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現世では

碧黎と炎嘉、箔炎が、実久と蒔が守るようにして頼を庇って座っている所から、少し離れた位置に座っていた。目の前には、維心が開けた大きな亀裂が入ったままで、中はシンと静まり返っていて何の音もなかった。

碧黎が、じっと何かに耳を傾けているような感じではあったが、何も言わなかった。恐らく、碧黎には中の様子が見えているのではないか、と炎嘉は思っていた。

そんな碧黎に、箔炎が思い切ったように話し掛けた。

「碧黎殿。我は、主と話さねばと思うておったのだ。」

碧黎は、ちらと箔炎を見た。

「良いと申したであろうが。あれが決めて留まっておるのであろう?我は構わぬよ。」

箔炎は、それでも食い下がった。

「だが、始めは記憶を失っておったのだ。その状態の我が拾って、そうして共に来たので、記憶が戻っても今更戻ると言えぬのではないかと…。」

碧黎は、ため息をついた。炎嘉が、何のことだろうと二人を代わる代わる見ている。碧黎は、炎嘉を見て言った。

「陽蘭ぞ。あやつは地から出て参ったのだが、まだ早かったゆえ最初記憶を失っておってな。我はそのうちに戻るだろうと放って置いたのだが、箔炎が見つけて連れ帰った。そうして、妃としておるのだ。」

炎嘉は、仰天した顔をした。陽蘭を。地の片割れを娶るなど…しかし、知らなかったのだから、良いのか?だが、碧黎は取り乱すわけでもないようだ。どういうことなのだ。

「しかし…陽蘭は主の片割れではないのか。磁場逆転の前の最近では、普通の夫婦らしくしておったのだと聞いておる。主、それで良いのか。」

箔炎も、じっと碧黎を見ている。碧黎は、またため息をついた。

「何と申したら良いものか。主らと我は、根本的に違うのだ。地という命は、月もそうだが、そういうことにあまりこだわらずでな。特に我と陽蘭の間は、もう数千年とも…いや、もっと長い間一緒に来たゆえ、別に何も思わぬ。ここ最近のことぞ、我も陽蘭も夫婦とかいう概念を知ったのは。我は地が平穏に済むならあれが何処に居ようと構わぬよ。どうせ同じ本体であるし、それに我の上に居るのだからの。」

炎嘉は、眉を寄せた。

「…最近とは、どれぐらい前のことだ?」

碧黎は、んーっと考えるように眉を寄せた。

「二千年ぐらいかの?あれが人世に行って、そういう考えを知ってきおった。我は、ずっと一人だったので、最近主ら神と関わるようになって知った。なので我にとってそういう婚姻とかいう制度は、まだ知ったばかりなのだ。そういうふりはしておるが、果たしてそれが正しいのか我にもまだ判断が付かぬ。」

二千年が最近か。

炎嘉も箔炎も思った。つまりは、碧黎にとって地が平穏であれば他はこだわりがないということなのだろう。

「その…では、主は陽蘭が我の所におっても良いと?」

箔炎が、よく分からないながらもそう言うと、碧黎は頷いた。

「だから良いと言うておるであろうが。あれが判断したのだろう?我は良い。もしも否であったら、今頃主はこの世に居らぬわ。我にはまだ維月が居るし。」

それを聞いた炎嘉も箔炎も、そして向こうに居る実久も蒔も仰天した顔をした。確か、娘なのではなかったか。

「碧黎!主の、あれは娘であろうが。その、倫理的に問題があるのだから、やめよ!」

碧黎は、うんざりしたように炎嘉を見た。

「ああ、主らはほんに。あのな、我は別に維月を娶るとか、そんなことを言うておるのではないぞ?しかし一度言うておくが、常、維心には話しておるがの、我らは神世の便宜上親子と名乗っておるだけで、そういう血の繋がりではない。なので、仮に我が維月を娶ったとしても、陽蘭と十六夜が婚姻関係になったとしても、おかしいことではないのだ。現に双子の兄妹の十六夜と維月が婚姻しておるであろうが。」

炎嘉は、ぐっと黙った。確かにそうだが。

「それでも、維月は前世の記憶があるし、主を父と思うておるし…。」

碧黎は、頷いた。

「ああ、分かっておる。なので、別に今は親子でいいのだ。あれが我を慕っておるのは事実であるし、それで充分ぞ。主らのように、気に入ったからとすぐに褥へ引っ張り込むのではないわ。そんな繋がりも必要なら持つが、別にどっちでもいい。我ほどに力があるとの、誰かに取られるとか、そういった感覚はないのだ。何しろ、我が本気になって手に出来ぬものなどないからの。維心とて、それが分かっておるから黙っておるのだ。あれが我に敵うものか。」

