黄泉の道
頼は、暗い先の見えない空間に居た。
龍王から何かの力が入って来たと思ったら、急に目の前が真っ暗になって、この見た事もない空間を歩いていたのだ。
何が起こったのか分からないままどこへ向かっているのかも判断が付かなかったが、歩いているうちに、もしかして自分は死んだのかも、と思うようになった。体を見ると、常の男の姿に戻っていて、浄化の力というものが確かに働いているのだと分かったからだ。
このまま、龍王が迎えに来なかったらどうなるのだろう…。
頼は、思った。思えば、王らしいことは何もしていない。栄のように責務に忠実であった訳でもなく、だらけていた訳ではなかったが、それでも臣下達を困らせてばかりだった。今度の事は、神世に堂々と意を唱えた訳ではなく、理に反して裏からこそこそと謀ったので、臣下達にも少なからず迷惑を掛けることになる。自分は、王としての意識が低すぎたのだ…。
頼は、後悔した。こんなことを思っても、死んでしまったらどうしようもない。なんと、王として未熟であったことか…王ならば王らしく、会合の席などで抗議するだけでも、栄の命が散ったのであるから、皆、耳を傾けるぐらいはしただろう。龍王も、無視は出来なかったはずだ。
頼は、子供のケンカから抜けきれていないような己の対応に、恥ずかしくなったのだった。
しばらく歩くと、目の前に四角い明るい戸のようなものが見えた。頼は、自分がそれを目指していたことに気付き、足を速めた…そこには、亡くなった父王の暝が見えた。
「父上!」
頼は、思わず叫んで駆け出した。父は、若い姿でそこに立ち、険しい顔をしていたが、頼の様子に苦笑した。
『叱ろうと思うて待っておったのに。ほんに困ったヤツよな、頼。』
頼は、ハッとして止まった。父は、全て知っているのか。
「父上…我は、王として不適格な事をしてしまいました。」
暝は、頷いた。
『友を思うあまりなことは分かる。しかし、王として一族の事を思えば、あのようなことはするべきではなかったの。』暝は、ため息をついた。『まあ、我も悪かったのだ。もっと厳しくするべきだった。此度のことは、恐らく龍王は一族には手出しせぬで居てくれよう。だが、主はどうなるか分からぬ。生き恥をさらす事にもなりかねぬ。このまま、この門をくぐれば、主はあちらに戻る事は叶わぬ。しかし、龍王はお迎えに来て下さるようだ。それを待つか?それとも、これをくぐるか。』
頼は、顔を上げた。ここで死んだ方が、自分は楽になるだろう。しかしそれでは…。
「父上」頼は、決然とした顔つきで言った。「我は、戻りまする。そうして、己がしたことを償わねば。それが処刑であったとしても、やはり今は戻らねばなりませぬ。我が王として皆に出来るのは、もはやそれのみ。」
暝は、目を細めて頷いた。
『惜しい事よ。やっと王らしい考え方になって参ったのにの。その通り、例え処刑であろうとも、一族がその後後ろ指さされぬ為には戻って沙汰を受けねばならぬ。頼、王として責任を取って、こちらへ参るが良いぞ。』
頼は、頷いた。そして、龍王が来るのを門の前で待った。
維心は、黄泉の空間を迷いなく維月の方向へ歩いた。最早慣れた空間とはいえ、ここではやはり気を張らなければならない…道を見失ったら、いくら維心でも戻れなくなるからだ。維月を連れ帰らなければならないのに、迷う事など出来ぬ。
維心は、自分の開いた現世への亀裂の場所を、常に意識しながら歩いていた。
すると、遠く見えた人影が、地に座り込んでいるのが分かった。確かに維月なのだが、とても大きく見える…近付くにつれて、それが一人ではないことが分かった。誰かと一緒に居る。しかも、肩を抱かれている。
維心は、まだ遠いのにも関わらず声を上げた。
「維月!」
