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月の宮にて

蒼は、式から帰って来た緑青の訪問を受けていた。緑青は、いつまで経っても変わらない蒼とは違い、もう初老の域に達していたが、それでも話好きなのは変わらなかった。

「大層なお式であった。」緑青は、蒼の前の椅子に座って言った。「鷹の宮は、美しいものよ。初めて参ったがの。」

蒼は、頷いた。

「オレは行ったことがないんだが、母がそのように。そうか、では、箔翔は無事に王座に就いたのだな。」

こうして、若い頃から知っている王が増えて行くのだなと、蒼は思っていた。前世長命だった維心が、誰のことも呼び捨てにするのを聞いて来たが、赤子の時から知っているのだから、そうなるだろう。

緑青は、頷いた。

「美しい若者よな、箔翔殿は。末楽しみなことよ。」

機嫌良く微笑んでいる緑青に、蒼は心を痛めた。オレは自分の庇護している王達を、皆完全に調べ上げねばならぬのか。何があったか知らないが、そんなことはして来なかったししたいとは思わなかったのに。

しかし、これも月の宮の王の責務。蒼は重い口を開いた。

「…ところで、輝重にはもう知らせたのだが、この度我が宮の回りを徹底して調べる事になっての。」

緑青は、驚いたように蒼を見た。蒼は、続けた。

「我が宮に、侵攻して参ったであろう?あれから、龍の宮からも側に置く宮について、完全に把握するようにと求めがあった。」

緑青は、蒼を見つめた。

「それは…我らが主に仇なすのではと?」

蒼は、首を振った。

「そうではない。主だけでなく、主をたどって来るような輩を案じておるのだ。つまりはの、主の交友関係や、最近に出掛けた場所などを把握する事になったのだ。」

緑青は、険しい顔をした。

「…つまりは、臣下よろしく全て報告せよということか。それをせねば、今供給されている月の宮の気は、止められるのであろう?」

蒼は、仕方なく頷いた。そうするよりなかったからだ。

しばらく口を結んで蒼を睨んでいた緑青は、不意に立ち上がった。

「輝重は、すんなり承知したろうの。あれの気性ではそうよ。」

蒼は、また頷いた。

「何事も、おっしゃるように、とな。まるで臣下ぞ。だが、オレはそんなつもりではない。」

「同じことではないか!」

緑青は叫んで蒼に背を向けたが、出て行く寸前で立ち止まった。そして、頭だけ少し振り返ると、絞り出すように言った。

「…時間を頂きたい。臣下達に、話を。」

蒼は、その気持ちが痛いほどわかった。王として、他の王の支配下に下るようなことには、我慢ならないだろう。しかし、月の宮の庇護が無くなれば、一族は路頭に迷う。王としての誇りと、臣下の未来との間で、板挟みになっているのだ。

蒼は、黙って頷いた。緑青は、そのままそこを出て行った。

蒼はただ、居た堪れなかった。そしてそれは、力を持つ王なら誰もが感じたことのある感情だった。


結局、義心は夜にはどうしても維月無しで話すことが出来ないのを気取り、通常通り夜明けに維心の部屋へと飛んでいた。維心は、義心を見て言った。

「義蓮が来ておったの。昨夜来るかと思うた。」

義心は、首を振った。

「将維様からの、至急のお話でございましたが、昨夜は機が悪く。」

維心はそれを聞いて、維月に知られてはならないことなのだと一瞬で悟った。ちらと奥の方に視線を走らせてから、窓に手を掛けた。

「場を変える。」

義心はひとつ、頷くと、維心について庭へと音もなく飛んで行った。


まだ、空は白んで来たばかりだった。その薄闇の中、維心が先に立って、義心を促した。

「して、将維は何と?」

義心は、顔を上げた。

「昨夜義蓮からことの次第を聞き申し、しかし王には目通り叶わぬ状態でございましたので、急ぎ宮へと戻って詳細を聞いて参りました。帝羽様でございまするが、王が思っていらした思惑で宮へ参ったのではないようでありました。」

維心は、片眉を上げた。義心が、帝羽に敬称を付けたからだ。

「…その実、どこかの皇子であったとか?」

義心は、下を向いた。

「はい…いえ、まだ確認出来た訳ではありませぬ。しかし、宮の方では調べを進め、証拠の品として父より与えられたという宝物も持っており、その100年程前の時期、王がその近くに滞在した記録も残っており…後は、本人のご確認を待つばかりかと。」

維心は、ふっと軽く息をついた。

「ならば間違いあるまいな。宝物を与えるのであれば、後にその子を引き取ろうという意思であろうし、父親とも連絡が取れよう。しかし、本人に悪気はなくとも、その背後を調べねばならぬぞ、義心。北を徹底的に調べさせよ。」

義心は、頭を下げた。

「は。それは、将維様が既に指示なされて進んでおるところでございます。」

維心は、頷いて義心を見た。

「それで、父親には確認はいつ取るのだ。」

義心は、また下を向いた。どうしたらいい…王は、忘れておられるのか。それとも、その実あれはお子ではないのか。

維心は、答えを待っている。悩んでいても仕方がないので、義心は思い切ったように顔を上げた。そして、言った。

「王…その宝物というのが、龍玉でございます。」

維心は、絶句した。というよりも、しばらく意味が分からないようだったが、頭にその意味が浸透したかと思うと、見る見る鬼の形相になった。

「何を言うておる!我の身に覚えなどないわ!」

義心は、慌てて頭を下げ直した。

「王!お声が高うございます!」維心が、ハッとしたように口をつぐんだ。義心は、続けた。「皆、最初は信じておりませんでした。ですが、宝物庫からは荒らされた様子もなく、綺麗に龍玉だけが持ち出された形になっており、将維様にも確かに本物と確認され申した。後は、王ご自身のご確認しか確認する方法がないのでございます。」

維心は、胸を締め付けられるような心地がした。維月がこれを知ったら、どれほどに取り乱して大騒ぎになることか。自分に覚えなど全くないが、それでもこれだけ状況証拠が揃っているのだ。違うと言っても、きちんと証明しなければ誰も信じないだろう。

維心は、やっとという風に口を開いた。

「…ゆえに、主らは昨日我に会いにこなんだのだな。」

義心は、下を向いたまま、頷いた。

「は…。何分、維月様のご気性は存じておりまするので…。」

維心は、頷いた。このままでは、本当に大変なことになる。しかし、宮に居る以上維月を連れて戻れば、維月が気取らぬはずがない。絶対に我の子ではないと今見ていなくても言い切れるが、それでもどこまでそれを信じてくれるものか…。

維心は、とにかく今出来ることをしようと思った。

「主は先に戻れ。我も本日は戻ることになるが、しかし炎嘉にどうにか言ってあちらを訪問してから帰ることにする。主はその間に、誰が龍玉を持ち出したのか調べよ。将維に申せば残留思念などを読めるはず。宝物庫に入れるのは、我が許した者しかおらぬし…破るとなると、我の力を凌がねばならぬ。そのようなことが出来る者は少ない。とにかくは、調べ上げて何としても犯人を捜し出すのだ。」

義心は、サッと頭を下げた。

「は!」

義心は、飛び立って行った。維心は、それを見送りながら、よく維月を連れて来ていたものだとホッとしていた…宮に居たら、知らないでいられる騒ぎではないだろう。しかしどこの誰が、自分の結界を破って宝物庫にまで入れたというのか。本当に、我には維月の他に手を出した覚えなどない…!

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