理由
「あのな、なんで簡単に帰って来るんだよ!」十六夜が、月の宮に降り立った維月に急いで言った。「維心にだっていろいろあらあな。あいつがお前以外に興味を示すはずはないだろう。とにかく、帰れ!」
維月は、いつになく一方的な物言いの十六夜に、腹が立った。話ぐらい聞いてくれてもいいのに。
「何よ、十六夜も維心様と同じなのね!どうして自分の都合ばっかりで話も聞いてくれないの?」
十六夜は、焦っていた。何しろ、ここに居たら…。
「とにかく、一度帰れって!後で月からいくらでも聞いてやるから!」
維月は、プイと横を向いた。
「何よ、もういいわ!十六夜に聞いてもらおうとは思わないから!」
すると、パッと目の前に見慣れた人型が現れた。
「おお維月、帰って来たか。」
「お父様!」
維月は、嬉しそうに碧黎に駆け寄る。十六夜は、恐れていた状態になってしまったので、慌てて維月の腕を掴んだ。
「分かった、ここで聞いてやるから!こっちへ!」
しかし、維月は碧黎の胸に飛び込みながら、十六夜の手を振り払った。
「もういいって言ったでしょ。お父様に聞いて頂くから。十六夜も維心様も、何があるのか知らないけれど自分勝手なの!何も説明せずに私をいいようにしようとするんだから!」と、碧黎を見た。「お父様…お話を聞いてくださいませ。」
碧黎は、維月を腕にうっすら微笑んだ。
「そうか、話をの。良い、我の部屋へ参れ。」
維月は、おとなしく微笑み返すと、碧黎について歩き出した。十六夜は、大きく首を振った。
「ダメだ!部屋って、こんな時間に部屋なんかに入ったらややこしいだろうが!」
維月は、呆れたように十六夜を見た。
「何を言っているのよ、お父様が私に何かした?大丈夫よ。お父様は、私を傷付けたりなさらないもの。」
十六夜は、歯ぎしりしたい気持ちだった。確かに碧黎は、維月を文字通り命懸けで守る事はあっても、傷付ける事はないだろう。しかし、維月はあくまで父親だから碧黎にベッタリしているのであって、そういう対象には見ていない。
十六夜が恐れていたのは、維月が碧黎を一人の男として見るようになる事だった。二人きりで過ごしたりして、もしもそんなことになったらどうする。
他の神などには余裕の十六夜も、この同じ命を持つ父親にだけは余裕が持てなかった。
碧黎が、苦笑して言った。
「…困った息子よ。分かった分かった、我からこれに何かしらせぬから。安心するが良い。」そして、維月の手を取って歩き出した。「子はかわいいのう。あのようにわがまま息子でも、つい譲歩してしまうわ。我も甘いことよ。」
そして、何の話だろうと怪訝そうな表情をしている維月と二人部屋へと戻って行った。十六夜は、息をついた…碧黎は嘘をつかない。自分から何もしないと言ったからにはしないのだ。とりあえず、今夜は…。
十六夜は、肩を落とした。なんだって若返ったりしたんだよ。これじゃあ、神世どころじゃねぇ…。
維月は、碧黎に手を取られてその部屋へと入りながら、まだ怪訝そうな顔をしつつ、碧黎を見上げた。
「お父様…十六夜は、何をあんなに焦っておりましたの?お父様が、私をどうにかするとか思っておるような。」
碧黎は、涼しい顔をしながら維月を横に座らせて、自分の定位置の椅子へと腰掛けた。
「ああ、あれはの。我が主を娶るのではないかと案じておるのだ。」
維月は、びっくりした顔をした。お父様が、娘の私を?
