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動向

緑青は、じっと己の宮で、小さな紙を手に空を見詰めていた。

ここには、自分の結界が張ってある。しかし、月の宮との間は、月の宮の結界がまるで網のようになっていて、その間を抜けて気が供給されている…つまりは、自分の結界は無く、月の宮の結界と自分の結界は繋がったような形になっているのだ。

蒼は、とても穏やかな月だった。蒼に限らず、月は皆穏やかで落ち着いていた。無償で月の宮の回りの土地を提供し、そこを譲って気まで供給してくれる…緑青の、月に対する信頼感は、なのでここ数百年揺らいだことなどなかった。

しかし、蒼はこの鶴の宮と、輝重の宮を監視する体制を作った。それは、公青が攻め入って来た事に関していると蒼は言っていたが、その実は恐らく、維心や炎嘉の指示であろうことは、緑青にも分かった。蒼が悪くないことは、緑青にも重々分かっていた。それでも、王としての誇りを失いたくない。他の宮に依存して頭を下げて生きるなど、この序列三つ目の宮である鶴の宮が…。

鵬明の言ったことは、気持ちは分かると思った。妃の実家まで調べられているとなると、本当に支配されているような気になるだろう。だが、それだけだろうか?

緑青は、一人考えて思った。維心も炎嘉も、月の宮に頻繁に行き来するようなってから、よく目にするようになっていた。確かに会合など、公の場で見る二人は隙もなく、大変に恐ろしい様で、とても同じ神であるようには見えなかった。しかし、ここで見る龍王や炎嘉は、とても親近感があった。同じ神であると思われるような反応をし、無防備に妃に甘えている姿も、何度も目撃していたのだ。言っていることも、間違ったことは一つも無かった。ならば、何かあるからこそ、そこまでして神世を監視しようとしているのではないか。

緑青は、そこに思い至って、ハッとした。そう、妃の実家まで見なければならない、鵬明に何があるのだろう。

公青は、月の宮へと侵攻して来た。蒼の力は、緑青も目の当たりにしたが、とても普通の神では太刀打ち出来るものではなかった。しかし蒼は、神を殺傷することを極端に嫌う。元は人であり、軍神ではないからだ。

そんな蒼が、公青を罰しなかったのは、緑青には当然のように見えた。蒼の性格は、ここ数百年で知り尽くしている。逆に罰した方が驚いたかもしれない。だが、それによって、神世はどうなった。

…維心と炎嘉は、あの時表情を険しくした。緑青自身は、もう神世には戦を起こそうと思うような輩は居ないだろうと思っていたが、もし居たのなら、あの沙汰を見てどう思ったか?…何を起こすにしても、月の宮を絡ませて表向き世のためなどと言えば、龍も崩せるのではないか。しくじっても、今までのように一族を滅しられることなど無いのではないか…。

そう、見えたのでは。

緑青は、そこに思い至って、呆然とした。鵬明…祖父の代から、龍のことは快く思っておらぬと言っていた。維心も、炎嘉も、もしや鵬明を疑っている?だから、鵬明を探っているのか。では、自分は?

緑青は、そこまで考えて、愕然とした。そうだ、自分は鵬明の友。幼い頃からの親友同士。ならば、我も疑われておるのか。

緑青は、自分の手の中の紙に視線を落とした。これには、何やら見たこともないような図が描かれてある。これを、宮の結界の境、あの月の宮の網状の結界の両脇に貼れと鵬明に言われた。貼った後、自分に合図を送れと。それだけで、自分は何の手出しも要らぬと…ただ、じっと事態を見ておれば良いと。

これを貼って、何が起こるのか緑青には分かった。その昔、仙術の魔方陣で月の宮は大混乱を呈したことがあったからだ。これは、恐らく魔方陣。だが、何に使われるものなのか検討も付かない。

緑青は、迷っていた。蒼がこれで、大変な目に合うのは分かっていた。その他、親切な月の宮の臣下達や、民達。もしもこれで命を落とすようなことがあったなら…。しかし、自分を信じてこれを託した、鵬明の気持ちもある。鵬明にとっては、きっと長い間の怨嗟の気持ちを、どうにかして晴らしたい一心なのだろう。

緑青は、頭を抱えた。どうしたらいい…自分は、何を信じて何を助けて生きたいのだ。

空を見上げても、答えは出なかった。


「…しくじったか!」

鵬明が、珍しく声を荒げた。李俊は、その前に膝を付いて下を向いている。鵬明は、うろうろと歩き回った。自分の配下の宮の王、椎葉が、激しく乱れた筆跡で書状を送って来たのだ。椎葉のうろたえようは並ではなく、文章も支離滅裂だったが、それでも言いたいことは分かった…帝羽とはぐれ者達を消しに行った軍神10人が、いとも簡単に一撃で滅しられたような跡を残し、洞穴で倒れていたのが見つかったと。

「誰に殺られた…帝羽か。それとも、桐か。他の誰かなどと言うまいの。」

李俊が、答えた。

「何分…誰一人として生き残らなかったので、様子を知ることが出来ませぬ。しかし、状況から帝羽と、桐の二人かと椎葉様は言っておられまする。」

鵬明が、李俊を睨んだ。

「なぜに主が行かなんだ!あんな端の宮、椎葉の軍神などたかがしれておるのは分かっておったではないか!」

鵬明は、そう言いながらもそれが危険なことは分かっていた。帝羽が結界を抜けたのを、龍王が気取って追手を差し向けないとも限らない。李俊は、あちらの軍神にも顔は知られていた。なので、行くことが出来なかったのだ。

「…王。」李俊は、言った。「椎葉様が早まってはと、あちらへは申しませんでしたが、我は現場に残った軍神達の遺体を見て参りました。」

早まるとは、恐れをなして龍王に全てを己から白状することだ。鵬明は、李俊に向き直った。

「では、どんな軍神にやられたかわかったのか。」

李俊は、頷いた。そして、思い切ったように顔を上げ、言った。

「あの太刀筋。一人は横から二太刀ほど。四人は一度に正面から。五人は気を食らって一度に滅しられ、恐らくは一瞬のことではないかと。最初の一人は、荒い切り口であったので、別の誰かにやられたようでありましたが、後の九人は一人にやられておりまする。」

鵬明は、眉をグッと寄せた。

「いくらなんでと椎葉の軍神は、流れの軍神にそんなに簡単にやられるほど弱い輩ではないはず。」

李俊は、頷いた。

「我には、あの手際の良さと太刀筋に覚えがありまする。あんなことが出来る軍神は、そう居りませぬゆえ。」

鵬明は、李俊を見た。

「龍か。」

李俊は、頷いた。

「義心かと。」

鵬明は、しばらく拳を握り締めていたが、李俊を睨んだ。

「緑青に遣いを!主ではならぬ、甲冑を変えさせ、面の割れておらぬ軍神に行かせよ!急がねば、龍王が動く!」

李俊は、頭を下げた。

「は!」

そうして、すぐにその場から消えて行った。

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