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約束

二人が出て行った後、あの緊張感が嘘のように落ち着いたこちらでは、蒼が並んで歩いて行く二人を見ながら言った。

「ほんとに驚いた…碧黎様があんなことを言い出した時には、もうこの茶会も無駄になってしまうのかと肝を冷やしたよ。」

碧黎は、ふんと鼻を鳴らした。

「回りくどいのは好かぬ。神世はとかく遠回しで性に合わぬのだ。黙って見ていようかと思うたが、あの調子では日が暮れると思うての。ならばと神世の王に倣って、あのように言うてみたのだ。それで面倒なことをすっ飛ばせたのだから、良かったではないか。」

しかし、維明が言った。

「ですがお祖父様、もしも父上が否と言われておったなら、そこでこの話は消えてしまうところだったのです。我も、蒼と同じく肝を冷やしました。」

大氣が、苦笑して頷いた。

「そうであるよの。我もかなり驚いたわ。しかし結果的にはこれで良かったではないか。あれで本日連れ帰る事になるやもだろう?」

それには、蒼が首を振った。

「いや。そんなことは出来ない。もし母さんをまた妃にと思ってらしても、維心様は公式に訪問されてるから、今回の碧黎様の話も、公式ということになるんだ。だから、維心様も筋を通して、順を踏んで行かないと娶れないんだ。まずは持ち帰って臣下達の審議、これは通るだろうけど、その後こちらへ婚姻の申込み、神世に納得させるために何度かこちらへ通って、維心様がどれ程にまた母さんを望んでるのかアピールして、月の宮との親密さも見せる。神世に浸透して来たら、それから結納の日取り、結納の品の審議、結納の儀、挙式の日取りの審議、挙式でやっと妃に返り咲く事になる。しかも、通ってる間は正妃にするなら手出しは出来ないんだ。妃なら大丈夫だけど、正妃は格が違うから、それほどに尊重してますよ、って見せなきゃならない。」

大氣は大げさに驚いて見せた。

「何とのう、我には理解出来ぬ。なぜにそこまで遠回りせねばならぬのよ。わからぬの。」

碧黎が、苦笑して頷いた。

「神も数が増えると共に暮らしておって、面倒もあるのだろうの。我らには理解出来ぬことであるが、それで世の秩序とやらが保たれておるのなら、その象徴である龍王は曲げる訳には行かぬのだ。なので、我はあのように、先の面倒を省いてやったのではないか。」と、もはや庭の向こうの方に小さく見えるだけの二人を見た。「後は、あの二人次第であろう。ま、大丈夫であるよ。あの二人には、絶対に切れない縁がある。あれがある限り、世の何者も引き裂くことなど出来ぬわ。」

十六夜は、じっと遠くの維心と維月を見つめていた。また、前のように三人で穏やかに生きていけたら…。


維月は、緊張して倒れるのではないかと言うほど固まって歩いていた。扇は、まだ下げていなかった。前は、あれほどに開放的にしていたのが、嘘のようだった。それほどに、久しぶりに見た維心はとても凛々しく美しい王だったのだ。

こんなかたの横を、化粧もせずに気軽に歩いていたなんて…。

維月は、また落ち込んだ。皆には、どう見えていたのだろう。維心は、自分が化粧をして美しく装っていたら、とても喜んでくれた。それは、いつもすっぴんでうろうろとしている自分に正直呆れていたからではないだろうか。

考えれば考えるほど、維月は落ち込んだ。なので、化粧をしている今も、扇を下げることが出来なかったのだ。

維心はというと、そんな維月にそんなにも自分に顔を見せたくないのかと更に落ち込んでいた。維月が自分の方を見ないのも、この姿がそれほどに醜く見えるのかと辛かった。嘉韻は、確かに美しい顔立ちだった。そんな嘉韻を毎日見慣れた維月には、自分などやはり大した神ではないのだ。

そうやって、お互いに暗く沈んだ状態で、奥の滝の前まで来た。そこで立ち止まり、維心はどうしたいいのかと悩んだ。碧黎に言われ、そこで断ったらこの話はなくなってしまうと急いで了承したものの、維月にその気がないのに、これ以上進むことがあるというのだろうか。