維月は、足を掴む十六夜の気配がスッと消えたのを感じた。慌てて気配を探ったが、十六夜の気配は完全に消えている。栄が、急に維月が黙ってキョロキョロとしているので、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「維月?どうしたのだ。」
維月は、栄を見上げた。
「栄様…十六夜の気配が消えましたの。今まで、私の足を掴んで離さなかったのに。」
栄は、何も感じ取れない維月の足の方を見た。
「確かに、月の気配はないの。どういうことか。」
「分かりませんわ。あちらで、何かあったのかも…。」
維月は、急に不安になった。もしかして、どうしても術が解けなくて一緒に黄泉へ行こうなんて、考えたんじゃないかしら。十六夜までこちらへ来させるなんて、出来ない。
維月がためらっていると、遠く愛おしい声が聴こえた。
「維月!」
維月は、パッと振り返って立ち上がった。
「ああ、維心様!」
維月は、回りも見ずに走った。維心が、同じように走って維月に向かって来る。維月は、維心に飛び付いた。
「ああ、維心様!維心様…!」
「維月…」維心は維月を抱き締めて髪を撫でた。「おお、もう離さぬ。さあ、戻ろうぞ。術は解けた。十六夜もそこらに来ておるから、それも連れ帰らなねばならぬ。」
維月は、やはり、と心配そうに維心を見上げた。
「まあ…まさか十六夜は、私が黄泉へ行くからとこちらへ参ったのでは…。」
維心は、首を振った。
「そうではない。この術はの、あちらに居ては解けぬことが分かったのだ。この、黄泉の強力な浄化の力でなくば解けぬと聞いて、あれはまた薬を飲んだはず。」と、維月の背後に歩いて来ていた栄を見て、顔をしかめた。「栄?なぜにここに居る。とっくに門をくぐったのではないのか。」
栄は、維心に頭を下げてから、顔を上げて言った。
「我は、戻ることが出来ると張維様より言われ、出て参りました。」
維心は、驚いたように目を丸くした。
「父上から?」
維月が、維心の腕の中で頷いた。
「はい。張維様には、ここ最近に空からの声が聞こえるようになられたのだとか。その声に従って、こうして栄様をあちらからこちらへ戻されたのでございます。戻されたのは、張維様の力ではないようでございましたが。」
維心は、訳が分からなかった。今までの状態では、門をくぐればここへは絶対に出て来ることは出来なかった。それは、自分の力をもってしても無理だった。しかし、他に命があって、その命を頼りに黄泉帰りすることは出来た。しかしあくまで、こちらにある命を使ってのことで、あちらへ逝ってしまったら、絶対にこちらへ戻すことなど出来なかったのだ。
「しかし…あちらへ連れ帰ったとして、身はどうするのだ。そのままでは、いずれにしろ長くはあちらに留まることは出来まい。身が無くば、無理ぞ。」
維月は、首をかしげた。
「はい…それは私もそのように。ですが張維様は、お父様が何か、あちらでしておられるようで…だから大丈夫だとおっしゃっておられました。どういうことか、私にも分かりませぬが。」
維心は、ため息をついた。どういうことか分からないが、父がそう言うのならば仕方がない。
「では、栄も共に連れ帰ろうぞ。此度は我も忙しい。十六夜に、それに頼も連れ帰る必要があっての。」と、何もない空間を指した。「十六夜はこちら、頼はこちらに気配がある。少し歩かねば。」
栄が、明らかに動揺して維心を見た。
「維心殿…まさか、頼は死したのでありまするか。」
維心は、ちらと栄を見て、頷いた。
「死したと申して、術に二度掛かったからなだけぞ。我が罰したのではないゆえな。」と、維月の肩を抱いて歩き出した。「主のことは聞いておるが、とにかくは現世へ戻ることぞ。ついて参れ。十六夜と頼を探す。」
栄は、何があったのか分からなかったが、維心に従って歩き始めた。
維心は維月を、それは大切そうに腕に抱え込んだ状態で、黄泉の道を慣れたように歩いて行った。




