侵攻
《まあ…嘉韻…。》
月からそれを見ていた維月が、ため息をつくように呟いた。十六夜が、呆れたように言った。
《なんだよ維月、惚れ直したのか?》と、眼下で激しい闘気に包まれて無数に見える敵の軍神に突っ込んで行く嘉韻の姿を見下ろした。《ま、分かるけどよ。お前の好みのタイプだよな。》
維月は、怒ったように言った。
《違うわよ!あんなにたくさんの軍神に突っ込んで行って、怪我をしないかって心配しただけじゃない!》
十六夜は、はいはいといった雰囲気で答えた。
《怪我だって?オレがあいつら一人一人に結界張ってるのにか?》そう、少ない人数しか出していないので、十六夜は月の宮の軍神達一人一人に小さく結界を張って、守っていた。《かすり傷一つ付かないっての。》
維月が拗ねて言った。
《もう、いいわよ。十六夜ったら、そんなことばっかり言うんだもの。》
すると、そこに蒼の声が割り込んだ。
《あのさあ、事の重大さが分かってるの?ちゃんとオレを見ててくれなきゃ困るんだけど。》
維月が、慌てて言った。
《もちろん見てるわ!》
十六夜も答えた。
《ずっと見てるっての。お前がなかなか動かねぇから、退屈だったんでぇ。やっとお出ましか?》
蒼は、そんな二人に呆れながらも答えた。
《公青の位置が見えた。今から、出る。頼んだぞ。》
十六夜は、急に真面目な声になって言った。
《心配すんな。こっちは大丈夫だ。親父ばりのことをするんだからな。三人で力をあわせたら、まあ何とかならあな。》
そうして、十六夜と維月は光の玉になって月から出た。蒼はそれを見てから、月の宮を飛び立って結界を抜けて出て行った。
公青の連合軍は、月の宮をぐるりと囲む形で軍神達を配置し、そこから一斉に月の宮結界に向けて進軍した。元より、月の宮の結界は絶対に破ることなど出来なかった…それは、この連合軍の中で一番力を持っている公青でも無理なのだから、他の神達が何人集まっても無理なのは分かっていることだった。
公青が考えたのは、月の宮の王を討つこと。つまりは、王が出て来ざるを得ない状況を作ることだった。恐らく、蒼が出て来るとしたら、こちら側。進軍の真正面に位置するこの、二つの宮。月の宮の結界にぴったりと寄り添うように立ち、そこから命の気の供給を受けている…つまりは、月の宮が庇護する宮を守ろうと、必ず出て来るはずなのだ。
なので、公青は、こちら側の隊へと合流していた。自分の命で一斉に飛んだ軍神達を背後から見ながら追走し、周囲に目を凝らした…蒼は、出て来ておらぬか。
しかし、出ているのは僅か数十人の軍神だけだった。龍の気を持つ者が多い…中でも、真正面でこちらを迎え撃つ金髪の軍神は、驚くほどに素早く、一瞬の内に周りの軍神を蹴散らしてしまっている。まるで肩についた埃でも払うように、腕をひとつ振るだけで、下位の宮の軍神達など数十人は落下して行った。
思いの外、月の宮の軍神は手強い。
公青は、それを見て思った。他の軍神も、龍の神の大きな気を持ち、あまり本気を感じない太刀さばきなのが気に掛かった。
まるで、こちらの様子を見ながら何かを待っているような…。
ふと、何かの気配を感じて上を見上げると、月から二つの光が降りて来て、宙で見る間に二つの人型を取った。一人は青銀の髪で金色の目を光らせ、一人は黒髪で目を赤く光らせて、紛れもなく公青を真っ直ぐに見下ろしていた。
「!!」
公青は、思わず構えてその二人を見た。男女の人型…月は陰陽二人だと聞いている。もしかして、あれが月なのでは?!
