反対
箔炎が、月の宮でじっと窓の外を見ていると、蒼が入って来て声を掛けた。
「箔炎様、義心が参りました。」
箔炎は、片眉を上げた。
「義心?」
蒼の後ろから、義心が入って来るのを見て、箔炎は維心がこちらへ舞台が移ると考えているのだと悟った。しかし、蒼はそれが分からないようで、戸惑った顔をしている。入って来た義心は、驚いたような顔をして恐らく無意識に、ちらと箔炎の左手首に視線を走らせながら頭を下げた。
「箔炎様。」
箔炎は、義心に言った。
「維心や炎嘉から聞いておるか。我に死斑が出たと、炎嘉も維心に聞いて知っておろう。」
義心は、ためらいがちに顔を上げた。
「我が申し上げてよろしいものか…。」
しかし、蒼が横から言った。
「炎嘉様が、オレにも話してくれました。本人は何も言わないが、気を見れば分かると。オレや十六夜は、見ようと頑張れば寿命を見ることが出来るので、こちらへいらした箔炎様の寿命が延びておるのに驚いたのでございます。」
箔炎は、頷いた。
「碧黎にもう100年もらっての。それが何やら責務が残っていたからだということで、己でそれを探せと。友の宮へ行けば良いと聞いて、まずはこちらへ来たのだ。維心と炎嘉は、今それどころであるまいが。緑青のこと、聞きに参ったのではないか?」
義心は、頷いた。
「は。王は策を講じられておりましたゆえ。」
箔炎は、頷いた。
「今のところ、動きはないの。我はこちらへ来てずっと見ておるが、静かなものよ。しかし、もしかしてそれが見えた時には遅いやもしれぬ…何をして来るのか、全く分からぬからの。」
義心は、同じように箔炎の横へと進んで鶴の宮の方角を見た。
「確かに、そのようでございまする。」
箔炎は、義心を見た。
「維心は、次はこちらに仕掛けて来ると見ておるのだろう。あちらで、何か進んだか?」
義心は、頷いた。
「は。箔炎様には、帝羽という軍神のことはご存知でありましょうか。」
箔炎は、驚いた顔をした。
「帝羽?誰ぞ。」
蒼が、横から言った。
「義心、話を聞きたいんだ。話せることだけでいいから、教えてくれないか。」
義心は、驚いたように蒼を見た。
「蒼様は、月からご覧になってはおられませぬか?王は、見えない所も、碧黎様がおられれば恐らく聞いておって知っておるだろうと言っておられたのですが。」
蒼は、ぶんぶんと首を振った。
「知らないんだ。十六夜だって、知らない所もあるって言ってたし、オレは元々、そんな監視みたいなの嫌いだからね。碧黎様は、こっちが聞かないと言わないし、最近はどうしてだか出かけてばかりで会わないんだよな。」
義心は、頷いた。
「左様でございまするか。では、お話を。ご存知でないのなら、ここまでのこちらへの指示も、不思議にお思いであったでしょう。」
蒼は、苦笑して箔炎にも椅子を進めた。
「箔炎様も、お座りください。ここまでのことを、義心に聞きましょう。」
そうして、三人は向かい合って蒼の居間に座った。
義心は、箔炎と蒼を代わる代わる見た。
「まず、王はここ最近の鵬明様の動きが、頻繁になっていると懸念しておられました。そこへ、公青様のあの件があり、そうして蒼様が下したご決断もあり、俄かに他の神も活性化し始めた…王が、御自ら宮を出られてお見回りをし始められた所以でございます。」
箔炎は、頷いた。
「そこは知っておる。炎嘉がやって来て、面倒なことになりそうだ、と話して行ったからの。」
義心は、頷いた。
「はい。あちらは配下の宮の王を使い、龍の宮周辺に出没しては宮への侵入を試みさせていた。見つかったところで、命までも取られないといった気軽さを感じましてございます。どうも、配下の宮には殺されることはないと言って、させておったようでありまするが。」
蒼は、自分のせいか、と下を向く。箔炎は、小さく息を付いた。
「しかし実際、維心は容赦ないよな。皆殺しにしたであろう?」
義心は、頷いた。
「はい。王の手を煩わせるほどではありませんでした。20人ほどでしたので、王の命にて、我が。」
蒼は、目を丸くして義心を見た。確かに義心は手練れだが。
「たった20人で龍の宮へ来させるとは、無謀よな。それはただの嫌がらせであろう。龍に叛意のある者も、神世には居るのだ、というの。」
義心は、頷いた。
