困ったこと
十六夜は、龍の宮を訪れていた。最初維心は、例に漏れず外出中で不在だったが、何度も来ているうちにやっとの事で捕まえることが出来た。最初に来てから、もう三日も経っていた。
「何ぞ、我も忙しいのだ。維月が里帰りしておるのではないのか。」
維心が言うのに、十六夜は側の椅子に腰掛けて、もう逃がすものかという構えで言った。
「お前な、維月をあっちへ帰してる間に、さくさく事を進めてるのは結構だが、三日も外泊してたことがバレたら、本当に疑われるぞ?いい加減にしてくれ。」
維心は、不機嫌にふんと鼻を鳴らした。
「帰したのではない、帰ったのだ。我は引き止めたぞ?維月が聞かなんだだけぞ。まあ、その方がこちらも都合た良かったゆえ、あれのことは主に任せて我は事を済ませようと動いておったがの。」
十六夜は、呻くように言った。
「維心…お前の余裕ってのはどこから来てる。今、そっちに必死だから気が立って維月のことまで気が回らないかもしれねぇが、その間に事態は困った方向へ行こうとしてるんだぞ?分かってるのか。」
維心の、気が立って薄っすらと光っていた目が、スッと落ち着いた色になった。
「何と申した?困った方向?」
十六夜は、息をついた。
「そうだ。親父だよ親父!」
維心は、途端に顔色をなくした。碧黎…忘れていた。いつも親子でいいなどと言っていたので、すっかりその気がなくなったものだと思っていたのに。
「あれが、維月を娶ると言い出したのか。」
十六夜は、首を振った。
「いいや。親父はあくまでいつでも余裕だ。維月がいいと言わなきゃ無理にどうの考えることなんかねぇ。」
維心は、ホッと肩の力を抜いた。
「ならば、何が悪いと申す。良いではないか、維月にとってあれは父でしかないのだから。」
十六夜は、恨みがましい表情で維心を上目遣いに見た。維心は、それを見て急に不安になった。
「…まさか、維月も碧黎を?」
十六夜は、頷かなかったが、首を振りもしなかった。
「親父が正直なのは知ってるだろう。維月に聞かれるままに、自分達が親子でないという事実と、自分がどう思っているのか維月に包み隠さず話したんだよ。維月はびっくりしたようだが、相手が親父だから嫌な気もしなかったようで、次の日もオレに、びっくりしたけど、そんな命なんだって改めて知った気分、とか軽い感じで報告して来てたんだよな。その程度か、とオレもホッとしてたんだけどよ…」
十六夜は、そこで真剣な顔になって言葉を切った。維心は、気が気でなくて十六夜をせっついた。
「それで?!早よう話さぬか。」
十六夜は、維心を見た。
「維月は、親父を見ると今までとはまた違った感じで嬉しそうな顔をする。今まで子供が親にじゃれている感じだったのに、今じゃあ庭を散歩してる姿なんてどう見ても恋人同士だぞ。維月が親父のことも男として見始めたってことだ…どうするんだよ。お前が上手くやらねぇから、あっちじゃ勝手な方向へ進もうとしてるじゃねぇか!今だって、多分一緒に庭を眺めて親父の居間で並んで座ってるんじゃねぇか…。」
維心は、それを聞いて飛び上がるように立ち上がった。
「少し目を離した隙にそのようなことに!我だって、世のこともあるのだ!だから主に預けておったのに、主こそ何をしておったのだ!これでは、何のために我が維月に隠してまで政務にいそしんでおったのか分からぬわ!ぐずぐずしておれぬ、ゆっくり話しておる場合ではない。早よう月の宮へ!」
十六夜は、維心を睨んだ。
「お前な、自分が三日も留守にしておいてよくそんなことが言えるな!この三日で、ますますあいつら仲良くなっちまって、このままじゃ今夜にでも維月が親父の所に泊まるんじゃねぇかとハラハラしどうしなんだぞ!」
維心は、そんな十六夜を睨み返しながら、叫んだ。
「義心!月の宮へ行く!」そして、十六夜に言った。「案じておるだけでは始まらぬ!主はなぜにそんなことになっておるのに、指をくわえて見ておるのだ!」
十六夜は、立ち上がって叫んだ。
「親父に敵うはずなんてねぇ!本気になれば、オレだってどうにも出来ねぇのに!」
維心の声に、慌てて駆けつけた義心が自分の後ろに膝を付くのを見てから、維心は言った。
「今更、何を言うておる。」維心は、窓から空へと飛び立った。「我は始めから、主にも敵わぬであろうが!それでも誰にも渡しとうないものは、奪われてはならぬのだ!」
維心が飛び去って行くのを見ながら、十六夜は思った。維心は、いつも何かと戦っている。そして、そんなことにも積極的だ…それは、維心が生まれながらの闘神だからだ。戦う前から、勝つだ負けるだ考えることもない。
十六夜は、維心を追って月の宮へと飛び立って行った。
その頃、維月は碧黎と共には居なかった。
連日共に居て、自分でもこのままではいけないと思い始めた時、碧黎の方からこう言ったのだ…「里帰りしておるのに、十六夜や嘉韻の所へも行かねばならぬ。」と。
維月も、そう思っていたので、十六夜を探して部屋へと戻ったのだが、十六夜は例に漏れず気ままに出かけて居なかった。維月は、これだから当てに出来ないのに、と思いつつ、拗ねて十六夜を放って置いたのは自分なのだからと、少し反省して庭で空を見上げて十六夜が帰って来るのを待っていた。
