水面下
蒼は、月の宮で義心から話を聞いて、考え込んでいた。
今回の即位の式には、神世に関与しないと宣言した後なのに、出てはおかしかろうと維心からも炎嘉からも言われて、蒼は辞退し、祝いの書状だけを送っていた。もしかして、このために…?
蒼は、何も知らされていないのに、指示だけ来るのに苛々していた。あまり神世に踏み込まないようにと、維心達が考えているのは分かる。だが、何が起こっているのかぐらいは教えてくれてもいいではないか。
それでも、蒼は答えた。
「…承知したと答えてくれ。」
義心は、蒼に頭を下げた。
「は!」
そして、義心は出て行った。蒼は険しい顔をした…いったい何があったというのだ。そんなことをして、もしも失われる命が出たらどうする。
蒼は、見えない神世に憤りを隠せなかった。
維明は、もうかれこれ一時間は帝羽と立ち合っていた。
帝羽は、普通の軍神ではなかった。間違いなく、王である采より力のある軍神。いや、これは誰と立ち合った時の感覚か。義心?炎嘉?…気を抜くと、簡単に太刀が入ってしまうだろう。
しかし、維明には維心から譲り受けた体力があった。まだまだ敵わないとはいえ、普通の神では太刀打ち出来るものではない。本来なら、長期戦になった時点で普通の軍神などでは相手にならないはずだった。
しかし、帝羽は違った。
「…これでは、維明様に不利に。」義蓮が、その立ち合いを見つめながら呟いた。「あの帝羽とかいう軍神、かなりの場数を踏んでおる。」
側に控える軍神が、義蓮を見上げた。
「我らには見えぬ速さでありまする。その実、どちらかの皇子なのではと思わせる気の大きさ。もちろん、維明様は龍王のお血筋で、敵うもののない気であられまするが。」
義蓮は、眉を寄せた。
「これは気を使うのではないからの。技術ぞ。長くなると、体力が同じならば、場数がものをいう。我が父上が、そのように申しておった。」
義蓮が見上げるその先では、まだ維明と帝羽は立ち合っていた。維明は、息こそ切れてはいなかったが、自分の手数が減っているのは分かっていた。それは、これだけ長時間立ち合うと、同じような型で切り込むことが多くなり、相手に読まれてしまうからだ。読まれるのが分かっている手は、使わないのが鉄則で、しかし長時間立ち合った経験が少ない維明には、これ以上の手が残されていなかった。つまりは、まだやったこともないような手を使って、この同じレベルの神に切り込んでいかねばならないということ。
これはただの立ち合いであるが、実際の戦場ではそんなことばかりなのだと、義心から聞いて知っていた。生きるか死ぬかは、その間合いと思い切りに懸かっているのだ。
維明は、イチかバチか、一度見たことのある、父の型の一つを真似ようと決心した。あまりの速さに自分にはまだ無理だとやって来なかった型。
「…!!」
相手は、維明の動きに一瞬目を細めたが、それでもまた、落ち着いて太刀を返した。
「速さが足りぬ。」
維明の耳に、帝羽の小さく呟く声が聞こえた。と思った途端、一瞬のうちに維明の刀が宙を舞った。
「皇子!」
義蓮が叫ぶ。維明は、驚くほど冷静な自分をそこに見た。刀を追って身を翻すと、柄を掴んだ。しかし、それでは遅い。
これで勝敗は決したのだと、誰もが思った。だが、帝羽は維明を追って更にその刀を叩き落とすと、刀を振り上げた。
「止め!勝敗は決しました!」
審判を務めていた軍神が急いで叫ぶ。しかし、帝羽は刀を振り下ろした。
「!!」
維明は、その刀を左腕の甲冑で受けた。咄嗟に、甲冑だけでは受けきれないことを気取って、気の膜も張っていた…そのお蔭で、まともに帝羽の刀を受けたにも関わらず、腕は残った。
しかし、その反動で維明は地上へと仰向けに叩き付けられた。帝羽は、更にそれを追って刀を振り上げたまま飛び降りて行く。義蓮や龍の宮の軍神達が、慌てて飛んだ…が、帝羽はそこに居る誰よりも速かった。
維明は、帝羽が自分を殺しに掛かっているのだと本能的に悟り、気を放とうとした。
「間に合わぬわ。」
その直後、ギンッ!!という金属音が響き渡った。帝羽の声かと思ったが、それは聞き覚えのある声だった。
将維が、気楽な着物姿のまま、そこに立って帝羽の刀を受けていた。帝羽が、我に返ったように将維を見る。将維は、フッと頬を緩めた。
「そこまでしてこの遊びに勝ちたかったのは何ゆえぞ?」そして、刀を振り上げた。「まあ、後で聞くかの!」
帝羽は、慌てて受けようと刀を構えた。…しかし、将維が斬り込んだのは、その方向ではなかった。
「う…。」
帝羽は、どさりと倒れた。回りがざわざわとざわめいている。義蓮が来て、将維の前に膝を着いた。
「将維様。」
将維は、義蓮を見た。
「これは主では太刀打ち出来なんだであろうの。」と、将維に峰打ちされただけで倒れた帝羽を見た。「治癒の場へ運んでやるが良い。なに、少し気を込めただけであるから、死ぬことはないであろうが、念のための。」
維明が、自分の不甲斐なさを見せつけられたような気がして、恥じ入るように立ち上がって、将維に頭を下げている。将維は、ため息をついて苦笑し、言った。
