その夜
雪の露天風呂に浸かった維月は、ホッとしながらそこから出て、新しい着物に着替えると、外へと出て来た。すると、維心がもう出て来ていて、維月を待って立っていた。維月は、びっくりして維心に駆け寄った。
「ああ、お待たせしてしまいましたか?先に戻っておられると思うておりました。」
維心は、微笑んで首を振った。
「共に戻ろうと思うたのだ。さ、参ろうぞ。」
維月は、また戸惑った。同じ部屋へ、帰るのでないのに。
しかし、維心に手を引かれて歩いて行く方向は、維心の対の方向だった。そのまま自分の部屋へ帰ると言い出せずに歩いて、結局維心の対の、奥の部屋まで来てしまった。
いつもなら、ここで共に休んだのだ。しかし、自分は離縁された身。婚姻までは、共には休めなかった。
「維心様…では、失礼を致します。また、明日。」
維月が頭を下げると、維心は維月を急いで抱きとめた。
「なぜに戻る?…ここで共に。」
維月は、びっくりして維心を見上げた。でも、それはならぬと維心様がおっしゃっていたのでは…。
「え…でも、神世が認めるまではおっしゃっておられたのではありませぬか…?」
維心は、首を振った。
「もう、ここに篭められて泊まることになった時点で、我は主を娶っておらずともそう言われる。知っておろうが、神世の理というものを。」
確かにそうだった。維月に会いに来て泊まるということは、そういうことがあったと、例えなくてもあったことになってしまうのだ。
「そんな…では、維心様が、神世の同意を得られぬまま、私を再縁なさったということになるのではありませぬか?勝手な王だと言われてしまったら…。」
自分のせいで、そんなことになったら居た堪れない。
維月は、そう思って下を向いたが、維心は微笑んで維月を抱きしめた。
「そうはならぬ。我も、始め不思議であったのだ。蒼の、あのいつにない強い様子に。」
維月は、維心を見上げた。維心は、維月の頬に触れながら微笑んで続けた。
「蒼は、我のためにこうして結界を強化させ、出るに出られない状況を作り出した。我は帰ると言ったのに、蒼が我を帰さないと言い切ったのは、皆が見ておること。恐らく十六夜も知っておるはず。何も言わずに結界を強化させたであろう…我らは、蒼と十六夜にはめられたのだ。」
維月は、驚いた顔のまま、維心を見上げて言った。
「では…では、これはあの二人が、私達を早く再縁させようと?」
維心は、苦笑して頷いた。
「こういう状況では、神世もどうしようもない。我ですらどうしようもない。あの結界がある限り、我はここから出られぬのだ。そうまでして、月が陰の月と龍王を縁付けたかったのだと、神世には映る。これは、我のせいではない…月のせいだということになる。」
維月は、呆れた。どうして、それを言ってくれなかったんだろう。本当に、どうなっているのかと戸惑っていたのに。
「まあ…。いつの世も、人世でさえも、何でも月のせいにしてしまうのですわね。」維月は、そう言って笑った。「十六夜はまどろっこしいといつも言っておったのですわ。きっと、痺れを切らしたのでしょうね。なので、蒼と話し合ってこんなことを策して…一言言ってくれれば良かったのですのに。」
維心は、笑って維月を抱き上げた。
「我は良い友を持った。…維月。やっと、我は主を手に出来る。戻るなどとは言うまいな。」
維月は、維心の首に腕を回して微笑んだ。
「やっとお側に参れるのですわ。維心様こそ、今宵限りと言われませぬか?」
維心は、維月を抱き上げたままその頬に頬を摺り寄せた。
「おお、主こそ。今宵限りなどと言わせぬぞ。」そうして、寝台へと維月を下ろした。「維月…我はようこの二年もの間、主と離れて暮らしておれたものぞ…。」
そうして、維心と維月は、その夜再び婚姻の契りを果たした。
《手間ぁ掛かったなあ。》十六夜が、吹雪く空を見上げる蒼に言った。《婚姻の申し込みが来てから何ヶ月だ?ほんとに神世ってのは、面倒だ。寿命が長いのも頷けるよ。》