「は。王もそのように。その後、人数を増やしてまた、他の宮のもの達が参ったので、その時は王がお姿を見せる必要がある、と申されて、お一人で50人ほどを消されました。そして此度箔炎様が、箔翔様の即位式を龍の宮の催しにあわせてくださったので、隙を作ることが出来申して、思った通りエントリーされた軍神の中に見覚えのない軍神が混じっておって…それが、帝羽という名で。」
箔炎は、繋がったという顔をした。
「おお、それがそうであったか。捕らえたであろうの。して、そやつは吐いたのか。」
義心は、首を振った。
「それが、簡単には行きませなんだ。なぜなら、帝羽殿は利用されただけであるとわかり申したのです。」
義心は、龍玉を持って来てからのこと、帝羽の生い立ちなどを話した。蒼と箔炎は、じっとそれを聞いている。蒼は、帝羽の生い立ちを聞いて、心が締め付けられる心地になった…育ての親まで目の前で亡くして、本当の父は分からず、今龍の宮に居候している状態なのだ。
「何て不憫な。居場所が決まらなかったら、こちらへ来いと伝えて欲しい。ここならば、外から来た者も多いから、奇異な目で見られることもないだろうし。」
義心は、頷いた。蒼は、今の話でそういう感想を持ったのか。
しかし、箔炎は言った。
「ならばしくじったゆえ、策があるなら急ごうとするであろうの。維心が動く前に何とかしようとするはずであるから。」
義心は、箔炎を見た。そう、王ならば普通こういう反応をする。蒼は、普通の政務ならば出来るが、やはり乱れた世は向いていないのだ。
「はい、箔炎様。ですので、王はこちらの様子を見て参るようにとおっしゃったのでございます。」
箔炎は、厳しい顔で蒼を見た。
「蒼よ、ならば主は月の力を強化してあちらを見ておらねばならぬ。少しでも変化が見えたら、すぐに対応せねば間に合わぬかもしれぬぞ。何をするのか分からぬが、月の宮に何かして来ようとするなら、力技ではない。それでは無理なことを、既に知っておるからだ。月の宮が揺らいだ時のことを覚えておるか。」
蒼は、そう言われて思い出した。輝重の父、嗣重が生きていた頃のことだ。気が枯渇して苦しむ中、民のためと月の宮の気を求めて、仙術の魔方陣を駆使して月の結界を破って宮を占拠した…。
そうして、嗣重の宮の事情を知るに至り、同じように苦しんでいた緑青の宮諸とも、こちらの近くへと移転させて気を分け与えることになった。
蒼は、箔炎を見た。
「つまり、仙術かそのような術を使って来る可能性があるということでございますか?」
箔炎は、頷いた。
「それしか、月の宮を破る方法はあるまい。それに、ここを抑えるということは、神世を抑えるということ。油断ならぬぞ。」
蒼は、しかし必死に箔炎を見た。
「しかし箔炎様!緑青が、そのようなことを承知せぬかもしれないでしょう?」
義心が、蒼のその言葉に、険しい顔をする。箔炎も、首を縦には振らなかった。
「蒼よ、何事も、最悪の状況を想定して備えるのだ。主は王。宮を危機に陥れてはならぬ。」
蒼は、空を見上げた。空には、十六夜の気配がある。恐らくは、聞いているだろう。しかし、十六夜は何も言わなかった。
「義心…オレは、鵬明を押さえて捕らえるよりも、緑青を守る方を選ぶぞ。」
義心も箔炎も、驚いた顔をした。
「ならぬ。」箔炎が慌てて言った。「鵬明の尻尾を掴まねば、また何か仕掛けて来るのだぞ?今度はまた他の宮を利用して、そこが犠牲になるやもしれぬ。今なら、緑青だけで済むのだ!」
蒼は、箔炎に身を乗り出すようにして言った。
「箔炎様、それでも緑青を、そんな罪に落としてしまうなんて!回りからそういう状況にされたからではないですか!」
箔炎は蒼から目を反らさなかった。
「しかし、それは緑青が選ぶことぞ!誰に強制される訳でもない。維心は状況を整えただけで、そうせよと命じた訳ではないぞ。真に善良であるなら、鵬明からの指示が来た時点で主に報告して来るはずだ!緑青は、そうしなかった責を負うだけなのだ!」
蒼は、それでも首を振った。
「緑青は、友を裏切ることも出来ない性格なのですよ!もしも何か指示されておったなら、今頃どれほどに悩んでおることか!オレには、緑青を見殺しになど出来ません!」
箔炎と蒼は、睨みあった。
義心は、ただ黙ってそれを見ていた。




