桐2
ほどなくして、女は死んだ。そう身分も高くはなさそうだったが、儚げな美しさは確かに龍のものだった。たった一人遺されて泣く、どこぞの皇子だとかいう幼子を見て、桐は思った…まだ、飛ぶことも満足に出来ぬ子供。それを、育てよと申すか。
桐には特定の女は居なかったので、もちろんのこと子もなかった。なので、子育てなどとは無縁で生きて来たのに、ここに来て皇子を子育てせよと。
しかし、自分が来たのを見たその小さな帝羽という皇子は、自分を見上げて言った。
「母上が亡くなった。主が父ではないと聞いているが、母を弔う助けが欲しい。」
桐は、驚いた。王族とは、気が強いだけでなく大変に利口なのだと聞いているが、確かにこれもそうだ。この歳で、もうそんなことが言えるのか。
「我が母を弔おう。帝羽よ、我と共に来い。確かに生き残るなら、それしかないぞ。」
帝羽は、じっと桐を見ていたが、こくんと一つ、頷いた。
「頼む、桐。我には、もう主しか居らぬ。」
桐は、その屋敷の裏に穴を掘って塚を作り、帝羽の母を弔った。その後、必死に涙を拭う帝羽を肩に乗せて、自分達が主に住んでいる屋敷へと連れ帰ったのだった。
それから、帝羽はいつもの宮から来る任務をこなす傍ら、帝羽を教育した。教育とは名ばかりで、自分も書を読んで共に神世の礼儀というものを知って行った。神世の歴史なども、そこで知った。まさに子と共に育つといった感じだった。
帝羽は、素直で人懐っこい神だった。桐は、時の本当の己の子のように思い、手が開いた時には指南だと森に出て、軽く棒を振ったりしながら戯れた。任務の際にも連れて出て、自分の背に負って戦った。放って置くと、連れ去られるような土地。任務など関係なく、帝羽が誰かに連れ去られるなど、とても許せない気がしたからだった。
どこへ行くにも、桐、桐、と付いて来ていた帝羽も、気が付けば大きく、成人近くの体つきになり、誰よりも戦力になっていた。戦いの場で背を預けるにも、帝羽なら間違いがないと信頼出来るまでになっていた。そんな時、またあの軍神がやって来た…あれから、100年ほど。もしや、利用価値とやらが出たとか言うのではあるまいな。
「ようここまで育てたの、桐。」その軍神は、言った。「気は熟した。あれは、皇子であってもおかしくはない品位も出ておるではないか。」
桐は、答えた。
「我は何も。勝手に書を読み、血がなせる技か、あのようになっただけのこと。」
軍神は、頷いた。
「では、帝羽を采様の宮へ。」桐が眉を寄せるのを見たその軍神は、続けた。「采様は、穏やかでありながら序列の高い神。取り入るには、やりやすかろう。しかし目指すのは、龍の宮ぞ。」
桐は、表情を険しくした。世のことは、書で知った。それまでは知りもしなかったことだったが、龍王とは世を平定したこの世最強の神。その宮は、神世最大の宮、龍の宮。ただ龍王は非情で知られ、気に入らぬと斬って捨てるのだという…。
「目的は?」
軍神は、桐を見た。
「父王との面会。」桐が、その意味を悟るのを待ってから、軍神は続けた。「ちょうど100年前、龍王はこの辺りに来ておるのだ。何やら不穏な動きがあると調べに参った。だが、尻尾を掴むことは出来ずに戻った…帝羽が、生まれた頃と近い。」
桐は、身を乗り出した。
「誠、帝羽は龍王の?」
だとしてもおかしくはない、あの気の大きさ。年々育つ、能力の高さ。龍王の子ならば、あるいは…。
しかし、軍神は、顔をしかめた。
「どっちでも良いが、おそらく違うだろうの。」桐が呆気に取られるのに、軍神は気にも留めずに言った。「龍王は、たった一人の妃に溺れて他は目に入っておらぬ。だが、事実など要らぬ。欲しいのは、世間の目。桐よ、龍玉という宝物を知っておるか。」
桐は、驚いた。それは、書で読んだ。
「龍王に引き継がれる、宝物でありまするな。」
軍神は、頷いた。
