闘い
帝羽は、必死に桐の太刀を受けていた。何しろ、何もかもを桐から教わった。桐は、帝羽の手を知り尽くしていた。そんな相手と、本気の立ち合いで勝つのは至難の業だった。
「何をしておる!受けるだけでは勝てぬぞ!」
そう言っている間も、桐の太刀は容赦なく帝羽を攻撃していた。
「長!帝羽!」
かつての仲間が叫ぶ。帝羽は、これだけ桐に必死になって、他に余裕がないにも関わらず、軍神達もかつての仲間も、決して手を出して来ない事に不信感を持っていた。自分を殺したいのなら、皆で一斉に掛かれば事足りるのではないのか。
「何を考えておる!手が遅れるぞ!」
帝羽は、桐の太刀をまともに受けて飛ばされた。そして、壁の軍神に当たる…しかし、その軍神が帝羽に向かって刀を構えると、後ろの仲間がその腕を掴んだ。帝羽がその隙に身を翻すと、後ろの仲間はその軍神に突き飛ばされていた。
まさか…。帝羽は、それを見て思った。誰もが、気遣わしげに自分と桐を交互に見ている。もしかして、これはこの軍神達に脅されて行っていることではないのか。
よく見ると、仲間の腰には、刀は無かった。
「桐…!」帝羽は、叫んだ。「まさか皆の命を盾に、我を消せと言われておるのでは…!」
桐は、表情を変えた。しかし、すぐにまた不敵な表情に戻った。
「…だから、何ぞ?」桐は、斬りかかって来た。「主の命など、仲間の命に比べれば大したものではないわ!」
帝羽は、それを受けて横へと宙を舞った。暗い洞窟の奥、そこだけが広く開けた場所なので、入り口の方へ逃れる事も出来ない。桐は、仲間を助けるために、自分を殺そうとしているのだ。ならば、ここでこの命を、落としても良いのかも…皆の命と、引き換えになるのなら。
「…隙だらけぞ!」桐は、叫んだ。「さらばだ、帝羽!」
桐の刀が、一瞬にして桐の気と共に帝羽の胸を貫いた。
「帝羽!」
仲間達が、一斉に叫んでいるのが聞こえる。
帝羽は、気が遠くなって行くのを感じながら、囁くような桐の声を聞いた。
「主は、炎を操る種族の子ぞ。龍でなくば不要と言われて禁じておったが、それを覚えておるが良い。」
帝羽は、しかし答えられなかった。
気を失う寸前、桐がたった一人で軍神達に向かって行くのが見えた。
「一人で我らに敵うと思うてか!」
軍神達は、嘲るように桐を見て、数人降りて来た。桐は、それらを同じように嘲笑した。
「束にならねばはぐれ者すら相手に出来ぬ者共よ。帝羽を殺ることすら、我に任せきりであったではないか!」
桐は、掛かって行った。軍神達は、顔色を変えてそれを迎え撃った。たった一人の桐に、五人の軍神が囲んでいるが、桐は巧みに身をかわして相手に斬りかかる。修羅場を乗り越えて来た桐は、こんなことには慣れていた。
三人で倒せないとなると、七人掛かりになった。仲間を押さえていた軍神が三人になるや、桐は叫んだ。
「廉!」
一人の仲間の軍神が、敵の軍神を素手で打ち、その刀を奪った。そして瞬く間にその軍神を貫いたうえ、留めを刺した。
「させるか!」
押さえていた軍神二人と、桐に向かって来ていた軍神二人が、他の軍神達に斬りかかる。しかし、寸でで何かの気が行く手を阻んだ。
「…覚えのある顔。椎葉様の宮の軍神か。」
その姿を見た相手は、表情を凍らせた。大きな龍の気。いつも遠く姿を見ただけで恐怖したこの姿は、龍軍筆頭、義心!
「なぜにここに!」
義心は、フッと笑うと一気に四人の軍神を事も無げに切り捨てた。桐を襲っていた軍神達も、桐がそこに居るのも忘れて呆然と見上げた。義心…戦場で最も見たくない軍神!