「ま、主の歳にしてはようやったわ。父上はもう少し早いかと言うておられたが、主はよう踏ん張った方よ。戦場の経験もないのだからの。とにかくは、これでこの催しは終いぞ。また父上からお話があろうから、主にしては意味が分からぬだろうが、今はとにかく、場を収めよ。」
維明はただただ頭を下げ、そうして、ショックでうまく回らない頭のまま、勝者の発表と、閉会を宣言して、何とかその場を辞することが出来たのだった。
鷹の宮では、今度は昼の茶会に皆で出ていた。
朝の内に、下位の宮の王達は帰っていたので、今居るのは月の宮ランクで言うところのS、A、Bランクの宮の王まで。つまりは40人そこそこの王だけだった。維月は、この何のためにやっているか分からない茶会は苦手だった。女は黙っていなければならないし、妃を連れて来ている王は少ない。黙って、どこかしらの宮はなんだとか、どこの軍神は強いとか、そんな話を聞いていても、退屈なだけなのだ。
しかし、維心は茶碗を持つ反対の手でガッツリ維月の手を握っているので、とても抜け出せる状態ではなかった。仕方なく、維月はボーッと王達の話を聞いていた。
「しかし、最近殊に力のある軍神を召し抱えたとか聞いておるぞ。」炎嘉の声が言った。「あー、確か、采か?」
向こう側の椅子に腰掛ける、緑っぽい黒髪の王が頷いた。
「おお、炎嘉殿までご存知か?そう、あれは自慢の軍神ぞ。ここだけの話、我より大きな気を持っておるのに、身寄りが無いためどこの宮にも仕官出来ずに居たのだとか…なので、不憫であるしの。ならば、目立てば良いのだと、我の軍神として今、龍の宮の催しに行かせておるのだ。この式が無ければ、見に行っておった。」
維心が、興味深げに采を見た。
「ほう?ならば我も見てみたかったの。」
采は、大きく頷いた。
「はい。維心殿に見て頂こうと行かせたのに…ま、あれなら維明殿の目に留まって、仕官の道も開けておるやもしれぬが。」
炎嘉が、感心したように言った。
「なんだ、主はそれを己で使わぬのか。維心にやろうと?」
采は、笑って手を振った。
「ああ、我には無理ぞ。気が違い過ぎる…王の意味がないではないか。維心殿ならば、あれを有効に使えると思うたまで。しかし、義心が復職したのなら、序列が付くのは難しいやもな。」
采は、そう言うと茶を啜った。采は、昔から面倒見が良い、人が良すぎる王だった。炎嘉は、その様子をじっと見てから、ちらりと維心を見て、そして、大きく伸びをしたかと思うと続けた。
「あーあ、ならば我の宮にくれれば良かったものを。我が宮には、まだ軍神が少ないのだぞ?主も知っておろうが。」
采は、顔をしかめた。
「最初は我も、炎嘉殿の方が面倒見が良いし、精鋭揃いの龍の宮より序列も付きやすかろうと申したのだ。なのに、帝羽のヤツはどうあっても龍の宮が良いと申す。どうせなら、そこで力試しをしたいとな。ま、あれだけの技を持っておったら、そう思うのも分からぬでもないが。」
炎嘉が、嬉しそうに目を輝かせた。しかし、維月にはその光に偽りがあるように見えた…ほんの一瞬のことだったが。
「帝羽と申すのか、その軍神は。」と、維心を見た。「のう維心よ、主の所には義心が復職したことであるし、義蓮も居るし維明も居る。その軍神、我にくれぬか。」
維心は、あからさまに面倒そうな顔をした。
「我はどっちでもいいが、本人次第よの。しかし、我が宮は他からの仕官はあまり受けぬから。余程の力を持たぬ限り、どうせ我が宮には留まれぬであろうの。蒼の所か、炎嘉の所へ行くことになる率が高いの。」
炎嘉は、ふーっと息をついた。
「そうよな。龍が優秀であるから、他の神を招き入れる必要がないものの。しかし采、主はどこでそのような神を見つけたのだ。その辺に落ちておるなら、我は片っ端から拾いに行きたいもの。」
采と、その回りの神が笑った。采が答えた。
「いやあ炎嘉殿らしい。しかしあれは、見つけたのではないのだ。ええっと、どこであったか、大利?」
采は、後ろに控える自分の軍神に言った。大利は、答えた。
「はい。あれは宮の北、王が里をお見回りに出られた時に、王の前に出て参って膝を着いて頭を下げたのでありまする。」
采は、大げさに頷いた。
「おーおーそうであったわ。我が結界を物ともせずに入って参っておって、そこで我の前に現れたのだ。あまりに気が大きいので、最初は警戒したものの、あれは我に仕えたいと申したからの。それで、宮へ連れ帰ったのだった。聞けばいろいろと苦労をしておるようであるし、ならば我の筆頭軍神として龍の宮の催しへ、となった訳ぞ。それを聞いて、大変に喜んでおったゆえ、こちらも良いことをしたと思うた。」
大利は、頷いた。
「我らの稽古もつけてくれておりました。居らぬようになるのは、寂しい気も致しまする。」
采と大利は、頷き合っている。炎嘉と維心は、それを黙って見ていた。そして、炎嘉は呟いた。
「ふーん、北の…。」
維月は、経験から、炎嘉が見た目ほど軽い神ではないことを知っていた。何もなくて、あんなことを聞いたのではない。
ベールの中で、維月は落ち着かずに神の王達を見ていた。




