順序
維心と維月は、揃って宮の方へと戻りながら、それこそ常のように足が絡まるのではないかというほどぴったりと寄り添っていた。黙って幸せを噛み締めていた維心が、口を開いた。
「今すぐにでも連れ帰りたい。」維心は、維月の手を硬く握りながら言った。「しかし、我は龍王。主を一度離縁してしまっておるゆえ、再び正妃に迎えるためには神世の順を追わねばならぬ。我は愚かだった…こんな我を、主は待ってくれるか?」
維月は、すぐに頷いた。
「はい。神世のことは、存じております。維心様、私はお待ちしておりまするから。」
維心は、ホッとしたように維月の髪に頬を摺り寄せた。
「維月…会いに参るゆえ。何度でも、神世が納得するまで我はここへ通う。まずは帰って、臣下の審議に掛ける。誰も反対などせぬ。維明の母なのだからの。主には宮での実績もある。その後に、臣下達から碧黎と蒼に婚姻の打診をさせる。…問題は、そこからぞ。」
維心は、険しい顔をした。維月は、維心を見上げた…一度下ろした龍王妃の座に、再び同じ女をつけるのは、前代未聞の事なのだ。龍王妃は、普通の王妃とは格が違う。神世の女の中でも最高位なので、誰もが認める女でなければならないのだ。月だというだけで納得させていたが、今回は再婚。それを、神世に納得させるには、維心の絶対的な願いが要る。それも並大抵の執心ではないと、皆が噂するほどでないと駄目なのだ。誰もが、反対しても無駄だと思うほど…。
今までの事は、一度の離縁でもう消えてしまっていた。つまりは、ここからまた始めなければならないのだ。
維月は、そんな維心の頬に触れた。
「維心様…そのようにお悩みにならないで。私は、維心様が想ってくださるのなら、いくらでも待ちまするから。厭われておると思いながら別々に暮らす事を思えば、夢のような事ですわ。待っておりまする。」
維心は、立ち止まって維月を見つめると、涙を浮かべながら言った。
「維月…我が待てぬ。主を娶るには、式まで待たねばならぬ。それまで、手出しが出来ぬ…今すぐにでも奥へ連れ参りたいのに。我があのような短慮な事をしでかさなければ、このような事にはならなんだものを。」
維月は、維心の髪を撫でた。
「私が悪かったのですわ。維心様があのようにご心配のあまり激昂されても、仕方がないような事をしたのですから。」
「主は悪くない。」維心は、維月を抱き締めた。「維月…主が欲しい。愛している…。」
維月は、維心を抱き締め返した。
「維心様…私も。」それを聞いた維心は、びっくりしたような顔をした。維月は、少し頬を赤らめた。「まあ…私ったら女の方からこのような事を。」
維心は、びっくりして固まっていたが、すぐに笑った。
「そうか、主も我を。」そうして、また維月の肩を抱いて歩き始めた。「ならば一人ではない。我も耐えて、その日を待とうぞ。主はいつも、我から憂いを取り去ってくれる…不思議なものよ。」
二人が並んで歩いて行くと、宮の入り口で十六夜が腕を組んで入り口のふちにもたれて待っていた。それを見た維心は、維月から離れて十六夜へと歩み寄った。
「十六夜…すまぬ。我は、あのように維月の夫の立場を放棄したのに。また、こうして維月を側に置きたいなどと…。」
十六夜は、黙って維心を見つめたが、ふんと笑って言った。
「どうせ一時のことだろうって思ってたよ。お前が維月と離れて生きて行けるはずなんてないもんな。だからこそ、オレはお前と維月を共有してこの数百年来たんだ。そうでなきゃ、オレがお前を信用していた数百年を返せって言うところだ。」と、維月に手を差し出して、側へ呼んだ。「維月、こっちへ来な。」
維月は、素直に従って十六夜の手を取った。十六夜は、維月を見つめて言った。
「良かった、気が安定してる。お前もなあ、無茶すんなよ。今生はオレと双子で生まれて育ったから、どうしても同じ命だから気ままなんだろうが、やっぱり維心のことも考えてやらなきゃならねぇぞ。維心だって、怒りもするし。オレと維心は違う。わかってるようで、分かってないところもあるからなあ。それで、また維心と暮らすのか?」
維月は、頷いた。