しばらくそこで、二人でただ黙って立っていたが、維心は思い切って維月の方を見た。維月は、びくっと肩を震わせると、目だけで維心を見上げた。相変らず、扇で目から下は隠してしまっている。

維心は気持ちが折れそうだったが、それでも言った。

「維月…文は、読んでくれたか。」

維月は、いきなり文の話が出たので、驚いたが何度も頷いた。

「はい。あの…私の、つたない文を、お読みくださいましたのですね。」

維心は、頷いた。

「人の世の、歌集の歌を変えたものであったの。」維心は、少し黙ってから、言い訳のように言った。「その…炎嘉が気で焼いてしまっておったゆえ。復元するのに時間が掛かってしもうて、それから返歌を考えておったら、あのように時が開いてしまったのだ。」

維月は、頷いた。それでも、復元してまで読もうとしてくれたのだ。

「聞いておりますわ。それでも、お返事くださったのですから。」維心は、黙っている。維月は、なので思い切って言った。「あのお歌は、あの…。」

思い切ったものの、維月はそこから続けられなかった。何を厚かましく、まだ想ってくださっているなんて希望を持っているのかしら、私は…。

すると、維心は維月を見て、こちらも思い切ったように言った。

「我は主を想うておる。まだ、我は主と共に居たいと願っておるのだ。あの時、違う命などと碧黎に言われ、どうしてもあれらのような意識は持つことが出来ぬと勢いであのようなことをしてしもうたが、どれほどに後悔したか…。だが、あんな風に一方的に主を離縁した我が、そのようなことを言える立場ではないと思うて、我から何も言えなかった。主が文をくれるまで、我は…もう、主には会えぬのだと、諦めておったのだ。この想いを抱えて、生きて行くのが宿命(さだめ)なのだと。」

維月は、自分の手を両手で握って、必死に一気に言う維心に面食らった。そうして、その意味が頭に浸透して来るに従って、涙が溢れて来た…維心様…私を許すと言ってくださるの?

「維心様…。」

維月は、扇も下りてしまって、茫然と維心を見上げた。ただただ涙が溢れて、押えることが出来なかった。

「維月?」

維心は、慌てて維月の涙を拭おうと、維月のベールを下ろした。そして、一年半ぶりにはっきりと見る維月の姿に、維心も茫然と維月に見とれた…何と美しい…これがいつも側に居たのか。我は、何と幸福でありながら、それに慣れて気付かずに居ったことか…。

しばらくお互いにお互いを見つめて立っていたが、維月がハッと我に返って慌てて扇を上げようとした。すると、維心がその手を押さえ、言った。

「維月…隠すでない。」維心は、言ってじっとせつなげに維月を見つめた。「主は、もう我を厭うておるのか。あの歌は…我の返歌は、遅かったのか。」

維月は、まだ溢れて来た涙を拭おうともせずに、何度も首を振った。

「いいえ!いいえ維心様…私は、私は維心様にもう、愛想を尽かされてしまったのだと思って…それでも、維心様を忘れることが出来なくて、とてもつらくて…。炎嘉様に、あの文を届けて頂いたのですわ。今でも、私の心は変わりませぬ。愛しております…維心様。」

維心は、維月の涙を自分の袖で拭いながら、維月を緊張したように見た。維月が、どうしたのだろうと思っていると、維心は恐々維月を自分に引き寄せた。

「維月…。」

維心は、維月を抱きしめた。維月は、覚えのある維心の大きな胸に、また涙を流しながら寄り添った。維心は、身が熱くなるのを感じた…ずっと、これを求めていたのだ。自分は、こうして維月と共に居たかったのだ…。

お互いの体温を、懐かしく感じながら、その暖かさに心から幸福を感じて、二人はじっとそこにそうしていた。そして、どちらからともなく唇を寄せ、深く口付けて、お互いの気持ちを確かめ合ったのだった。

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