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手紙

あれからニヶ月、六月の始め頃に、維月は嘉韻の子、嘉翔(かしょう)を出産した。そうして、七夕の今日は、嘉翔がひと月になるお祝いだと言って、皆で庭で花火を楽しんでいた。維月は王族ではなかったが、王族の扱いなので嘉翔には乳母がついていて、維月も子育ては楽だった。

嘉翔は金髪に赤いような茶色の目の、嘉韻と同じ色合いの嘉韻そっくりな子だった。それは美しく、かわいらしいので、世話をする侍女には事欠かなかった。皆が皆、嘉翔を抱いて歩きたがったからだ。

嘉韻の親友である二人、明人と慎吾も、宮での花火に一緒に参加していた。それなりの歳になり、立派な軍神に育った三人を、蒼も感慨深く見ていた。唯一の気がかりだった嘉韻も、こうして子の親になることが出来、蒼は一安心だった。維月が維心と婚姻していた頃は、絶対に許されないことだったからだ。

明人が、嘉翔を腕に抱きながら言った。

「さすがに嘉韻の子だよなあ。見ろ、めちゃくちゃ綺麗な顔をして。また年頃になったら大変だぞ?結界の張り方を早くから教えておかなきゃな。」

慎吾が、横から見て言った。

「今から世話をしたいと侍女が大変らしいからの。ほんに嘉韻の血とは、気が揉めることよ。」

嘉韻は、それを聞いて顔をしかめた。

「我が悪いと申すか。」

明人が、笑って言った。

「悪いなんて言ってねぇじゃねぇか。まあ、嫁の来てはたくさんあるってことだ。それにほら、気がこんなに強いから、間違いなく将来は筆頭軍神だろうしよ。」

嘉韻は、明人から嘉翔を抱き取ってまじまじと見つめた。

「まあ、我ぐらいには気が強いようであるが。しかしようこれほどに我に似て生まれることよな。驚いたわ。」

嘉翔は、じっと嘉韻を見つめている。維月が、横から覗き込んで笑った。

「ほらほら、嘉韻を見ておるわよ?これぐらいの時は、わかってないようでわかっているから。」と、嘉翔を見て言った。「嘉翔、父上よ?早く大きくなって、立ち合いを教えて頂かないと。」

嘉翔は、手をバタつかせて、嘉韻の頬にぺちぺちと触った。嘉韻は、笑った。

「おお、父を手に掛けるとは。ならぬぞ、嘉翔。」

明人と慎吾は、まるで我がことのように嬉しそうにそんな嘉韻を見ている。維月も微笑んでそれを見ていたが、フッと息をつくと側の椅子に座った。嘉韻が、それに気付いて気遣わしげに維月を見た。

「維月?疲れたか。もう戻った方が良いのではないか?」

維月は、苦笑した。

「ええ。今日は一日出歩いたから、少し。」

嘉韻は、乳母に嘉翔を渡した。

「部屋へ戻った方が良い。宮の部屋まで送ろうぞ。」

維月は、頷いて立ち上がった。

「では、また。今日はありがとう。」

そう言って皆に挨拶した後、維月は嘉韻に伴われて、宮の自分の部屋へと戻って行ったのだった。


部屋には、十六夜が降りて来ていた。

「十六夜?降りてたの?」

維月が入って来ると、十六夜は頷いた。

「嘉翔の祝いをしてたんだってな。オレも行こうと思ってたんだけど、七夕はいろんな行事があっちこっちの宮であるだろう。そっちを見に行ってたんだ。」

維月は、黙って頷いた。七夕の祭りで一番大きいのが、龍の宮。皆が皆、龍の宮の七夕祭りには出かけて行く。一年に一度だけ、皆の前に出て来る、龍王維心を見るために…。

維月が沈んだようだったので、十六夜は維月の肩を抱いた。そして、顔を覗き込んで言った。

「維月…炎嘉から聞いたぞ。お前、まだ維心を引きずってるんだろう。嘉韻の子を産もうと思ったのだって、少しでも維心を忘れて前に進もうとお前なりに考えたからだと聞いた。」

維月は、顔を上げて反論した。

「違うわ!嘉韻には、今まで我慢させていたから…あんなに私を大切にして想ってくれるのに、あの優秀な神が子も遺せないなんてって思ったからよ。こうして私がここへ戻ったなら、産んであげられるって思ったから…。」