すると、蒼の声がした。
「母さん、碧黎様と一緒じゃなかったの?」
維月が振り返ると、そこには蒼と、それについてゆっくりと歩く箔炎が居た。珍しい客に驚いて、維月は慌てて頭を下げた。
「箔炎様。」
箔炎は、手を振った。
「ああ良い。公式に来たのではないからの。主の所に来れば、碧黎が居るかと蒼が申すのでな。」
維月は、驚いた顔をした。
「え、父にご用ですか?」
箔炎は、微笑んだ。
「いや、話そうと思うたまで。主の母を預かっておるのに、きちんと挨拶もしておらなんだゆえ。」
維月は、碧黎の様を思い出した。特に、そんなことは気にしている風ではなかった。何しろ、あの父は良いと言えば良いのだ。挨拶とか礼儀とか、そんなものは考えない。神ではないから。
「あの…父はその辺りを見回って参ると出て参りましたの。十六夜と同じで、気ままであるのでいつ戻るのかは分かりませぬ。それに、父は細かい事は気にしませんわ。なので、神の礼儀などお考えにならなくて大丈夫かと。」
蒼も、頷いた。
「オレもそう言ったんだけどね。箔炎様は、きっちりしたかたであるから。」
箔炎は、苦笑した。
「我など礼儀を弁えぬ方よ。ま、ならば良い。今日のところは主と話して帰るか。」
維月は、少しホッとして頷いた。
「はい。では、庭でも歩きながら。」
箔炎が維月の手を取ると、蒼は同じようにホッとした顔をした。
「じゃあ、オレは戻る。箔炎様、ごゆっくりなさってください。」
箔炎は、振り返って頷いた。
「世話を掛けたの、蒼。」
蒼が立ち去ったのを見て、箔炎は歩き出した。
「では、参るか。」
維月は頷いて、箔炎について歩いた。
しばらく行くと、滝が見えた。箔炎はそこで足を止め、しばらく滝を黙って見つめた。維月は、せっかくに来てもらったのだから、黙っていてはと思い、とにかく話し掛けた。
「あの…母は、壮健で居るでしょうか。」
箔炎は、何かを考えていたようで、我に返ったような顔をして維月を見て、答えた。
「ああ…壮健ぞ。主とよう似ておるわ。宮の中をくるくるとよう動き回って、臣下達も驚いておったが、最近では慣れたようぞ。」
維月は、それが目に見えるようで、袖で口を押さえて笑った。
「血は争えぬということでしょうか。最も、父は我らの命はそういった繋がりではないと申しておりましたが…。ただ、私の身も性質も、母が元になっておると聞いておりまする。似ておるのは私の方なのでございます。」
箔炎は、維月を見た。そうか…ならば瓜二つなのも頷ける。
そこで箔炎は、何かを思い立ったように維月に向き直った。
「碧黎は、何か主に話しておらぬか。主は、あれに育てられたのであろう?」
維月は、急に前向きに話して来る箔炎に面食らった。
「え…それは、たくさんの事を教えてくれておりましたが。」
「命のことぞ。」箔炎は、維月の両方の肩を両手で掴んだ。「寿命のことは?碧黎は、それも司っておるか?」
維月は、戸惑いながらも頷いた。
「はい。寿命はその者の責務に合わせて定められるもの。なので前世の維心様には、寿命が定められておりませんでした。ついに老いを迎える事なく、迎えに来た私達と共に黄泉へと参ったのです。」
箔炎は、なぜか必死の表情だった。
「ならば…ならばあれには寿命わ延ばす事が出来るのだな?」
維月は、掴まれた肩が痛かったが、答えた。
「はい…でも、世に関わらぬような事は致しませぬ。父の関心は、神世の安泰でありますので…。」
箔炎は、退かなかった。
「ならば、主が頼んだらどうか?」箔炎はジリジリと維月に近付きながら言った。「碧黎は、主の言う事なら何でも聞くのだと聞く…」
維月は、後ろへ退きながら言った。
「箔炎様…?何をおっしゃって…、」
維月は、箔炎の左手首を見て、ハッと息を飲んだ。赤い炎のような形の痣…どこかで見たような。でも、こんなものは前はなかったはず…。
そして、遠い記憶が告げた。あれは、炎嘉の腕ではなかったか。前世、まだ維心と結婚していなかったが、将維誕生の祝いの席で…。
箔炎は、維月の視線に気付いて慌ててその手を退いた。だが、維月は気付いてしまっていた。
「まさか…」維月は、両手で口を押さえた。「ああ箔炎様、それは死斑では?鳥族であった炎嘉様の腕にそれがあり、教えてくださいました。老いが始まる、前触れ…。」
箔炎は、維月から視線を反らして滝の方を見ていたが、維月が固まっているので、長く息をついた。
「…そう、死斑よ。」箔炎は、頷いた。「ゆえに我は、碧黎に会いに来た。もしかしてあれならば、どうにか出来るのではないかと…。」
維月は、言葉が出なかった。確かに、碧黎には出来る。だが、恐らくしないだろう。それによって、世が平らかになると言うのならその限りではないが、箔炎はつい最近まで神世から離れていた。つまりは世の安泰にあまり関わっていないということなのだ。つまりは、箔炎の生死は碧黎にとって恐らく興味はないことだろう…。
「…炎嘉は、ひと月。その父の炎真殿は一週間だった。主は、どれだけ踏ん張れる?」
聞き慣れた声が、頭上より聞こえた。
驚いて空を見上げると、維心がそこに、浮いていた。