「王!」
軍神達がそれに気付いて一斉に公青を囲んだ。まだかなり上空に居る二人に、高く昇ると何が起こるか分からない月夜であるので、ただ睨みつけるしか出来ずに居ると、別の方向から声が飛んだ。
「どこを見ている?」
公青は、驚いてそちらを見た。すると、そこには確かに会議で見たあの、穏やかだった蒼が、目を金色に光らせて浮いていた。その姿は、普段の様子からは想像出来ないほどの闘気を身にまとい、なのに甲冑すら身につけていなかった。
…気配が全く気取れなかった。
公青は一瞬茫然とその姿を見上げたが、ハッと我に返って、叫んだ。
「蒼ぞ!あれが月の宮王、蒼だ!」
周囲の軍神達が、一斉に蒼を見上げた。蒼は、そんな神達を見下ろして、不敵にフッと笑った。それを見た、神達は、月の宮の軍神達でさえぞっとした…蒼からは、普段は押えている月の気が、これでもかと大きく解放されていたからだ。何をするのか…。
「オレの首が欲しいか。」蒼は言うと、手を上げた。「獲ってみよ!」
蒼の手からは下に向けて広範囲に白い光が放射された。すると、ただその光に触れただけで、軍神達がバタバタと地上へ落下して行く。そして、地上でジタバタともがいていた。しかし、共にその光に当たった月の宮の軍神達は、何事もなかったかのようにその場に浮いてそれらを見下ろしていた。何が起こったのかわからないまま、回りの軍神達がパニックになってその光から逃れようと必死になる間を縫って、公青は飛び上がって蒼を追った。
「その首、もらう!」
蒼は、涼しい顔で公青を見た。
「お前など、敵ではないわ。だが、遊んでやっても良い。」
蒼は片手で相変らず下の軍神達に向けて、光を降らせているが、公青が振り上げる刀や、気弾から器用に体を避けて行く。しかも、その顔は薄っすらと笑っていた。
「ああ、退屈な。オレの軍神達のほうが優れておるな。」と、腕を一振りした。「そこで見ておるといい。」
公青は、いきなり飛んで来た白い光に咄嗟に気の膜を張って跳ね返そうとした。しかし、その光はその膜をすり抜けて公青を包み込み、小さな球体になって宙へ浮いた。
『出せ!くそう、何をする、堂々と立ち合わぬか、王であろう!』
何かに籠められたようで、声がくぐもって伝わる。蒼は、光の玉の中の公青を見て笑った。
「たった一つの宮を討つのに、10万もの大軍で攻め込んで参ったお前に言われたくないわ。ま、これが百万でも、月は単独で対応出来るがな。」と、両手を上げた。「見ておればよい!もう、相手をするのも面倒だ、まとめて処理してやるわ!」
途端に、遥か上空の人型二人が片手を合わせ、同時に手を上げた。すると、月から大きな光が蒼に向かって流れ込んで、辺りには先程蒼が降らせていた光がいっぱいに降り注いだ。
公青は目を見張った…何という大きな力…!月は、ここまで広範囲に渡って攻撃することが出来るのか!
《あっちと、こっちにも敗走している軍神が居る。》
上空から、深い声がする。青銀の髪の人型が、指差しているのを見て、公青はそれが月の声だと悟った。
蒼が、そちらをちらと見た。
すると、それだけで光は向きを変えてそちらまで覆って行った。
まるで、息をするように自在に力を操る…。
公青は、最早成す術なく、ただじっとその光景を玉の中から見つめ続けた。光に当たった軍神達は、それだけで地に落下して地面の上でもがいた。即死は免れても、どんな力か分からない以上苦しむ死が待っているのかもしれぬ…。
《…あちらへ逃れようとして、維心様の結界に弾かれている軍神も居るわ。》
龍の領地の方角を指して、鈴を転がすような声で言ったのは、もう一人の月だった。あれが、陰の月か。龍王が二度も娶るほど溺愛する妃…。
最早これまで、と公青が覚悟した時、ふと下を見ると、まだ光から逃れている自分の筆頭軍神、隼が、じっと潜んで上空を伺っているのを目にした。隼…!まだ残っておったか!