箔炎も炎嘉も、黙り込んだ。つまりは、絶対的な力を持つ者の、余裕から寛容になっているということなのだ。

維心も、気苦労が多いものよ…。

炎嘉が同情気味にそう思っていると、箔炎は言った。

「それでも、我は主に感謝する。」箔炎は、真剣な顔で碧黎を見つめて言った。「我の生の中で、今、本当に生きているという気がするのだ。」

碧黎は、じっと箔炎を見つめていた。何を思っているのかはその表情からは全く分からなかった。そのうちに、スッと視線を反らすと、また維心の開けた亀裂の方を見た。

「…あれは、維月に似ておろう。維月はあれを元に作った命であるからの。我らには寿命がないゆえ…主が生きておる間、あれを側へ置けば良い。」

碧黎は、そのままじっと維心の亀裂の方へと集中している。

箔炎は、そんな碧黎に頭を下げた。


十六夜は、ハッと気がついて起き上がった。

黄泉の空間…覚えがある。間違いなく、ここは黄泉だった。

慌てて自分の体を確認すると、いつもの男の人型に戻っていた。ホッとした十六夜は、とにかく維心だと回りに気を飛ばして探ってみたが、ここはとても広くてよく分からなかった。それでも、覚えのある気が十六夜の意識に引っかかった…これは、頼?

頼の方が、維心より近くにいるようだ。

十六夜は、慣れない頼が門の中へ入ってしまってはいけないと思い、そちらの方角へと足を向けた。

しばらく行くと、思った通り黄泉の門が開いていて、その前に頼が立っていた。それを見た十六夜は、急いで駆け寄った。

「頼!」

頼は、驚いた顔をした。誰だろう。黄泉に知り合いなんて居ないのに。

「ああ、主は誰か?」

十六夜はびっくりしたが、思えば頼は自分と面識がない。運動会の日は、十六夜はもっぱら月で下を見て、皆の気を奪った状態で競技をさせていた。なので、人型で頼に会ったのは、これが初めてだった。

「そうか、お前はオレを知らねぇな。オレは陽の月。十六夜だ。全く、困ったことをしてくれたもんだよ。」

頼は、目を見開いて十六夜を見た。そうか、陽の月…。あの時は声だけだったから、姿まで知らなかった。それに、あの時の声は女声だったのだ。

「陽の月と会うのは、初めてだったので。しかし、主も死んだということか?」

十六夜は、首を振った。

「いいや。死んでねぇからここに居る。死ぬってのは、あの門をくぐったあっち側へ行くことだ。ここでは中途半端なんだよ。みんな、この空間である程度浄化されてからあっちへ行く。黄泉へ変なものを持ち込まないためなんだろうな。」

門の向こうから、頼によく似た神が頭を下げた。

『此度は、大変に迷惑をお掛けした。我が息子を甘やかして育てたばかりに、このようなことに。』

十六夜は、そちらを見て、両方の眉を上げた。

「お前、頼の親父か?」

相手は、頷いた。

『瞑と申す。こちらから息子を憂いておったが、ついにこのようなことになってしもうて。』

十六夜は、維心の気配を感じながら言った。

「まあなあ、頼の気持ちも分からないでもないんだよな。だが、何にしても維月を殺すってのはオレも許せねぇ。維心はもっと怒ってたし、どうなるかわからねぇぞ?オレも、今度のことでは維月を失うかもと思ったし、維月だって悪気があってあんな気を持ってるわけじゃねぇんだから、それを責めるのもどうかと思うぞ。」

頼は、視線を落とした。

「分かっておる。異存があるなら堂々と神世に言えば良かったものを、我はあのような手段に出てしもうた…それが、一族の存亡に関わる事態になるやもしれぬのに。」

十六夜は、頷いた。

「なんだ、わかったんじゃねぇか。王ってのは、我慢もしなきゃならねぇし、筋も通さなきゃならねぇ。何しろ、一族の代表なんだからな。ま、維心からの受け売りだけどよ。」と、遠い目をした。「…維心が来たぞ。あっちの方角…だが、維月のほかに、誰か連れてるぞ?」

頼と門の中の瞑が、一斉に身を硬くした。維心が近付いている…それだけで、二人には身の危険を感じるような何かがあるらしい。それにしても、頼はともかく瞑はもう死んでいるのに、習慣とは怖いものだと十六夜は苦笑した。


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