面倒
緑青は、帰り支度をしていた。
緑青の宮は鶴の宮で、神世の上位から数えて三つ目、つまり月の宮ランクBだった。この序列の宮は、明日発つことになっていたのだ。友にも挨拶を済ませて、自分に割り当てられた客間へと向かっていると、そこへ続く回廊の前で、鵬明が立って待っているのが目に入った。鵬明の宮とは序列が同じなので、鵬明も明日発つはず。
緑青は、笑って急ぎ足で鵬明の方へと歩いた。
「おお鵬明!わざわざ来てくれたのか。主の部屋へ行っても、居らなんだゆえ。後で宮へ訪ねれば良いかと思うて戻って来たところであった。」
鵬明は、微笑んだ。
「友に来てもらうにもと思うたから己から来たのに。もう訪ねてくれておったのか。」
緑青は、頷いて戸を示した。
「入るが良いぞ。話そう。」
緑青が戸を開いて先に入ろうとしても、鵬明は動かない。緑青は振り返った。
「どうした?」
鵬明は、じっと緑青を見つめていたが、急に思いつめたような目をした。緑青は驚いて、鵬明の方へ一歩踏み出した。
「鵬明?」
鵬明は、しばらくそのまま黙って緑青のことを見つめていた。緑青が何事かと言葉を出せずにいると、そのうちにフッと表情を緩めた。
「いや…お互い、歳を取った。」
緑青は、突然にそんなことを言う鵬明に、呆気に取られた顔をしたが、それでも答えた。
「歳?いや…まだまだぞ。我らまだ、500歳を過ぎたところではないか。死ぬまで王ではなかったのか?」
鵬明は、頷いた。
「ああ、もちろん、我は死ぬまで王ぞ。」そして、くるりと踵を返した。「ではの、緑青。」
緑青は、慌てて鵬明の背に叫んだ。
「鵬明!なんだ、もう戻るのか?」
鵬明は、少し先まで歩いたところで、振り返った。
「ああ。またの!」
鵬明は、歩き去って行った。
緑青は、その背に何か寂しさや悲しさを一瞬感じたように思ったが、どうせまたすぐに会う、と、鵬明を見送ったのだった。
その頃、龍の宮では将維と維明、それに義蓮、兆加、他重臣達が集まっていた。集まっていると言って、将維の居間なので、他の臣下達までこの集まりには気付いてはいない。帝羽は、牢より出されて一般の客室へと案内されていた。兆加が、重苦しい口調で言った。
「将維様、我ら重臣、王の宝物庫へと参り、品々を確認をして参りました。それぞれは個々の呪が掛かった厨子に入れられて保管されておりまするが、龍玉を収めた厨子だけが、紛失いたしておりました。」
重臣達は、一斉に頭を下げる。将維は、険しい顔をした。
「…では、やはりあれは龍玉か。我は、手にした瞬間波動を読んで分かったが、しかしもしや兄弟玉などが存在したのかと思うたのだ。」
義蓮が、頭を下げた。
「入り口に破られたような形跡はございません。その他周辺に荒らされた形跡はございませんでした。並んである鏡、中は空でありまするが龍王刀の入れられる厨子、全くの手付かずでございます。」
将維は、頷いた。
「つまりは、入れる誰かが玉だけを持ち出したということか。」
兆加も、他の重臣達も神妙な顔で頷いた。
「我ら、帝羽様のお話からご出生の頃居られた場所、お歳に換算して王の行幸がなかったか調べたところ、確かに、王はその年の初めに北へ出られておりまする。そして、三日の間あの土地の王の宮へ滞在なさり、こちらへお戻りに。」
維明は下を向いた。将維はますます眉を寄せて言った。
「しかし、帝羽から父上の気を感じ取ることが出来なんだ。目の色も、我ら龍の王族に伝わるこの色ではない。確かに風貌は…似ていなくもないが。」
兆加が、将維を見上げて言った。
「真にお子か否かは、王ご自身でなければ気取れないこと。長い龍王の歴史の中で、似ておらぬお子も確かに居り申したと記録にございまする。母方の血が強く出た場合でありまするが、稀にあったのでございます。ですが、王座に就くのはより王の血が濃い気が強い龍。ですので、皆様その深い青色の瞳であられるのです。」
将維は、ため息をついた。では、あれが子かどうかは父上にしか分からぬと。
「困ったもの…とにかくは、ことは公にしてはならぬ。帝羽にも重々申しておいたが、真実が明らかになるまでは皆口外無用ぞ。」将維は、これから起こるであろうごたごたに今から頭が痛かった。なので、額に手を置いてこめかみを指で押さえるような仕草をした。「頭の痛いことよ。他から母上のお耳に入ってしまわぬように、どれほどに気遣わねばならぬことか。我は前世の騒ぎを知っておるからの。出て行った母を探すのにどれほど大変であったことか。」
