寄り道
維心は、義心と別れてすぐ、また維月が寝ているのを確認してから、炎嘉の部屋へと飛んだ。炎嘉なら、こういう時の対処の仕方にも詳しいと思ったのだ。
維心が、全く遠慮の欠片もなく炎嘉の寝室に飛び込むと、炎嘉が突然に寝台から飛び起きた。そして、維心を見ると、険しい顔をしていたのを緩めてまた寝台へと沈んだ。
「何だ主か。朝っぱらから押しかけるとは育ちの良い王とは思えぬの。」
維心は、明らかに起きてはいたのに寝台でゴロゴロしていたらしい炎嘉に、切迫した声で言った。
「炎嘉、戯れておる場合ではないのだ!今日、主の宮へ行くからの。」
炎嘉は、また弾かれたように起き上がって維心を見た。
「なに?何を言うておるのだ。滅多に己から出かけて来ぬ主が、しかも急に。」
維心は、必死だった。とにかくは、炎嘉に何とかしてもらわないことにはどうにもならない。
「あの、例の軍神が居ったであろう。あれが、我の子だとか言うて、龍玉を持って来おったらしいのだ!」
炎嘉は、目を丸くした。もちろん、炎嘉も維心から龍の宮での催しで、誰かが何かを仕掛けて来るようだという話を聞いていた。だが、それが維心の息子?
「…主、隠れて何をしておるのだ。」
維心はぶんぶんと首を振った。
「何もしておらぬ!我は絶対に維月以外になど手を付けたことはない。天地に誓ってない!」
炎嘉は、ふっと息をついて維心を見た。
「まあ、男は皆そう言うものよな。我も前世何度そう言って正妃の機嫌を取ったことか。だがの、大概は魔が差したとかで己の子であったりするのだ。戻って見て参れ。龍玉まで与えたのであろうが。」
維心はどうやったら信じてもらえるのかと炎嘉を見た。
「龍玉は持ち出されたのだ。我が与えたのではないわ。」と、ふと思い出して続けた。「そうよ!ほんの数日前に、あれが何の役に立つのかと話しておったところではないか。あれを持ち出して、まして己の子に与えておったなら、我はあのように平静に維月の前で話など出来ると思うか。」
炎嘉は、その時のことを思い出したようだ。そして、維心に向き直って真面目な顔で言った。
「確かに主は、維月のことに関してはすぐに顔に出る。では、誠主の子ではないのだな?」
維心は、大きく頷いた。
「違う。何しろ我の身が、維月以外とそんなことが出来る状態にならぬから。」
炎嘉は、ため息をつくと、寝台から立ち上がった。
「それはそれで問題かもしれぬが、しかしまあ維月を正妃にしておるのだから良いか。それよりも、このままではその正妃が本気で出て行く危機に晒されておるの。我は前世覚えておるが、維月は身を隠しておって、探すのに苦労したのだ。」
維心は、急に暗く沈んだ顔になった。あの時、死んだ方がましだと思った。もう、維月に愛想を尽かされてしまって、戻っては来ないと絶望して…。
炎嘉は、維心が急に今すぐにでも思いつめてどうにかなるのではないかという顔になったので、慌てて維心の肩に手を置いて言った。
「維心、思いつめるでないぞ。大丈夫ぞ、我が宮へ来い。とにかくはそんなことになっておる真相を突き止めなければならぬ。維月には、どうにでも言おうぞ。なに、我がどうにでも言いくるめてやるゆえ。」
維心は頷きながらも、まだドスンと落ち込んだ表情のままだった。炎嘉は、そんな維心の肩に手を置いたまま、促した。
「さあ維心、維月に不審に思われてしまうぞ。我がついておる。そのような顔をしておってはならぬ。とにかくは、戸惑っておるのは分かるが、戻るのだ。くれぐれも、平静を装うのだぞ?わかったの?」
維心は、頷いた。何しろ、炎嘉は困っている者を見ると放って置けないタチだった。その上、維心は普段が普段なだけに、こうして頼られるとどうにかしてやらねばと思ってしまう。
なんだかんだ言っても、やはり二人は親友なのだった。
維明は、そんな父の気持ちも知らず、今や客として扱われて宮に滞在している帝羽を訪ねて行っていた。
あの立ち合いの時も、言葉を交わすこともなかったし、それから後は、それどころではなかったからだ。
維明が、客間へと入って行くと、帝羽は部屋の中には居なかった。そして、維明が窓際へと歩み寄ると、帝羽は下賜された着物を着て、庭でじっと立っていた。その姿が、何か自分に通じるところもあるような気がして、維明は大きな掃き出し窓を開いて、外へと足を踏み出した。
すると、帝羽は振り返った。
「…維明殿。」
帝羽は、慌てて膝をつこうとした。しかし、維明は首を振った。
「良い。帝羽殿…話がしたくて参ったのだ。」
帝羽は、驚いたように維明を見た。
「しかし…我は、立ち合いに集中するあまり、あのようにとどめを刺そうとしたのに。」
維明は、苦笑した。
「それだけ、本気であったということであろう。お祖父様もそのようにおっしゃっておった。我は気にしておらぬよ。訓練場では珍しいことではない。」
帝羽は、じっと維明を見た。
「維明殿…。」
維明は、帝羽に並んだ。
「庭を見ておったのか?」
帝羽は、頷いた。
