献上
桜の宴も無事終わり、次の日からは維月の里帰り期間だった。
あの日、維心が蒼の居間へと取って返して知り得たことを十六夜と蒼の前に並べたが、今の時点で何も出来ないことに気がついた…頼が、何かしたわけではないからだ。
誰かを恨んでいるからと言って、それだけで捕らえることなど、いくら維心でも出来なかった。なので、義心に命じて頼を見張らせ、十六夜も月から監視を強化することにした。
しかし、何も知らない維月はいつもと変わらず気楽に里帰りを満喫していた。最初の三日は嘉韻のところで過ごし、そしてしばらく次元を越えてあちらの維心の所へ行き、戻って来て十六夜と過ごした。次元を越えるのは時間も調節して飛んでいるので、里帰りはまだ三週間はあった。なので、十六夜とのんびりと過ごそうと、維月は考えていた。
しかし、十六夜は言った。
「維月、今回はあんまりふらふらするんじゃねぇぞ。」びっくりしている維月に、十六夜は続けた。「今、ちょっと世情不安なんでぇ。さらわれでもしたら大変だからな。」
維月は、不機嫌になって言った。
「だから嘉韻もおかしかったのね。森を歩いててもがっつりどこか掴んで離してくれないし、いつも回りを警戒しているような感じで。それって、おかしいわよ。月の結界の中なのよ?それに、お父様だって居るのに。ここで何かするなんて、絶対無理だと思うのに。」
十六夜は、ため息をついた。
「あのなあ維月、それでも危ない時は危ないんだ。月へ戻っててもいいぐらいなのに。」
維月は、ぶんぶんと首を振った。そんなことをしたら、退屈じゃないの!
「分かったわ。なるべく、おとなしくしてる。でも、宮の中ぐらいいいでしょ?外に出る時は、十六夜かお父様か、嘉韻について来てもらうから。」
十六夜は、少し聞き分けが良くなっている維月にホッとしながら頷いた。
「ああ、それでいい。そうだ、蒼が献上品に囲まれてたぞ?今日は謁見の日だから、いろんなものを貰ったらしい。」
維月は、キラキラと目を輝かせた。維心も、謁見の時は珍しいものなどがあったら、居間へと持ち帰って維月に見せてくれる。神世のことなので、とても面白いものも中にはあるのだ。
「まあ、見たいわ!十六夜、一緒に行こう!」
十六夜は、苦笑して差し出された維月の手を握った。
「相変らずだなあ、お前は。」
そう言いながらも、二人は仲良く手を繋いで、謁見の間へと向かったのだった。
謁見の間では、翔馬を始めとする臣下達が、一生懸命献上品の整理をしていた。そこには、蒼の人の頃の弟で、今は仙人として宮の財政を担当する恒も居た。維月は、微笑んで言った。
「あら、恒。珍しいわね、あなたまでこうして出て来て整理をしてるなんて。」
恒は、頷いた。
「母さん。今回は物凄い数だったんだよ。というのも、この間の運動会に観戦に来た宮とかが、それを縁にして蒼に願い事をしに来てたもんだから、いつもの倍以上でさ。蒼だって、最後の方は疲れてきちゃって、十六夜に代わってもらえないかな、なんて言ってだんだもんな。」
十六夜が、ふふんと意地悪く笑った。
「オレは王じゃねぇ。その願い事をどうするのか判断するのはあいつの仕事だ。だから、知ってたけどほっといたんだもんよ。」と、ごった返している床の上を見た。「これ、全部献上品か?」
恒は、頷いた。
「そうだよ。母さん、何か欲しい?小さな宮が多いから、龍の宮みたいに珍しいものはないと思うけど。」
維月は頷きながら、その辺りの布をめくって中を見たりしながら歩いた。
「維心様が、珍しいものはいつも小さいのだと言っておられたわ。ほら、私がよく使う、隣の世っていうパラレルワールドが見れる玉だって、すっごく小さかったの。でも、未だに維心様と二人で、あれを使って遊ぶのよ?映画を見ているようで、おもしろいの。」
恒は、辺りを見回した。
「小さいものって…」と、側のほかの献上品の上に乗っている、小さな袋を手に取った。「これなんか小さいけど。」
維月は、それを手に取って中身を出した。そこには、小さな小瓶が入っていた。
「何に使うもの?」
十六夜が、寄って来て覗き込んだ。
「うーん、香水か何かか?珍しいとは思えねぇけど。」
恒は、手元の紙を繰って、袋に記されてある番号と照らし合わせて言った。
「えーっと、ああ、人世で買い求めた、嗜好品だと書いている。」恒は、じっとそれを読んでから目を上げた。「コーヒーとか紅茶に入れて飲むんだってさ。最近開発された、神世ではとても珍しいものなんだって。だから、人世と繋がりのある月の宮へ、と。」
維月は、目を輝かせた。
「まあ!」と、瓶の蓋を取って臭いをかいだ。「本当、甘い香りがするわ。これにしようかな。もらっていい?」