「案じる事はない。」義心は、刀を降ろして手を振った。「楽に逝くが良い。」
一瞬にして、残りの五人はバタバタと地上へ落下して倒れた。桐は、同じように呆然と義心を見上げた。太刀を交わす必要もないのか。これが義心…初めて見る。
義心は、こちらへ降りて来て、桐には目もくれずに帝羽を見た。そして、肩に担ぐと、桐を振り返った。桐は、思わず構えた。
「主には聞かねばならぬ事が山ほどあろうほどに。」
桐は、その声に我に返って口元を歪めた。笑うつもりが、そうはならなかったのだ。
「何も言う事はない。それより、そやつの手当てをするのではないのか。」
義心は、じっと桐を見ていたが、首を振った。
「止血はされている。急所も外れている。元よりこれを、主は殺すつもりなど無かったのだろう?」
桐は、表情を険しくした。ちらと見ただけで、それを見抜いたのか。
「…これは、死んだと報告させるつもりであった。どうせ用済みの我らは皆殺しにされるだろう。それで、全ては終わると思うた。」
義心は、首を振った。
「何も終わらぬ。生きておることは、すぐに気取られるだろう。そうして終生命を狙われ続けるのだ。こやつが訳も分からずそのような生き方をすることを、良しと思うか。」
桐は、義心を睨んだ。わかっている…本来なら、こんな場末の神の中で育つようなヤツではなかった。神の勢力争いに巻き込まれたばかりに、こんなことに…。
廉が、叫んだ。
「長!義心殿に話すのです!龍王の力に守られなければ、帝羽は生き抜く事は出来ぬ。そうおっしゃっていたではありませぬか!」
桐は、廉を見上げた。そして、義心の肩に担がれた帝羽を見て、また義心と目を合わせた。
「ならば、我の知る事は話そう。」
義心は、頷いて先に立って洞窟を抜ける。その後ろを、桐と廉、そして残りの八人の仲間は、ついて洞窟を出たのだった。
維明は、自分の無力さを痛感していた。ここで、義心を待つことしか出来ない…箔翔には勝てても、自分の能力は戦場や実戦の場では何の役にも立たぬのだ。
じっと、中で複数の気が交錯するのだけを感じ取っていた維明だったが、それがふと途切れ、そして幾つかの気が一斉に消えたのを感じた。義心が、一気にかたを付けたのだろうことは、それで分かった。そのうちに、幾つかの気がこちらへ向かって進んで来るのか分かる…出て来るのか。
維明が、固唾を飲んで構えていると、義心が、帝羽を担いで出て来た。帝羽は、青い顔をして気を失っていた。
「帝羽!」
維明は、叫んで駆け寄った。義心は、側の平地に帝羽を下ろした。
「急所は外れておりまする。貫かれた際、気を流し込んで止血をされておる。それゆえ、そのショックで意識はありませぬが、命に別状はありませぬ。」
維明は、それでも帝羽を気遣わしげに見た。確かに、帝羽の気は低い位置で安定していた。
「それは?」
桐が、義心に問う。義心は答えた。
「龍の宮第一皇子、維明様。宮の結界を帝羽が越えて来れたのは、維明様のお力添えがあったからぞ。」
では、これは次代の龍王か。
「…まあ、結界を出て来ねば、帝羽はこのような目に合わずに済んだがの。」
桐は、小さく吐き捨てるように言った。他の軍神達は、珍しげに維明を見た。維明は、居心地悪かった。良かれと思ってしたことは、間違いだったというのか。
すると、帝羽が小さくうめき声を上げた。維明の声に、反応したのだ。
「維明…。」
維明は、帝羽の顔を覗き込んだ。
「帝羽!案じるでない、急所は外れておるぞ。」
帝羽は、目を開けた。
「我の仲間は…残りの軍神は。主が助けてくれたのか。」
維明は、義心を見た。義心は、じっと黙っている。維明は、首を振った。
「義心が来た。我は外へ放り出され、義心が中へ入って主の仲間を助けたのだ。我ではない。」
帝羽は、それを聞いてハッとしたように回りを見回した。そして、桐の姿を見とめると、慌てて身を起こそうとした。
「桐…!無事か。」
桐は、苦笑した。
「己を討った相手を気遣うか。」と、刀を抜いた。「やはり主は、我らとは相容れぬ。」
義心が、刀を奪おうと気を放った。だが、桐は一瞬早く自分の胸にその刀を突き刺した。
「桐!」
帝羽は、必死に身を引きずるようにして桐の方へ行こうともがいた。桐は、その場にガックリと膝をついた。
義心が、急いで側に寄って刺した場所を確認し、眉を寄せた。
「…さすがに手練れよの。」
桐は、フッと笑った。
「急所は外しておらぬだろうが。」そして、上がって来る息に、早口で帝羽を見て言った。「早よう!我の記憶を取れ!我の気では出来ぬ…だが、主には出来る!」
帝羽は、涙ぐみながら叫んだ。
「出来ぬ!主の口から聞く!」
だが、桐は必死に首を振った。
「我は助からぬ!真実を知りとうないのか!」と、ばたりとそこへ倒れた。「長くは…持たぬ!出来ぬなら、維明殿でも良い!」
維明は、ためらいがちに帝羽を見た。確かに、記憶の玉を作るのは、かなりの気がなければ無理だ。義心でも、出来るのか維明には分からなかった。しかし、手を出さないのを見ると、出来ないのかもしれない。
帝羽は、涙ぐみながら桐の必死の視線を受け止めていたが、桐に腕だけで這い寄った。そして、その額の前に手を上げた。
光が広がり、すーっと帝羽の手に記憶の玉が形成されて浮いた。それを見た桐は、ホッとしたように息をついて仰向けに横になった。
「複製か。こんな記憶、黄泉へ持って行きたくはなかったのに。だが、それで、我の知ることを見るが良い。文字通り、我の全てぞ。」
帝羽は、涙を流しながら桐を見た。
「なぜに…これから、共に我らを利用した奴らを討つ事が出来たのに。」
桐は、笑った。
「そのように綺麗な仕事など、我にはもう許されぬ。そんな生き方は、して来なかった。だが、残りの奴らは何も知らぬ。我だけが知っておるべきだと思うたからだ…恐らく、消されるだろう思うたからの。」桐は、息を吸ってむせるように咳き込んだ。咳と共に、血しぶきが飛ぶ。「…もう、終わりぞ。帝羽、主は真っ当な道を、行け。」
帝羽は、桐の手を握った。ずっと、この手が自分を守って来た。小さな頃から、ずっと。
「桐…我の父は、主だったのに。我は、何を探しておったのか…。」
桐は、少し驚いたような顔をした。そして、穏やかに微笑むと、言った。
「我の息子にしては、出来過ぎぞ。」そして、目を閉じた。「さらばだ…息子よ。」
グッと、桐の手を握る帝羽の手が握り返されたかと思うと、その力はすっと緩んだ。
そして、桐の気は、抜け去って行った。