「これほどに綺麗に刈り込まれた森を見るのが初めてだと侍従に言うたら、これは森ではなく庭であるのだと教わった。庭とは、もっと小さく見渡せるものだと思うておったのに…ここは、とても見渡すことなど出来ぬ。」
維明は、驚いた。そうか、育った環境が違うから…。
「主は、どのようにして育ったのだ。」
帝羽は、維明を見た。
「ここから北へ少しの場所の小さな屋敷で、気が付くと母と二人、暮らしておった。母は、大変に美しい龍であったのを覚えておる。しかし、病がちでの。よく男が訪ねて来ておったが、その男はいつも生活に必要なものだけ置いては帰って行った。小さな頃、それが父かと思うておったが、母は違うと言った。父は、身分の高いかただったとだけ言って、悲しげに笑っていた。後に物を持って来ておったその男は、側の宮の軍神で、我らを不憫に思って世話をしてくれていただけだったと知った。」
維明は、黙ってそれを聞いていた。帝羽は、視線を前の庭へと移して、続けた。
「我が10ぐらいの時、母は亡くなった。我はまだ幼かったゆえ、どうしたら良いのか分からないまま、その軍神に連れられてその宮へ行った。ここに比べてもかなり小さな宮だったが、子供だった我は、とにかくそこで生きるよりないと思った。なので教えられるまま、軍神として戦う術を学んでは、あの辺りによく出没する賊を討伐して回ったのだ。そして気がつくと、このような歳まで戦うばかりの生活だった。」
維明は、自分とはあまりにも違う生き方に驚いていた。自分は、戦うばかりではなかった。生きるために戦っていた帝羽に比べて、自分の剣術とはなんだ。所詮、訓練場の中でしか使ってはいないものだったではないか。
「…ならば、負けて然るべきであったの。」維明は、帝羽に言った。「我はまだまだ甘い。実際の戦場や修羅場など、まだ経験したことがないゆえ。」
帝羽は、少し驚いたように維明を見た。てっきり、わがままに育てられた皇子かと思うたのに。
「主らのように、きちんとした型など知らぬだけぞ。我は、まだまだだと思うておる…が、我は、この通りなぜか生まれつき、回りの軍神達より突出して気が大きく強いことを気にしていた。母はついに最期まで父の名を口にしなかった。身分の高いかたとは、いったい誰なのだろうかと。」と、維明に一歩近付いた。「我は、別に今更に皇子になりたいなどと思うたのではないのだ。ただ、父上が居るのなら、会ってみたいと思うたまで。その思いを知った我を世話してくれておった軍神が、ならばとあの宝物を我に渡した…あれは、父が生まれ来る我が子にと、母に預けておった物だという。それを、母が軍神に託しておったのだそうだ。軍神はそれがどこの何かは知らぬが、調べてみれば父親が分かるだろうと教えてくれたのだ。それで…そこを出て参った。そして、采殿に仕官したのだ。采殿は、大変に良い王だった。我は、とても感謝して居る。」
維明は、頷いた。確かに、采は穏やかで優しい王だった。
「采殿のことは、我もそのように。大変に良い王よ。序列も低くはないしの。」
帝羽は、空を見上げた。
「采殿は、我にいろいろと書物を見せてくださった。我は、その中から調べて、すぐに分かった…我が手にしていた宝物は、大変に有名なものだったからだ。龍族の王に伝わる宝玉…龍玉なのだと。」そして、下を向いた。「しかし、今にして考えたら、おかしいのだ。我は父上にお会いして、あの宝玉のことを聞いて頂きたいばかりに必死に仕合った。その頂点に立たねば、目通り叶わぬと聞いておったし…だが、肝心の父上は、ここには居られぬ。何しろ、王は皆鷹の宮へ出かけておるのだから。」
維明は、頷いた。
「確かにの。しかし、采殿は何も知らぬのであろう?」
帝羽は、頷いた。
「知らぬ。しかし、我の出て来た宮の軍神には話したのだ。龍玉のようだが、どうしたらいいのだろうと。」
維明は、首をかしげた。
「そうか、それが親代わりのようなものであるものな。それで?」
帝羽は、ため息をついた。
「龍の宮で行なわれる催しに出てはどうかと言われた。采殿の序列は高いし、采殿に頼めば恐らく出してもらえるだろうと。それで、頂点に立てば必ずや龍王と目通り叶うと。しかしあの時点で、もう鷹王の即位式のことは知れ渡っておったはずなのに。結果、将維様にお目通り出来、ああして話を聞いていただくことは出来たのだが、しかしそこだけが解せぬのだ。」
維明は、そんな帝羽の横顔を見つめた。似ているような、似ておらぬような…。しかし、この大きな気といい、若いのに思慮深い様といい、確かに王の血筋ではないかと思わせる。まだ、成人もしていないというのに…。
「我は、兄弟であったなら良いと思うぞ。」維明が言うと、帝羽はまた驚いた顔をした。維明は、はにかんで微笑んだ。「我には兄弟が居らぬから。母上がどうおっしゃるかは分からぬが、それでも我にとり嬉しいことよ。父上のお戻りが、楽しみであるの。」
帝羽は、その維明の真っ直ぐで曇りも濁りもない気と瞳に、戸惑っていた。そうか、幸福に育った、しかし決して甘やかされたのではない、皇子なのか…。
気がつくと、帝羽も維明に微笑み返していた。
それを、将維が見ていたことを、二人共知らなかった。