十六夜は、頷いた。

「わかってる。だが、それだけじゃねぇだろう。維月、お前維心に手紙を書けと炎嘉に言われただろう?」

維月は、絶句した。十六夜、知ってるのね。

十六夜は、続けた。

「炎嘉は、それを持って龍の宮へ行った。だが、それを維心には渡さなかった。」

維月は、胸がズキンと痛んだ。それは、きっと維心様が私のことなど受け付けない心持ちであられたから。維心様が読んでくださるお気持ちであった時だけ渡してくださいと言ったもの…。

「…もう、いいの。私は維心様のお心に胡坐をかいていたんだもの。愛想を尽かされても仕方がないわ。もう、忘れようと思っていることなのに。炎嘉様に言われて、ああして手紙は書いたけれど、今更って自分でも思っていたのよ。だって…あちらでは、私のことなんか忘れてしまいたいと思っていらっしゃるでしょうに。」

十六夜は、維月を見つめた。

「維月…無理すんな。お前、泣いてるぞ?」

維月は、ハッとして自分の頬に触れた。そこには、涙の粒が伝っていた。十六夜は、ため息をついた。

「オレもお前を愛してる。だが、維心だって同じだった。だからこそ、お前を共有してやって来たんだ。それなのに、こんなあっさり終わるもんなのか?あいつの気持ちってのは、そんな簡単なものじゃなかった気がするのに…。」

維月は、慌てて袖で涙を拭いながら、十六夜から離れた。

「もう…いいの。放って置いて、十六夜。明日には、普通に出て来るから。」

維月はそう言うと、奥の方の自分だけの部屋へと駆け込んで行った。十六夜は、そんな維月を見送って、立ち尽くした。

「維月…。」


維月は、その部屋の奥へと駆け込むと、しばらく寝台に突っ伏していた。しかし、しばらくしてパッと起き上がると、ごそごそと寝台の下から厨子を引っ張り出した。厨子を開けると、たくさんの文や、ノートパソコンなどが入っていた。それは、前世の自分の持ち物で、蒼が死んだ後も残して置いてくれたもの。今では、維月が使わないものでも大切なものを、入れて置く場所になっていた。

維月は、それを寝台の上へと並べて、一つ一つ見た。前世で、維心が自分にくれた文の数々…ただ、迎えに来るというだけのものから、長く寂しいと綴ったものまで、いろいろとあった。その中に、和歌がしたためられてあるものが一つ、あった。それは、たった一つの和歌だけだったが、和歌のたしなみなどない維月のために、人が書き記していた有名なもので、維月がその訳を知っているものを、わざわざ維心が選んで送ってくれたものだった。

君がため

をしからざりし

命さへ

ながくもながと

思いけるかな

維心の美しい文字で書かれたそれは、まだ墨も冴え冴えと、まるで今維心の手を離れたばかりのように、はっきりと残っていた。前世、維心は維月に出会う前、いつ死んでもいいと思っていたと言っていた。だが、維月に出会ってからは、不死の維月と共に居たいがために、少しでも長く共に生きていたいと思ったのだと…。

…これは、まさに我の気持ちを表した歌よな。

維心は、そう言って微笑んでいた。その時維月は、何と返していいのか分からなくて、同じ人世の書から必死に選んで歌を送った。返歌というには絡みもないし、でも、自分で考えて詠めるほど和歌には詳しくなかったからだ。

あれは、何という歌だったかしら。

維月は、首をひねった。何しろ、歌を覚えるような嗜みもなかった。

しかし、うんうんと唸っているうちに、フッと思い出した…そうだ、あれだ。

難波潟

みじかきあしの

ふしの間も

あはでこの世を

すぐしてよとや

(葦の節の間ぐらいの短い時間でも会いたいのに、あなたに会えずになんてこの世で生きていけないわ)

確かそんな意味だった、と維月は思って送ったのだ。でも、何しろうろ覚えの訳だったので、それが合っているかどうかも疑問だったが、それでも維心は、一瞬驚いた顔をしたものの、維月からこんな意味のつもりで書いた、と聞くと、微笑んで喜んでくれた。

維月は、思い出して明るい気持ちになって、そうだったそうだったと、一人手を叩いていたが、フッと我に返った…そうだ、維心はもう、居ないのだ。

そう思うと、一気に涙がこみ上げて来て、たくさんの文を抱いて、泣いた。維心様に会いたい…。私は、やっぱり維心様を愛しているんだわ。嘉韻も大切に思っている。十六夜は兄としても夫としても愛している。それでも愛した、維心は特別だったのだ。どうしても、忘れられない…!

維月は、その夜ずっと泣き続けたのだった。

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