兆加が、大きく深く頷いた。
「我も覚えておりまする、将維様。あの折は、洪も存命であって…誤解であることが分かるまで、それは大変でございましたから。」
将維は、兆加を見た。
「先に父上に知らせを。母上の居らぬ所で父上に接触出来るよう対処できるのは誰か。」
義蓮が、進み出た。
「我が。」
将維は、頷いた。
「では、主に命じる。鷹の宮へ参り、この事を父上に。くれぐれも母上に気取らぬようにの。」
義蓮は、頭を下げた。
「は!」
そして、暗くなった空に飛び立って行った。それを見送りながら、黙って聞いていた維明は思っていた…自分には、兄弟が居るかもしれないのだ。もしかして、帝羽は、弟なのかも…。
うんざりと椅子にもたれかかる将維の横で、維明は
期待にも似た気持ちを押さえられなかった。
義蓮は、鷹の宮に到着して中を伺った。維心は、例に漏れず維月と並んで貴賓室の椅子に座って、何かを話す維月の声に耳を傾けている。義蓮は迷ったが、父の義心を探そうと踵を返した。
「…何ぞ?」
義蓮は、びっくりして宙でふらついた。振り返ったそこに、いきなり何の気配もさせずに父が浮いていたからだ。義心は、その様子に苦笑した。
「義蓮、気配だけが居場所を知る方法ではないと教えたであろうが。気配は慣れたものなら完全に消せる。主のようにそのままでここへ来れば、王だとてあのように他を見ておられても気取られておるであろうよ。して、何用か?」
義蓮は、慌てて宙で膝を着いた。
「父上、将維様からの命により、参りましてございます。あちらでお話を。」
義心は、将維がわざわざ義蓮を送って来る何があったのかと思ったが、頷いた。
「こちらへ。我の宿舎ならば大丈夫ぞ。」
義蓮は頷いて、義心についてそちらへと向かった。
義心の宿舎は、大きなものだった。やはり龍の宮筆頭となると、どこの宮でも優遇されるのだ。
どこの軍神でもやるように、義心はそこに自分の結界を張っていた。これでは義心以下の力のものには中の物音を聞き取ることは出来ないだろう。
義心は、そこの椅子に座って、義蓮にも前の椅子を指した。
「座るが良い。して、何か?もしかして、帝羽という軍神のことか?」
義蓮は、驚いたように義心を見た。知っておられるのか。
「はい。父上はご存知であられまするか?」
義心は頷いた。
「王が、そのように。この時期に王と我が宮を離れ、そうしてそこで催しがあるとなれば、何かを仕掛けようとしている者にとっては絶好の機。必ずや何かを送り込んで参るだろうと、事前に我に調べさせておられたのだ。その中で、あの軍神だけが突出した力を持っていた。しかも、世襲である軍神であるのに、どこの血筋にも繋がらぬ、得体の知れない輩。誰でも怪しいと見る。」
義蓮は、ずいと父親に顔を近付けた。義心は驚いた…義蓮が、あまりに真剣な顔をしていたからだ。
「父上。その帝羽殿、いえ帝羽様、龍玉を持ち、それが父から贈られたものであると将維様に示されたのでございます。」
義心は、仰天した。龍玉…龍王に受け継がれる宝物のひとつではないか!
「そ、それは…真実、龍玉であったのか?兄弟玉とかいうものではなく?」
義蓮は、頷いた。
「はい。宮の宝物庫からは荒さらた様子もなく、ただ龍玉だけが忽然と消えており申した。」
義心は、それでも信じられなかった。あの王が、どこかで…だが、確かに転生されて前世とは違ったところもある。ならば、あり得ることなのか。
「しかし、我も姿を確認したが、姿は似ていなくもなかったが、瞳の色が違った。あれは龍王に受け継がれる…」
義心はそこまで話して、ハッとした。確かに龍王には受け継がれるが、子、全てに受け継がれると言われておるのではない。義蓮は、頷いた。
「兆加殿によると、稀に母に似るお子も居るのだと。ただ、王になるのは王の血を強く継いだ者であるので、皆あの瞳の色なのだとか。更に、帝羽様のご年齢100数年から換算した時に、王は確かに北にある他の王の宮に三日ほど滞在されておるのだとか。真実は、王にしか気取る事は出来ないとのことでしたが、宮の方では確かな証拠を揃えられたような形になっておりまする。なので、急ぎ維月様に気取られぬように、王のお耳にこれを…と。」
義心は、まだ驚いたままだった。まさか王のお子がここで現れるとは。これはしかし、維月様には絶対に知られてはならない。100年前というと、もう今生で維月様とご婚姻された後のこと。大変な事になる。
義心は義蓮にそこで待つようにと言い、急いで維心の元へと飛んだのだった。