蒼は、苦笑した。
「維心様もびっくりしてらしたけど、これで母さんを娶れたんだからさ。みんな十六夜とオレのせいになっちゃうけど、いいよな?」
十六夜の声が、面倒そうに言った。
《ああ、いい、いい。どうせ、誰もオレ達にゃ向かって来れねぇさ。何でも言いたきゃ言ってくれって感じだな。これでオレも、しょっちゅう維月を心配してなくて良くなるから、助かるんでぇ。毎日の心配は維心にさせて、時々の大きな心配だけオレがするってのが、オレ達のスタンスでな。それで上手く行っていたのに維心のやつは、今更自分だけ楽しようってのが間違いだっての。》
蒼は笑った。
「維心様は、そんな風に思ってないんじゃないかなあ。でも、確かにどこがいいんだろ、あの母さんの。今生生まれ変わって、結構十六夜に似て気ままなのにな。」
十六夜の声は、少しふて腐れた。
《どうせお前にゃ一生維月の良さはわからねぇさ。》
空はまだ吹雪いている。
地上からは月は見えなかったが、月は地上を変わらず見ていた。
次の日の朝、昨日の吹雪が嘘のように晴れ渡っていた。
維月が明るくなっているので目を覚ますと、維心が維月の肩を抱いたまま横になって、こちらを見ていた。維月は、その維心と目が合って頬を赤らめた…ああ、久しぶりに見ると、本当に維心様ったら凛々しいお顔だから…。
維月がそんなことを思っているなど知らず、維心は微笑んだ。
「目覚めたか?維月。我が妃よ。」
維月は、頷いた。
「おはようございます、維心様…雪は止んでおりまするの…?」
維心は、頷いた。
「嘘のように晴れておるよ。」と、起き上がって襦袢を維月に着せ掛けた。「一緒に眺めようぞ。」
維月は、頷いて襦袢の腰紐を結び、維心の襦袢も着せた。そして、一緒に袿を着ると、居間の方へ出て大きな窓へと歩み寄った。
「まあ…!」
維月は、歓声を上げた。昨日から降り積もった雪が、庭一面を真っ白に染めている。それが朝日に照らされて、眩しいほどに美しかった。維心も、それを見て言った。
「そろそろ春かと思うた時にこの雪であったから。すぐに溶けるであろうが、美しいものよの。」と、空を睨んだ。「…結界は、まだ強化されたままのようよ。」
維月も、空を見上げた。確かに、十六夜の結界が強烈に強いのが分かる。これは、恐らく自分でなければ破れないだろう。陰の月の力は、陽の月の力を相殺してしまうからだ。
「私ならば通すことが出来まするが…お戻りなりたいですか?」
維心は、首を振った。
「いいや。これは、十六夜が神世に向けて見せておるのだ。こういう結界で、龍王を閉じ込めて婚姻を成立せたのだ、とな。なので、これは我らのためぞ。破ることはない。」
維月は、晴れ渡った空にガッツリ張ってある結界を見上げて、でもいつまでこれなのかしら、と思っていた。
蒼の書状は、夜明けに吹雪が止むのを待って龍の宮へと届けられた。これより三日は、月の宮で責任を持って維心を預かる、という書状だった。
蒼がこんな強硬手段に出てくるとは、普段の穏やか様子から思いもしなかった臣下達は慌てたが、長い間側で見てきた兆加には、これは、神世を納得させて婚姻を成立させるための蒼の策なのだと気付いていた。臣下達は、しかし分からず狼狽した。
「おお、なんということ。いくら王でも月の力には敵わぬということは、誰もが知っておる事であるのに。もしも王の御身に何かあっては…。」
兆加は、首を振った。
「あり得ぬ。蒼様に限って王に手出しなど。此度は婚姻を急ぎ成立させたいという、月の宮の意向の表れであろう。とにもかくにも、これで維月様は王の妃になられた。正妃に迎えるには、数ヵ月待たねばならぬが、それでも今までのように不自由はされるまい。我らは急ぎ結納の品の審議を始めようぞ。挙式まで時が出来たとはいえ、のらりくらりとしておったら王のお怒りをかうことになろうぞ。」
それを聞いた臣下達は、慌てて召集し、結納の品と結納の儀の日取りの話し合いに入ったのだった。




