見える
十六夜が蒼と話して月へと帰ろうとすると、その空に碧黎が一人、月を見上げて浮いていた。こうして見ると、生まれ変わった碧黎は大変に凛々しく美しい神に見えた。前から、確かに姿は美しかったのだ。なのに、そんな風に考えて見た事がなかった。
十六夜が、その事実に少なからずショックを受けて、月へ帰るのも忘れていると、碧黎がちらとこちらを見た。
「…何ぞ?いつもはうるさく話し掛けて来るくせに。」
十六夜は、我に返って決まり悪そうに横を向いた。
「いや…なんか、邪魔すんのもな、と思ってよ。」
碧黎は笑った。
「気味の悪い。いつなりそのようなこと、気にせぬくせに。」と、また月を見上げた。「我も、月を使える事は話したか?」
十六夜は、びっくりして首を振った。
「いいや。親父は、地だろう。」
しかし、唯一万能な存在である事は確かだった。ならば、使えるのかもしれない。
碧黎は、答えた。
「主らを月に上げるまでは、我が月まで支配する形であったからの。だが、主らを月にした時点で、その支配権は主らに移り、我は使えると言うて地上を見るぐらいか。それに、主は己でたくさんの能力に目覚めて行った。今や、我がしておったこと以上のことをしておる…我とて、万能と言われておるが、その実万能ではない。地を守っておるのに、月に特化した能力など開花するはずないであろうが。心配せずとも、主らの存在には意味がある。やはり、月には月の者が要るのだ。」
十六夜は、少し肩の力を抜いて碧黎に並んだ。
「じゃあ、何か見てたのか?」
碧黎は、しばらく黙って月を見ていたが、口を開いた。
「…早すぎたかの。」
十六夜は、何の事かと碧黎の顔を覗き込んだ。
「え?早いって、何がだよ。」
碧黎は、まだ月を見つめている。
「何もかも見えるというのは、何とも面白くないことよ。我は我の上に居るもの達のこと、嫌でも見えるが、月から見るとより鮮明よ。地の目と両方を使って見ると、世は我が思うほどに成長しておらぬのを知る。」
十六夜は、急に不安になった。また何か起ころうとしているのか。
「まさか、また乱れて来ているのか?」
碧黎は、困ったように微笑んだ。
「どうであろうの。神のことは、やはりその神を統べている神が一番わかっておるということぞ。どうするであろうか…分からぬが、我には出来る事は限られておる。主らが、それに巻き込まれるのも見ておるしか出来ぬな。まあ、何かの折りには力を失うのも良い。我も手を貸そうぞ。」
十六夜は、それでも碧黎に詰め寄った。
「何が見えてるんだ?維心が正しいってことだよな。あいつが神世を治めてるんだから。世が乱れるってそれは神経質になってるって、維月も月から言って来てたんだ。やっぱり、戦が起こるのか。」
碧黎は、首を振ることも頷くこともなかった。
「何事も起こるべくして起こる。我に言えるのは、ここまでよ。」
十六夜は、仕方なく黙った。この父がこう言ったら、本当にこれ以上のことは言わない。何が見えていても、言えないのだ。
十六夜は、今飛び立って来たばかりの宮の方へと視線を落とした。
「…蒼に、話しておくべきだろうか。」
碧黎が、十六夜の方を見た。
「いや、あやつには話さぬ方が良い。そのうちに知ることになるだろうからの。あれは、とかく心配性であるから、まだ何も起こってもおらぬうちから悩んでああでもないこうでもないと、余計に事がややこしくなる可能性がある。放って置くが良い。それより、主が地を上からしっかりと見渡しておくことぞ…神世の動向が知りたければ、維心や炎嘉の動きを見ておるが良い。あれらは、世を正す方向へと的確に動く。戦にしたくないのは、何も蒼や主だけではない。あれらも、闇雲に神を滅して参ることばかり考えておるのではないぞ。いろいろと水面下で手を打って、それでもどうにもならぬ時に攻め入るのだ。細かい動きを見ておるが良い。良い学びにもなろうからの。やはり、主ももっと神というものを知るべきぞ。ふらふらと何もかも蒼に任せておってはならぬ。」
急に父親らしく説教じみたことを言う碧黎に、十六夜はあからさまに嫌な顔をした。
「なんだよ、親父が教えてくれたらいいじゃねぇか。今生はオレを育てたんだから、一から教育してりゃあこんなことにはならなかったかもしれないのによ。」
碧黎は、拗ねたように言う十六夜に苦笑した。
「己でもよう分かっておらぬような種族のことを、知った顔をして教えることなど出来ぬわ。父に甘えるでない。普段は父とも思っておらぬような振る舞いであるくせに、こんな時だけそのように申して。」
十六夜は、横を向いた。
「親父はさ、不公平なんだよ。維月にばっか甘い顔して。あいつが言ったらなんだって聞くじゃねぇか。オレだと己でせよ、の一点張りなのに。」
碧黎は、面白そうに十六夜を見つめて言った。
「ほう、妬いておるのか?しかし、維月と主は違うしの。我は、地の陽で、維月が月の陰なのだから、どう考えても我は維月に弱いよの。そこは自然の摂理であるから、諦めよ。」
美しく、明らかに維月好みの凛々しい顔で言う碧黎に、十六夜は落ち着かないように体を動かして言った。
「…あのさ。親父、ほんとに維月を片割れにしようとか思ってるのか?」
碧黎は、驚いたように眼を丸くしたが、しばらく黙ってから、言った。
「…そうよな。主が良いと申すなら、我はあれを側に置きたいと思うの。陽蘭は今、箔炎に許しておるし、我もあの磁場逆転からあの男女の行為とやらを求める気持ちになる時もある…そうなると、いつも浮かぶのは維月であるから。何しろあれは、我の好みの性質での。」
十六夜は、慌てて首を振った。
「いいって言ってるんじゃねぇよ!その、維月を無理に側に置きたいとか、そんな気持ちなのかって聞いてるんじゃねぇか!維月はもう満員だ、キャンセル待ちしてくれ。」
碧黎は、ふふんと顎を上げて笑いながら、さらに上空へと浮き上がった。
「キャンセル待ちとな?あのな十六夜、主にはもう分かっておるだろうが。我が望んで手に出来ぬものなど世にないわ。今は別に無理にとは思っておらぬから、このままで良い。しかし、後は分からぬぞ。心積もりはして居るが良いわ。」
十六夜は、慌てて碧黎の後を追った。
「こら親父!話は終わってねぇ!」
碧黎は、笑いながら飛んで行く。
十六夜は、その夜碧黎とそのまま一晩中追いかけっこする羽目になってしまったのだった。




