の軍神達に向かって行く自分の軍神達を、後方から見ていた。
噂に聞いていた通り、月の宮の軍神達は龍が多いゆえか、龍の宮に匹敵するほどの力を持っていた。特に先頭を行く金髪の龍、そしてそれに準じている黒髪の二人は、大変な気と力をもって、鵬明の宮の軍神達は尽く散らされていた。あちらの戦力は3000ほどであることは事前に知っていたが、あの様子では恐らく一時間ももたぬだろう。
鵬明が、じっとそれを見ていると、李俊が先頭の金髪の龍に対峙して、刀を合わせた。
「…李俊では敵わぬ。」
鵬明は、眉を寄せると呟いた。
嘉韻は、先頭をきって敵陣に切り込んで行った。その両隣には離れて明人、慎吾が控えて、これ以上後ろへ敵陣の将が侵攻出来ないようにと留めていた。力の下の軍神達がその隙に後ろへ行っても、それぐらいの相手なら部下達がさっさと始末してくれる。
序列上位の三人は、もはや鵬明ぐらいの宮の軍神の将なら、数人一度に倒してしまえるほどの実力を持っていたのだ。
明人が一度に三人を始末し、ふと嘉韻の方を見ると、嘉韻も自分を囲んでいた軍神達を一人残らず始末し終えたところだった。
「嘉韻!筆頭は居たか?」
嘉韻は、明人に気付いて首を振った。
「いいや、まだ見ておらぬ。恐らく中程、王は一番後方であろうな。」
そう言い終わらぬうちに、何かが物凄いスピードで脇から斬り付けて来たのを感じた。
「嘉韻!」
明人と、慎吾が叫ぶ。しかし嘉韻は、既に気取って刀を上げていた。
「…なるほど、主が噂の金髪の龍か。」
嘉韻は、受けた刀の間から相手を睨んだ。
「そういう主は、この軍の筆頭軍神と見た。」
相手は、フッと笑った。そして、ぐいと刀を払うと、後ろへ飛びのいた。
「我は李俊!王・鵬明様にお仕えする軍神筆頭ぞ!」
嘉韻は、刀を構えた。
「我は月の宮軍神筆頭、嘉韻。李俊殿、お手合わせ願おうか。」
嘉韻からは、ゆらりと赤いような闘気が湧き上がった。大概の場合、それは嘉韻が本気になろうとしている時に出るもので、龍であるのに、父の鳥の血がこういう時には現われて、炎嘉のような赤い闘気が上がるのだ。
李俊は、その姿に自分の闘気も解放した。しかしそれが、嘉韻よりははるかに劣るのは分かっていた。恐らくは、この龍には勝てまい。だが、我は軍神として戦場で散る。
「…参る!」
李俊が、物凄い勢いで切り込んで来る。しかし嘉韻は簡単に受けて自分も相手に斬り込んで行った。
刀を合わせても分かる。気を込めた太刀は、かなりの重さとなって李俊の腕にびりびりと響いた。今はまだ、嘉韻の太刀を受けていられる…気を放って受けているからだ。しかし、すぐに受けられなくなるだろう。それほどに、嘉韻の太刀を受けるために使う気は、半端ない量だった。
そのうえ、思っても見ないほど太刀の動きが速かった。今まで王が嫌うため、公の立ち合いなどには参加して来なかったので、これほどの力の神と本気で対峙したことは、なかった。
「…何を考えておる?」嘉韻が、不意に言って刀を振り上げた。「覚悟!」
李俊は、もうその太刀を受けるだけの気は残っていないと感じていた。
しかし、刀を上げてそれに備えた…恐らくは、刀ごと斬られて終わりだ。
衝撃を受けると思っていたその瞬間、目の前で大きな金属音が聞こえた。まさかまだ自分に、太刀を受けるだけの気が残っていたのかと李俊が目を上げた時、目の前には重厚な甲冑の背が見えた。
誰かが、代わりに受けてくれたのか。
李俊が思って慌てて後ろへと飛び退ると、嘉韻が自分の太刀を受けているその相手に言った。
「…鵬明様か。」
李俊は、我が目を疑った。あの甲冑…王の?!王は、なぜに前へ出て来られたのだ!
鵬明は、フンと笑うと太刀を力強く払って後ろの李俊の方へと飛び退った。
「主に対峙出来るのは、我が軍には我しか居るまい。見ていてすぐに分かったわ。」
嘉韻は、表向き表情を変えなかったが、戸惑っていた。王が、まだこれほどに軍神が残っている状態で、後方から出て来るなど…絶対的な力を誇る王であるならまだしも、鵬明はそこまでではない。気の量は嘉韻より少し多いぐらいであるが、技術では間違いなく嘉韻が勝る。つまりは、鵬明に勝ち目はないのだ。
…覚悟を決められたか。
嘉韻は、そう思った。鵬明は、嘉韻と立ち合って生を終えることにしたのだと判断したのだ。
「…光栄でありまする。」
嘉韻は、刀を構えながら言った。鵬明は、同じく刀を構えながら、まだ回りで戦い続けている軍神達を広く見渡した。そして、嘉韻に視線を戻すと、言った。
「まだ勝てるとは決まっておらぬぞ?嘉韻とやら。」と、目の色をスッと変えた。「だが主になら負けても恥ではないかの!」
鵬明が、嘉韻に向かって突っ込んで来る。
嘉韻は、冷静にそれを見つめて、相手の動きを探った。