「うん。また、前と同じように暮らしたいと思っているわ。でも、神世に住んでいるから…維心様は龍王であられるし、いろいろと面倒なの。すぐには無理だと思う。」
維心が、近寄って来ながら言った。
「我の短慮のせいで、此度は面倒なことになってしもうた。主にも迷惑を掛けてしもうて、申し訳なく思う。これより神世を納得させるため、順を追って行かねばならぬ。また、蒼にも連絡するが…。」
十六夜は、頷いた。
「さっき、あっちで蒼に聞いたよ。どれだけ面倒なのか、それで知ってる。」と、維月を抱きしめて意地悪げに笑った。「ま、それぐらいの我慢も必要じゃねぇか?こんなことをしでかしてオレらを煩わせた罰だ。どれぐらい掛かるか知らねぇが、それだけの間維月に指一本触れられねぇんだろう?」
維心は、眉を寄せたが、すぐにフッと肩の力を抜いて、諦めたように言った。
「指一本とは語弊があるが、まあ夜を共にすることは出来ぬな。正妃にするのであるからの。これが罰なら、我は甘んじて受けようぞ。」
十六夜は、頷いて維月の手を取って歩き出した。
「さ、今はお前は公式の客だ。こっちへ来い。また茶が準備されてるぞ?」
維心は、その後に続きながら頷いた。
「また、表面上の役割を演じねばならぬな。お互いの臣下達の前で、そのように振舞ってそれが神世へ噂として流れて行くようにせねばならぬのだ。面倒ぞ。」
十六夜は、呆れたように天井に視線を向けた。
「あー神世なんて、オレは真っ平だね。」
そうして、三人はまた、茶会の席へと戻ったのだった。
既に皆が揃っている中へと、十六夜と維月、そして維心は入って行って席に座った。目の前には、侍女が進み出て茶が注がれて行く。この茶会というものが、神世では見合いであったり、軽い会合であったり、根回しの場であったり、とにかく何かあったら茶会なのが神世での常だった。
大概が大きなテーブルを囲んで座り、臣下達は壁際にズラリと並んでそれを見守っているスタイルで、勝手な事は話せない。なぜなら、変な事を言おうものなら、その王族の臣下ではなく、他の宮の臣下が噂をして、神世に回ってしまうからだった。
今回は、まだ気軽な方だった。月の宮の臣下と、龍の宮の臣下しかいないからだ。全部の臣下が居る訳ではないが、ここでは間違った事は発言出来なかった。
維月が、しおらしく座っている。茶会がなんたるかを知っているからだ。維心は、自分が何とかしなければならないことは、分かっていた。
「して?」碧黎は、唐突に口を開いた。「楽しんで参ったか。」
維心は、慎重に頷いた。ここでつまづく訳にはいかぬ。
「大変に話が弾んで、つい時を過ごしてしもうたほど。我に異存はないゆえ、話を宮へ持ち帰り臣下達に審議させようと思うが、主はどうか。」
龍の臣下達が、固唾を飲んだのが分かる。つまりは、維心は妃にしたいので、臣下達の同意があれば維月を娶りたいという事だ。碧黎はふっと笑って、維月を見た。
「主はそれで良いか。」
維月は、美しく頷いた。女はあまり話さない方がいいのだ。
碧黎は、維心を見た。
「では、そのように。我も肩の荷が下りるというものよ。これがそちらへ参ったら、我もそちらの宮の事は助けて参りたいと思う。」
碧黎は、地だ。地上で碧黎以上の力を持つものは居ない。神の中では敵のない龍も、この地、月には敵わない事は神世に知れ渡っていて、碧黎がこう言う事で維月にプレミアを着けたわけだ。
もちろんこれは、維心にではなく龍の臣下と神世に向けて言った事だった。碧黎は、そんなこともよく知っていたのだ。
蒼が感心してみていると、維心は蒼を見た。
「王は主ぞ。主は龍族と縁戚になるのを良しとするか。」
蒼は、慌てて頷いた。
「もちろん、私には異存はありませぬ。これにより月の宮と龍族が、強く結び直される事を望んでおります。」
維心は、頷いた。龍の臣下達は、何かを耳打ちしあって頷き合っている。維心はそれを感じながら、立ち上がった。
「では、早急に審議に入らせたいゆえ、我はこれで失礼を。」
と、維明に頷き掛けた。維明は慌てて立ち上がる。
そうして、維心と維明は、また大層な行列を引き連れて帰って行ったのだった。




