決定
公青は、筆頭重臣の相良が転がるように自分の居間へと入って来るのを見た。隼と、軍神達の序列に付いて話をしていた所であったので、目の前には大きな書が広げられてあり、隼がそれを指差して何やら話している最中のことだった。
「お、お、王!しょ、書状が参りました!」
公青は、しかめっつらで答えた。
「書状など腐るほど来るであろうが。何を慌てておるのだ、主は。」
相良は、普通の物ではない、美しい塗りの文箱を差し出した。
「鷹の宮からでございまする!」
公青は、目を見開いた。鷹の宮と。昨日書状を送ったばかりで、もう戻って来たと申すか。ということは、断って参ったな。
「…ま、一度で首を縦に振ることはあるまいが。何度も送っておれば、そのうちに色よい返事ももらえるやもと思うて送れと申しただけよ。いよいよとなったら、我があちらへ直接に出向いてでも頼み込むつもりでおるゆえ、案じるでない。」
鵬明の求婚を、断ると言った公青に、相良は大変に反対していたのだ。なので、もう断って来たことに、ショックを受けているのだろうと思ったのだ。相良は、鷹の宮に嫁がせると公青が言うと、あちらは今、間違いなく大変な数の婚姻の打診を受けているので、今からでは遅い、気付いてももらえぬかもしれない、と大層案じていたのだ。
すると、相良はぶんぶんと首を振った。
「王、違うのでございます!これと共に、日取りなど決めるために我ら臣下は鷹の宮へ参るようにとの書状が参っておりまして…。」
公青は、顔色を変えた。隼も、事態を悟ったのか、慌てて公青に向き直った。
「王、とにかくは中身のご確認を。」
公青は頷いて、文箱を受け取るとその紐を解いた。まさか、承諾して来たのか。それにしても、早過ぎるのではないか。箔翔とは、宴の席で少し話しただけ。それも、邪魔が入って深く話すことも出来なかった。しかし、確かに箔翔は、公青のような血筋の良い皇女を娶りたいと言うておったのではないか。だがしかし、血筋の良い皇女など今の箔翔には引く手数多であろうに、なぜに結蘭か。
公青の頭の中は、いろいろなことがぐるぐると回っていて、まとまらなかった。しかし、大変に良い紙に美しい文字で綴られたそれは、確かに婚姻の承諾の、決められた文面だった。
公青は何度もそれを読み返してから、間違いないのだと確信して、顔を上げた。相良が、ゴクリと唾を飲み込む。公青は、頷いた。
「結蘭を娶ると、箔翔殿が言うて参った。ついては日取りを決めたいので、そちらの臣下にもこちらへ寄越してくれるよう、書状を遣わせる、と。」
相良は、今すぐにでも失神してしまうのではないかという顔をした。そして、懐から折りたたまれた紙を出した。
「はい、それがこれでございまする!あの、それでは、我らは鷹と縁続きに…?」
公青は、まだ信じられない気持ちで頷いた。
「そのようよ。しかし…もしかして、何人かまとめて選んで一度に宮へ入れるつもりなのでは。」
相良が、ハッとしたように瞬きした。確かにそうだ…たくさんの話が来て、面倒になってとにかく血筋で何人か決め、宮へ入ってから王が後で選ぶとかよくあることだった。
「…仮にそうだとしても、鷹の宮の競争率の高さは我が知っておりまする。何十件が一度に来ておるでしょうに、結蘭様が選出されただけでも大変なこと。後は、あちらへ入ってしまえば、結蘭様のお美しさなら、すぐに正妃候補におなりでしょう。」
公青は、纏め売りにされたかと思うと面白くなかったが、それでも相良の言うことは最もだった。何より、結蘭が箔翔に嫁ぎたいと暗に匂わせておるのだから、後はあれの努力次第ということか。
公青は、立ち上がった。
「すぐに、結蘭に持たせる着物を仕立てさせよ!調度も新しく設えさせよ!主らも、早よう鷹の宮へ飛び、入る日取りはどこよりも早く決めて参るのだ!他に遅れをとってはならぬ!」
途端に、全ての業務は後回しになり、軍神達まで一緒になって、結蘭の嫁入り準備を急ピッチで進め始めた。
公青の宮は、今まであちらの神世とは隔絶されて交流して来なかったとはいえ、西を制圧した大きな宮。他、小さな公青に準じている神達の小さな宮々では、公青のたった一人の妹が嫁ぐのだと大挙して祝いに駆けつけるなど大騒ぎになったのだった。
