茶会
蒼は、正月が終わって早々に、月の宮で小さな茶会を開くと龍の宮へ書状を送った。身内だけなので、表向きは碧黎の孫に当たる維明を招待という事だったが、その宮の王である維心も、当然の事ながら招待するのが礼儀であった。兆加はその意味を悟って、しかし何気ない風で維心に言った。
「これはこれは。碧黎様には、維明様も長らくお目通りしておらぬので、出席は礼儀でありましょうな。王、王も参加なさるのが、初回の事でありまするし礼儀ではないかと思いまする。」
維心は、ためらった。内々の…しかしならば維月も出る。あれからしばらく経つとはいえ、維月に返事をあれほどに待たせた後のこと。もはや、心は我にないやもしれぬのに。
しかし、これに出なければこれ以上の事は望めなかった。もはや他人の維月に近付くには、順を追わねばならぬのだ。
維心は、表面上何も出さなかったが、意を決して言った。
「…では、準備を。維明にも、そのように心づもりせよと。」
「は!」
兆加は、深く頭を下げると、そこを出て行った。維心は、常にないほどに緊張していた…維月を、また手元に置くことが出来るかもしれぬ。しかし、それを神世に納得させねばならず、その道は長く、険しい…。
その日、少し曇り空だったが、雨は降らなかった。
神の朝は早く、夜が明けてしばらくして、龍の一行が月の宮の結界に近付いているのを、蒼は感じ取った。
分かっていたことだったが、これは公式の訪問なので、以前の維心や維明のように、気軽に一人でふらりと来るわけには行かず、そうなると龍の宮は神世最大であるので、その面子もあって大変な列になる。
蒼は、到着口で待っていたが、先頭の軍神が見えてから、中央の維心と維明が乗った輿が見えるまでかなりの時間を要した。それぐらいの、大層な行列だったのだ。
やっと到着した輿から、まずは維明が降りて来て、道を開けて頭を下げる。すると、それは美しい公式の衣装を身にまとった維心が、輿から降り立った。
そうして、回りを見回してから、蒼に言った。
「このたびは招待を感謝する。維明を連れて、参った。」
維心が言うと、蒼は軽く頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。」
碧黎が、横から進み出て維明に言った。
「おお、我の孫は、またしっかりとした顔つきになったようであるの。こちらへ来ぬか。」
維明は、久しぶりに見たとても好きな祖父だったので、嬉しかったのだが、子供のように駆け寄ることは、もう出来ない歳だった。なので、困ったように頭を下げた。
「お祖父様。お会い出来てうれしゅうございまする。」
碧黎は、残念そうにため息を付いた。
「そうか、主はもう子供ではないの。では、こちらへ。皆揃っておるわ。」
碧黎は、先に立って歩いて行く。維明は、維心をためらいがちに見た。維心が頷いたので、維明はそれについて行く。蒼も、維心に言った。
「どうぞ、こちらへ。皆、お待ちしておりますので。」
維心は、緊張気味に頷くと、蒼に並んで歩き出した。
維月は、かちこちに緊張してそこに座っていた。
維心はあのように返歌して来てくれたが、それが娶っても良いということかどうかも分からないし、そもそも自分は神の女の中では、嗜みもないし、落ち着きもないし、はっきり言って、下の下だった。妃であった間も、どうして維心がそれほどに自分を愛してくれるか、分からなかったぐらいだ。
なので、宮の侍女達に頼んで、せめて姿だけはと美しく装っていた。龍王妃であった時のように多くのかんざしがない分、維月も楽だったが、とにかくは失望されてしまわないように、妃にしていたことを後悔なさならないようにと、必死だった。
あまりに維月が緊張しているので、十六夜は自分まで落ち着かない気持ちになりながら言った。
「維月、そんなに緊張するこたないって。維明も居るし、今日は顔見世だけで話すこともないだろうって蒼も言ってたじゃないか。神ってのは、なんていうかその、回りくどいんでぇ。」
分かっていた。だが、それでも維月は固まっていた。何しろ、一年半ぶりに維心に会うのだ。
すると、侍女が入って来て頭を下げた。
「龍王様、維明様、お着きでございます。」
維月は、弾かれたように立ち上がった。十六夜が、横で苦笑する。
「そんなに固まるなって言うのに。」
十六夜は、ゆっくりと立ち上がった。そこに居た大氣、維織も維月の緊張が伝染した状態で立ち上がる。すると、碧黎が、続いて維明が、そして蒼が入って来た。維月と維織は、頭を下げた…維心が、入って来る。
すると、大きな気の気配がして、維心がそこに立ったのが分かった。維月は、最高潮に緊張して、ふるふると小刻みに震えた。ベールの下で上げた扇も、絶対に下ろすものかと目に掛かるほど高く上げ、じっと頭を下げていると、蒼の声が言った。