「それを持たせるのだ。帝羽には、それは真実であると思わせよ。己で采の宮で調べさせ、そうして龍の宮へと向かわせる。龍玉を手に入れる方法を、たった一つだけ思いついたのだ…我では、面が割れておって出来ぬ。主なら出来よう。」
そうして、その軍神は桐に一枚の絵図を握らせ、その方法を語って戻って行った。桐は迷った…そんなことをして、もしも帝羽が処刑されてしまったなら。しかし、こうも思った。龍王の守りの中へ入ったならば、帝羽には誰も手出しが出来ぬ。もし、これで用済みとされ、自分達は始末されるとしても、帝羽だけは龍王の結界の中で守られる。龍玉まで持って来た、何も知らない帝羽を、いくら龍王でもすぐには殺さぬはず。真相を解明しようと、情報を得るために生かしておくはずなのだ。
桐は、決心した。そして、まるで年老いた臣下であるように装い、絵図を握り締め、指定された日、指定されたように、龍王妃に田舎者のような鈍りのある言葉で話し掛け、龍玉を手にすることに成功したのだった。
全ては、帝羽を龍王の結界の中へ入れるため…。
桐は、帝羽に対しても、芝居を打ち続けた。
そこで、スッと光が消えた。桐の記憶を見ていた皆が、ハッとしたように瞬きをした。見ると、帝羽が人目をはばからずに涙を流していた…桐。桐も、自分を息子のように思ってくれておったのだ。
維心が、義心を見た。
「…あれは、李俊か。」
義心は、頷いた。
「は。確かにそのように。桐に直接姿を見せて指示しておったのですな。」
維心は、ニッと笑った。
「繋がったの。込み入ったことであるから、下位の宮の軍神などに任せてもうまく伝えられぬやもと思うたのだろう。」と、帝羽を見た。「帝羽、大儀であった。桐という軍神、亡くしたとは惜しいこと。これほどの軍神ならば、炎嘉が欲しがったであろうに。充分に宮の軍神として仕えられたと思うぞ。」
帝羽は、涙を拭って頭を下げた。
「もったいないことでございます。ですが、仰せに逆らって結界を出て参りましたこと、沙汰を受ける覚悟でありまする。」
維明が、それを聞いて慌てて立ち上がった。
「父上、我が悪いのでございます。結界を抜けたのは、我が母上の力を使って…。」
維心は、手を上げて維明の言葉を遮った。そして、帝羽に言った。
「主には何の咎もないわ。親の危機に立ち上がらぬ子など居らぬだろう。維明のことについては…ま、後で沙汰を下そうぞ。父の命に逆らっておるからの。」
維月が、気遣わしげにしている。だが、何も言わなかった。維明は、頭を下げた。
「は。申し訳ありませぬ。」
帝羽が何か言いたげだったが、維心が言葉を続けて口を開けなかった。
「義心、しかしあれはまだ言い逃れしようと李俊だけのせいして、己は知らぬで通す可能性がある。これはこれとして、初めて尻尾を出したのだ、置いておくとしようぞ。月の宮の方を探って参れ。そろそろ動くのではないか。」
義心は、頭を下げた。
「は!では早速に。」
そして、サッとそこを出て行った。維心は、帝羽をもう一度見た。
「この玉は、しばらく預からせてもらう。事が終わったら、主に返そうぞ。」
帝羽は、頭を下げた。
「は。感謝いたしまする。」
「客間へ戻って、もう休むが良い。」
維心は、言った。帝羽は、維明を気にしながら、重い体を引きずるようにして、客間の方へと戻って行った。それを見送った維月が、維心を見上げて言った。
「維心様。」維心が、維月を見る。維月は続けた。「あの帝羽は、大変に心身共に疲れ切っておりまする。話を聞く相手が、要るのではと思いまするが。」
維心は、ちょっと顔をしかめたが、頷いた。
「確かにの。」と、維明を見た。「維明。では、主の沙汰はまた父が考えておくゆえ。今は、帝羽に付いてやるが良い。」
維明は、ぱっと明るい顔をした。そうして、サッと維心と維月に頭を下げると、帝羽を追って出て行ったのだった。