「まあ…なぜにそのような。お父様が、子供の私を相手にされるはずなどありませぬでしょう。」
碧黎は、困ったように微笑んだが、言った。
「維月…前にも話したと思うが。我は、主を片割れにしても良いと思うぞ。」
維月は、仰天して碧黎をまじまじと見つめた。確かに、父はこのように前の父とは違った若い姿になった。あの磁場逆転で、生まれ変わったようになったのだとは聞いている。こうして横に居て、傍目には親子に見えないことも…でも、確かにこの命は父と母から生まれたものなのに。
「でも…親子なのでしょう?」
碧黎は、首を振った。
「正確には違う。我らは人の言う生物学的には何の血の繋がりもない。身がないのだからの。純粋な命であるのだ。しかし新しい命を発生させるには、何らかの儀式的な動きも必要であろう。なので、我は同じ命である陽蘭との間でそれをして主らを作った。それだけぞ。」と、遠い目をした。「何と言えばわかるかの…ああ、人の世には神話というものがあろう。あれでも、事実親子だの兄弟だの言われておる同士でも問題なく命を発生させておったりする。あんな感じかの。」
維月は、袖で口元を押えて首をかしげた。
「古事記でありまするか?あれは、実話でございまするの?」
碧黎は、考え込むような顔をした。
「いや、あながち間違ってもおらぬが、人が記したものであるし、事実とは異なることもある。力のある神はもっと多数居ったしの。あれは一部を書き記しただけのもの。しかも、人が知ることが出来た分だけ、それにかなりの脚色も加えられて、創造された部分もあるし、本当の歴史を知るには難しいやもしれぬ。だが、人の想像力というものは面白いとは思うがの。」
維月は頭が混乱していた。つまりは、これは父であって父ではないということかしら。
「…お父様は、お父様だけどお父様ではないということでしょうか。」
碧黎は、軽く頷いた。間違ってはいないが、正解でもないという感じだ。
「まあ、そういった感じかの。人や神に分かりやすいように親子と名乗っておるだけで、我らは本来、同じ種類の命であるというだけなのだ。神は神同士、人は人同士が同じ種類の命ぞ。分かるかの?」
維月は、頷いた。それは、つまり私は同じ種類の命であるので、世話をされて育てられただけってこと?
「では、同じ命だから世話をしてくださっておったということでしょうか。」
碧黎は、渋い顔をした。
「それも違う。我らは主ら二人の命が愛おしかった。我らが居らねば生きていけぬような小さな頃から、我らを頼って来る主らを庇護せねばとそういう思いであったから育てたのだ。人や神でいう、親の気持ちがこれかもしれぬと思うて、そんな感じで育てたがの。しかし、主は身大きくなった。我らと対等にこうして話すことも出来、己の意思を持ち、共に生きるのに選ぶことも何ら遜色はない。つまりは、そういうことぞ。だからこそ、十六夜は我をあれほどに警戒しておるのだ。維心には余裕のあるあれも、同じ命である我では太刀打ち出来ぬと焦るのであろう。」
碧黎からそれを聞いて、やっと維月は十六夜の気持ちが分かった。だから、あれほど帰れと言ったのだ。お父様に、会わせたくなかったから…。確かにこの父相手に、自分も十六夜も太刀打ち出来るはずなどなかった。小さな頃から、ずっとその背を追って、そしてその背に揺られて育ったのだ…今でも、その力に勝てるなどと思ったことは一度もなかった。
「…存じませんでした。そのようなことが、話されておったなんて…。」
珍しく維月が考えに沈むような様子を見せたので、碧黎は苦笑してその肩を抱いた。
「良い。主は何も憂いることはないのだ。それに、我は主の許しなく何もせぬよ。磁場逆転の時も、主が我にそれは強く迫ったにも関わらず、手を出さなんだのだからの。身がない分、そういったことにあまり固執せぬのだ。案ずるでない。」と、維月の顔を上げさせた。「して、話とは何ぞ?主、我に聞いて欲しいことがあったのではないのか。」
維月は、間近に見える碧黎の整った顔に、急に意識して真っ赤になった。今まで、お父様だと思っていたからそんな風に考えたこともなかったけれど、本当に凛々しいこと…。
維月が慌ててその顔を隠そうと下を向くのを見て、碧黎はびっくりしたような顔をしたが、深いため息をついた。そうか、意識が変わったか。
「困ったことよ…そんなつもりではなかったのに。」碧黎は維月を抱き寄せて頭を撫でた。「今まで平気であったではないか。ならば父だと思うておって良いぞ?我はこうして居るだけでも主に癒されるのだ。別に娶らずとも良いから。維月?」
碧黎は、維月の緊張をほぐそうといろいろと話し掛けたが、結局維月は、意識しすぎて思っていたことの半分も口にすることが出来なかったのだった。