恒は、頷いて紙に何か記した。
「いいよ。じゃ、それは母さんにあげたって記しとくから。それじゃあオレ、忙しいし。またね。」
維月は、手を振って頷いた。
「ええ。ありがとう、恒。じゃあね。」
維月は、大事そうにそれを持って歩き出した。十六夜が、それについて歩きながら言った。
「蒼に礼でも言いに行ったほうがいいんじゃねぇか?あいつが疲れ切ってでも話を聞いたからこそ、貰ったもんなんだしよ。」
維月は、困ったように顔をしかめたが、頷いた。
「そうね。でも、散々に愚痴を聞かされそうなんだけど。」
十六夜も苦笑しながら、頷いた。
「違いねぇ。だが、蒼だって一人で頑張ってるんだ。それぐらいはしてやらなきゃな。」
二人は、蒼の居間へと向かったのだった。
居間では、蒼が気だるげに座っていた。間違いなく、疲れ切っていたのだ。
しかし、二人の顔を見るとパッと背筋が伸びて、そして目に生気が戻ったかと思うと矢継ぎ早に話し出した。
「十六夜、母さん!ちょっと聞いてくれよ、今日の謁見の数、尋常じゃなかったんだよ!もう小さな宮ばっかり次から次へと…もう無理だ。来月は、十六夜と二人で分けてやりたい!」
十六夜は、側の椅子へと歩み寄りながら、まあまあと手を振った。
「お前の言いたいことは分かる。だがな、謁見するだけならいいが、その時に出て来た願いってのを、どうしてやるか判断しなきゃならねぇだろう。それは、オレには出来ねぇことだ。王だからこそ、宮としてどうするか考えられるんだからな。維心を見ろ、ここの比じゃねぇほどの数の謁見をこなすんだぞ。それでも、一人でやってるじゃねぇか。」
蒼は、頬を膨らませて横を向いた。
「維心様のところは、厳しい基準があってそれに通らないと維心様と目通りなんて出来ないじゃないか。先に用件も言ってあるし、維心様が出て行くってことはそれなりの案件だから放って置けないってのも分かるけど、オレなんて、娘の嫁ぎ先がどうの、隣りとの境界線がうやむやになってるだの、裏の池がよく氾濫するので堤防を作りたいが隣の領地の土も使っていいように口ぞえしてくれだの、そんなのなんだよ?!もう最後には、疲れてきちゃってさ。それって、オレが聞くものなのか?」
維月は、フッと息をついた。
「そうね、確かにおかしいわ。ここは格が高いのだから、最初から面談基準を作っておくべきだったでしょう。今まで、謁見の数が少なかったからそれで何とかなっていたようなもの。とにかく、次からはきちんと審査するように翔馬に指示して。急に増えちゃったんだし、仕方ないわ。分からなければ、兆加に言って教えてもらえるようにするけど。」
蒼は、やっとホッとしたように肩を落とした。
「ああ。頼むよ、母さん。何か、これからもずっとこれかと思ったら、居た堪れなくてさ。」と、維月を見た。「あ、そうだ母さん。献上品がたくさんあるから、そこから何か持ってっていいよ。そうそう、母さんがコーヒー好きだって聞いて、人世からわざわざ取り寄せてくれたって言ってた嗜好品があったんだ。持って来るの忘れた。」
維月は、あら、と蒼を見て、懐から袋を出した。
「もしかして、これ?」
蒼は、驚いたようにそれを見た。
「ああ、それだよ。なんだ、先にあっちへ行って見て来たの?」と、袋から、小瓶を出した。「何か、甘い匂いがして、母さんが好きそうだなって思ってたんだよな。元は人だからって、気を遣ってくれたみたいなんだけど、オレより母さんに使って欲しそうだったよ。あの美しい月のかたが、コーヒーというものを好まれると聞いて、って言ってたから。実態知ったらひっくり返るだろうけどね。」
十六夜は、ハハハと声に出して笑った。
「美人なのは本当だぞ?中身はこんなだけどさ。」
維月は、怒って十六夜と蒼を交互に見た。
「ちょっと何よ!確かに神らしくないけど、そんな言い方ないじゃないの!」と、拗ねたように横を向いた。「これでも、維心様はいいって言ってくださるのよ。だから、無理して神らしくしなくていいんだって思うんだもの。」
十六夜が、慌てて首を振った。
「おいおい、オレだってそのままでいいって思うから、こうして一緒に居るんだろうが。さ、拗ねてないで、侍女にコーヒーを入れてもらおう。」と、維月の肩を抱いて、蒼を見た。「じゃあな、蒼。ありがとうよ。礼だけ言おうと思ってここへ来たんだ。これ、もらってく。」
蒼は、頷いてまた椅子へと背を預けた。
「いいよ、オレはあんまりコーヒー飲まないし。じゃあね、十六夜、母さん。」
維月は、まだすっきりしない顔をしていたが、頷いた。
「またね、蒼。」
そうして、十六夜と維月はそこを出て行ったのだった。