「維明と、維心様がお越しになられた。」
維心の声が、少し遅れて言った。
「このたびは、招待を感謝する。表を上げよ。」
その声も、心なしか震えているような気がしたが、維月は自分にいっぱいいっぱいでそんなことまで考えていられなかった。隣の維織が、自分の娘だと思えないほど優雅にすっと顔を上げたので、維月も負けじと龍の宮で習った通りに、それは美しく顔を上げた。しかし、扇は絶対に下げなかった。
目の前には、目がくらむほどに美しい、維心が立っていた。神世で、並ぶものがないと言われているほどの容姿に恵まれ、それでも常自分を律して他に目をくれない、最強の王、龍王…。
維月は、自分との差を、そこで知った。維心は、やはり血筋から違う。前世から、人だった私に比べたら、この方は生まれながらの王。何かの間違いで愛されていたのに、今更…。
一気に落ち込んだ維月だったが、扇を上げていたので回りには表情の変化はわからなかった。維心も黙っていたが、蒼がその沈黙に耐えられずに、言った。
「では、お座りください。」
蒼が座り、維心が言われた通りに維月の正面の席に着いた。そうして皆が席についた後、侍女達がやって来て茶を順に給仕して行く。維月には、その時間が永遠にも思えた…維心様の目の前でお茶を飲むのが、こんなにつらいことなんて。
維月は、もう帰ってしまいたかった。維心のことが慕わしいのは本当だったが、これほどに差を見せ付けられた後、ただただ維心を愛しているその気持ちすら恥ずかしいような気持ちになってしまっていたのだった。
一方、維心も緊張していた。
目の前に、維月が居る…維月は、やはり一目見た途端に、身の内に震えが走るほどに、慕わしかった。その姿も、その自分のためにと変わった慕わしい気も、何もかもが維心を捕らえて離さなかった。これほどに長い間、会わずに居れたことが、不思議なぐらいだった。
もっとよく顔が見たいと思うのに、維月はしっかりと顔を扇で隠してしまっていて、見えない。常の維月は、ここまで厳重に姿を隠したりしなかった。やはり、自分には姿を見せたくないのか。
そう思うと、維心は暗い気持ちになった。我の返歌は、遅すぎたのか。やはり、維月はもう、我のことなど、勝手に離縁した心ない元夫としか、見ておらぬのか。
二人が、暗く沈んだ気を発しているのを敏感に感じ取った蒼は、どうしてものかと困っていた。どうして、久しぶりに会ってこんなに暗くなるんだろう。あれほど仲が良かったんじゃないのか。時間が開いてしまったら、こんな感じになってしまうのか。
十六夜も気遣わしげにしていたが、碧黎は全く平気なようだった。茶が目の前に並べ終わると、それを軽やかに持ち上げて飲んで、言った。
「それにしても維心とは久しいものよ。主の神世での働きは見ておるが、最近では厳しくしておるの。」
維心は、ハッとして碧黎を見て、答えた。
「常と変わらぬと思うが。ずっとこのように統治しておったからの。」
しかし、碧黎は首をかしげた。
「いや、もっと寛容であったわ。ここ一年ほど、殊に厳しくなったと他の王が言っておるのを耳にしておる。主も、いつまでも独り身でいるのが悪いのよ。女っけのない宮は、謹厳過ぎて重いぞ。」
蒼は、仰天して碧黎を見た。この空気の中で、何を言うんだよ、碧黎様は!
維心は、少し戸惑っていたが、言った。
「それは…我はその宮に居るからそれが普通になっておって、分からぬが。」
碧黎は、頷いた。
「で、あろうの。」と、維月を見た。「我の娘は、こうしてここで穏やかに暮らして居るが、お転婆娘での。しかし我にとり大切なもの。主ちょっと、話して見ぬか?」
それには、そこに居る皆が仰天して碧黎を見た。呆れて口が開けなくなっている。維月も、今度ばかりは父を恨んだ。そりゃ娘の嫁ぎ先に困った父親が訪問した王に向かってこんなことを言うことが多いって聞いてはいるけど、そんなことを言って、はいと言うような王ではないのよ、維心様は!まして一度離縁してるっていうのに!
維心は、絶句している。蒼は、固唾を飲んだ。ここで維心が断ったら、それでこの話は終わってしまう。つまりは、茶会を開いた意味がなくなってしまうのだ。
意外にも、十六夜は落ち着いて状況を見ていた。維月は、覚悟した…真正面から、維心様に拒否される辛さを、また味わわなければいけないの。
維心はしばらく黙った後、立ち直って言った。
「…我では話相手にならぬかと思うが」やっぱり、と維月が息を付くと、維心は続けた。「では庭へ。」
「ええ?!」
蒼も維月も、維織も維明も耳を疑った。しかし、維心は立ち上がって、手を差し出した。
「こちらへ。」
維月は、また緊張が極限に向けて高まって来たが、それでも立ち上がり、そして十六夜を少し振り返ってから、維心の手を取り、庭へと出て行ったのだった。