維心と維月は、龍の宮へと到着していた。
出迎えに出た将維、維明、そして兆加他臣下達は、皆一様に固い表情をしていた…何しろ、まだ龍玉がどうやって宝物庫を出たのか、何も知らされていなかった。しかし、維心は機嫌良く維月の手を取ると、輿を降りて頭を下げる皆の前へと進み出た。
「出迎えご苦労であるの、将維、維明よ。留守中、変わりなかったか?」
将維が、ためらいがちに頭を上げた。そして、維月をちらと見ながら、また頭を下げた。
「は…父上。」
維明も、兆加も余計なことは言うまいと黙っている。維心は、維月を見た。
「そうそう…維月が言いたいことがあるそうな。」
その場に居る皆が、途端に緊張して身を固くした…何を言われるのか。
しかし、維月は申し訳なさげに言った。
「本当に、此度は私のせいで皆にご迷惑を掛けてしまったわ。長く王妃をしておると言うて、宮の中でもまだ知らぬことがあることを、身に沁みて知ったこと。あの、私は王の宝物というものを、見たこともなくて。」
皆が、きょとんとした顔をした。だからなんだろう。
しかし、維心が苦笑して維月の肩を抱いた。
「仕方がないの。我もわざわざそんなものを案内することもなかったゆえ。」
維月は維心を見上げた。
「ですが、いくら知らぬとは申せ、ひと月前のあの時に、求められたからと奥の宝物庫へ入って龍玉を持ち出すとは。そうして、それが龍玉だと知らぬとは。王妃として、いかがなものでございましょう。申し訳なく思いまする。」
維心は、維月の頭を撫でた。
「仕方がないよの。月は我の結界などない様に抜けてしまうゆえ。主のせいではないぞ。いくら忙しいからと、王妃を立ち働かせている臣下どもが悪いのだ。」と、兆加を見た。「兆加、宮がごった返すほど、客を受け入れるとはどういうことぞ。入宮制限せよと常、申しておるだろうが。だから維月まで出て参ることになり、このようなことになるのだ。」
兆加は、何がなんだか分からず、ただ頭を下げた。確かに、最近では一日で済ませようとたくさんの神を一度に受け入れて、一気に処理することが多かった。皆で一斉に対応するので、自分が逐一全ての来客を管理しているのではない。ほとんどは、臣下達と侍女達で横一列に並んで、列に並んだ神達に片っ端から援助の品を渡すという形でこなしていたのだ。
しかし、奥の宝物庫には王の結界が張ってあるので、問題ないと思っていた。しかし確かに、維月ならば入れる。何しろ、月はどんな結界にも掛からないからだ。
兆加はそこに思い至って、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませぬ!我が、宮の政務をどうにかして減らそうと、日にちを縮めるためにしたことが、そのようなことに…。」
維月が、慌てて兆加を庇った。
「まあ維心様。私が勝手に参ってしておっただけでございまするわ。そこを、どこかの賊に付けこまれて、まんまとあのように大切なものを持ち出してしもうて…。私が悪いのでございます。」
じっと聞いていた将維は、維月を見つめた。
「つまりは、主があれを持ち出したのか。ひと月前に?」
維月は、頷いた。
「ええ。初老の神が、横から私に話しかけて参ったの。とても急いでいるようだったから、こっそり先に見てやったのだけれど…まさか、それが賊であったなんて。」
将維は、頷いた。
「ならば、あれは真実ではないの。100年ほど前に、父が生まれ来る我が子にとその母に託したのだと聞いた。しかし、龍玉はひと月前は、確かに宝物庫にあったのだと、王妃が見ているのだからの。」
居並ぶ臣下達はざわざわと顔を見合わせた。では、やはりあれは王のお子ではないのか。
維心は、一歩進み出て言った。
「とにかくは、その軍神に会おうぞ。確かに気が大きいのならば、我でなくとも他の王の子である率が高い。何か取り違いがあったのやもしれぬ。」と、将維を見た。「我を案内せよ。」
将維は、頭を下げた。
「こちらへ。」
そうして、維心と維月は将維と維明と共に、奥宮へと向かった。
維心は、やっと解放されたような心地になり、ホッとしていた。




